野球

東北学院大・及川恵介 「佐々木朗希のキャッチャー」、いつかその肩書を誇れるように

高校時代はロッテ・佐々木朗希の豪速球を受けていた及川(撮影・川浪康太郎)

「キャッチャー、及川君、大船渡高校」――。東北学院大学の及川恵介(4年、大船渡)は、球場でこのアナウンスが流れるのを聞くたびに、背筋が伸びる思いになる。高校時代、佐々木朗希(現・千葉ロッテマリーンズ)の豪速球を受けていた男は、現在就職活動中。「面接でも高校や朗希のことを聞かれるんです。朗希の顔に泥を塗らないように、頑張らないといけない」。己の過去と肩書は誇りか、それとも重荷か。

未来のスターと出会い、別れ、そして再会

岩手県陸前高田市出身。佐々木は小学校の同級生で、小学3年生の時、同じチームで野球を始めた。仲良くなった矢先、4年生への進級直前に東日本大震災が発生。震災の影響で佐々木が隣接する大船渡市へ引っ越し、2人は離ればなれになった。

中学3年生の時、岩手県気仙地区(大船渡市、陸前高田市、住田町)の中学軟式野球部で構成される選抜チームにそろって選出され、再会を果たした。この時佐々木はすでに140キロを超えるストレートを放っており、捕手としてボールを受けた及川は「見たことのない球で、『ギリギリ捕れる』という感じだった」と振り返る。

及川は中学までで野球を辞めるつもりでいたが、佐々木に誘われ大船渡で野球を続けることを決意した。高校入学後は佐々木が1年夏から公式戦のマウンドに上がり、次々と自己最速を更新する一方、及川も努力を重ね2年秋から正捕手の座を勝ち取った。

中学で野球を辞めるつもりだったが、佐々木の影響もあり今も続けている(撮影・川浪康太郎)

「朗希フィーバー」の陰で重ねた努力

2年秋の県大会ではバッテリーを組み、チームを16年ぶりの4強に導いた。この大会の1回戦で157キロを計測した佐々木の名はすでに全国区となっており、スタンドは常に超満員。当時は佐々木の豪速球や切れ味抜群の変化球を捕れないことも多く、ボールをそらした際には観客のため息が嫌というほど聞こえてきた。

佐々木への申し訳なさも募り、この年のオフシーズンはキャッチングの練習に精を出した。140キロのマシンを本来より近い距離で捕球したり、ワンバウンドを捕る動作を繰り返したりしたことで、技術は着実に向上。手が痛まないように捕球するコツもつかんだ。

「朗希フィーバー」がさらに加熱した3年時は、報道陣やプロ野球のスカウトが毎日のようにグラウンドを訪れた。練習試合にも大勢の観客が詰めかけ、その多くがスマートフォンをマウンド上の佐々木に向けていた。特殊な環境下でも「注目されているのは朗希と監督さん。自分は自分」と冷静さを保ち、夏の岩手大会ではミスなく、淡々と佐々木のボールを受け続けた。打っても主に1番に座って打率5割(24打数12安打)と活躍し、攻守で準優勝に貢献。甲子園出場はならなかったものの、悔いなく高校最後の夏を駆け抜けた。

大船渡高校時代、佐々木(中央)と並んで撮影に応じる及川(右、撮影・朝日新聞社)

友の言葉で奮起、大学ラストイヤーに開花

「大学でも続けようというマインドにはならなかった」ため、高校野球引退を機に競技から離れ、東北学院大には一般学生として入学した。1年目は新型コロナウイルス禍の真っただ中だったこともあり、野球以外の部活やサークルにも所属せず、自宅でオンライン授業を受講する日々。運動といえば引っ越しのアルバイトで体を動かす程度だった。

退屈な毎日を送る中、冬ごろに高校時代のチームメートから復帰を促すメッセージが届いた。その中には佐々木の名前もあり、「そろそろやらないのか」と連絡が来たという。「お金もかかるしレベルも高いので結構渋ったんですけど、最終的には『やるか』と思って」と消極的なスタートではあったが、2年生の4月から硬式野球部に入部し、再び白球を追い始めた。

3年秋にリーグ戦デビューし2試合に出場すると、最上級生となった今春は11試合中9試合でスタメンマスクをかぶった。打率3割(30打数9安打)と打撃好調で、自慢の強肩を生かした盗塁阻止も幾度となく披露した。特に仙台大学から8季ぶりの白星を挙げた試合ではエース古谷龍之介(4年、北星学園大付)を好リードした上、3安打2打点とバットでも勝利に貢献した。

大学2年の4月に入部。今ではチームに欠かせない存在となっている(撮影・川浪康太郎)

結果を残してもなお「リードや配球は自信がなくて、ピッチャーにはたくさん迷惑をかけている」と謙遜するのが及川らしさ。一方、「入部した時は『レギュラーを取るのは多分無理だろう』と思っていた。今年は試合に出ることを目標に練習してきたので、頑張ってきたことを出せた部分もあってよかった」と手応えも口にした。

「今は野球がやりがい」野球人生の集大成へ

佐々木のプロ入り後の活躍は常に気にかけており、リアルタイムで観戦する機会は少ないものの、登板日は毎回ハイライト動画をチェックしている。「野球に対してストイックで、常に高みを目指しているのが伝わる」と、昔と変わらぬ友の姿を脳裏に焼き付けている。

母校の大船渡も気になる存在。自身の高校3年時は、夏の岩手大会決勝で佐々木が登板しなかったことが大きな話題となった。高校や監督の考えを批判するネット記事やSNSの声は嫌でも目に入っていただけに、後輩たちが野球の実力で高校名を全国にとどろかせることを願っている。

周囲に支えられて大学まで野球を続けられた。秋は野球人生の集大成を迎える(撮影・川浪康太郎)

及川自身は大学で野球を終える予定で、今秋のリーグ戦がラストシーズンとなる。2度途絶えかけた野球人生。ここまで続けることができたのは、佐々木をはじめ、野球を通じて出会った仲間がいたからこそだ。「自分がもっとうまかったら、もっと野球を楽しめるのかな……」と苦笑いを浮かべつつ、「でも、今は野球がやりがいになっているので、辞めなくてよかったです」と決断を後悔してはいない。

野球人生が終わっても、人生はまだまだ続く。今は「『佐々木朗希のキャッチャー』という肩書に恥じない」生き方をするので精いっぱいだが、いつの日か必ず、その肩書を誇れる日が来るはずだ。

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