仙台大学・樫本旺亮 チームを救う変則左腕が生み出した、サイドとオーバーの投げ分け
第72回全日本大学野球選手権大会 2回戦
6月7日@明治神宮野球場(東京)
仙台大学 8-4 東日本国際大学
熱戦が続いている第72回全日本大学野球選手権大会。8年ぶり出場の仙台大は6月7日、2回戦で東日本国際大を破り、初の「全国2勝」を達成した。追いつかれた直後の七回に辻本倫太郎(4年、北海)の決勝3ランなどで5点を奪い勝ち越し。自慢の強力打線が本領を発揮した一戦となったが、投手陣の中にも、勝利の立役者がいる。オーバースローとサイドスローを投げ分ける変則左腕・樫本旺亮(2年、淡路三原)だ。2試合連続の好救援で、文字通りチームを救った。
「左キラー」ぶりは全国の舞台でも健在
0-1の四回、1死一、二塁のピンチでマウンドに上がった。得意としている左打者が並ぶ巡り合わせ。東日本国際大の1番打者・黒田義信(1年、九州国際大付)を遊直に打ち取ると、ライナーゲッツーとなり、わずか1球でこの回を終わらせた。さらに五回は3、4番を2者連続三振に仕留めるなど三者凡退に抑え、その後の大量得点を呼び込んだ。
大学入学後、練習試合も含めて自己最長となる5回3分の2を投げ、2本塁打を浴びながらも試合を締めくくった。五回には試合での自己最速となる145キロも計測。樫本は「(最後まで投げきることができて)気持ちいいです。これだけ長く、しかも全国大会で投げられたのは自信になった」と充実感をにじませた。
前日の1回戦も同じく1死一、二塁の場面で登板し、左打者相手にワンポイントリリーフをこなした。そして似たような光景は、今春のリーグ戦でも見られた。5月20日、優勝がかかった東北福祉大学1回戦。1点リードの五回、無死二、三塁のピンチで救援し、3、4番に座る左の好打者2人を打ち取ったのだ。
「(東北福祉大1回戦の登板は)めちゃくちゃ今大会に生きている。あの場面で0点に抑えられたのは自分の中で大きかったですし、自分を使っても大丈夫だという信頼感を与えることができた」。ブルペンに樫本がいる。それが仙台大にとっての大きな安心材料となっている。
「投げ分け」へのこだわりと揺るぎない意志
兵庫県・淡路島で生まれ育った左腕がサイドとオーバーの投げ分けを始めたのは、淡路三原高に入学してすぐの頃。元々は中学時代から取り組んでいたサイドが基本だったが、「打者を惑わす」ため自ら思い立ち、独自の投法を生み出した。オーバーのストレートは変化球の一種と捉え、捕手のサインに従って投げ分ける。変則投法を武器に高校3年間で実績を残し、この投法を評価してくれた仙台大への進学を決めた。
「野球人でいる限り、引退するまでこの投球スタイルを続けたい」。昨年6月の取材時、大学入学から約2カ月が経過したばかりだった1年生の樫本はそう言い切った。「サイドもオーバーも、自分が成長するのに必要な技術だから」との理由に基づく、確固たる意志が伝わってきた。
淡路三原高で野球部顧問として樫本を指導した山村春樹さん(現・須磨友が丘高教諭)は、高校卒業間際の樫本に「ドラフト何位で指名されたいか」と尋ねたことがある。「1位」という答えを想定していたが、「順位は何位でもいいです。プロ野球の世界で20年以上生き残ることの方が大事です」との回答が返ってきた。ピッチング技術が飛躍的に進化し、150キロを投げるのが当たり前になってきた現代野球。その中でどう生き残るか、樫本は早い段階から考えていたのだ。
投げ分けこそが生き残る術。高校時代、周囲から「サイドかオーバー、どちらかに絞った方がいいのでは」との声が上がることもあったものの、自らの野球観をもとに見つけ、徐々にものにしてきた投法をやめる選択肢はなかった。大学入学後も頻繁に連絡を取り合っている山村さんは、今もなお本人の意志が揺るがないことを言葉の節々から感じているという。
目標達成へ、試行錯誤の日々は続く
ただ、試行錯誤は続けている。昨秋はサイドで投げる際の出力を上げる目的で、オーバーを一時封印した。するとサイドの球速が伸び、明治神宮大会や秋の新人戦では140キロ前後を計測。「サイドもオーバーも完璧にする」との目標に向け、しばらくはサイドを完璧にすることに専念した。
今春からは再び投げ分けを解禁。「サイドでのスピードの出し方が分かってから、自然とオーバーでもスピードを出せるようになった」と話すように、オーバー、サイドともにストレートの球速、球威が向上したことで以前よりも変化球とのコンビネーションがさえるようになってきた。今春のリーグ戦で「左キラー」としての存在価値を見いだし、ロングリリーフでも貢献できることを大舞台で証明してみせた。
仙台大は8日の準々決勝で優勝候補の明治大学と対戦する。連投で2回戦では69球を投げているとはいえ、明治大打線は上位に左の好打者が並ぶだけに、再びの救援登板も想定される。与えられた役割を全うしながら、プロへの道、そしてプロで生き残る道を、着実に歩んでいく。