東北福祉大・北畑玲央 甲子園での熱投から5年、「チームを勝たせる投手」への変貌
「ありがとう」「ナイスプレー」――。イニング間、守備を終えた野手一人ひとりに声をかけ、最後にベンチへ戻る。東北福祉大学の北畑玲央(4年、佐久長聖)が大学で見つけた「チームを勝たせる投手」の流儀だ。大学ラストイヤーを迎えた今春は最終節の仙台大学戦を残した時点で4試合、22回3分の1を投げ35奪三振、防御率0.00と絶好調。150キロに迫る直球と多彩な変化球を駆使した緩急自在の投球が光っている。今秋ドラフト候補にも挙がる右腕、ここまでの道のりは決して平坦ではなかった。
甲子園を機にプロ注目選手へ急成長
北畑の名が全国区となったのは、2018年8月6日。第100回記念大会として開かれた夏の甲子園で、佐久長聖と旭川大高が延長14回まで戦い抜いた日だ。この試合は春夏を通じて甲子園で初めてのタイブレークが適用され、佐久長聖が5-4で勝利。八回からマウンドに上がり、7回1失点の力投で勝利を呼び込んだのが、当時2年生の北畑だった。
「何も考えずに、とにかく一生懸命投げていた。タイブレークというより、大観衆の甲子園で投げられたことが財産になっている」と振り返る。直球の最速は143キロを計測したが、実は球速が140キロを超えたのはこの日が初めてだった。
奈良市出身で、小学1年生の夏休みに野球を始めた。名門・生駒ボーイズでプレーしていた中学時代は本人によると「どこにでもいるようなピッチャー」で、最速は120キロ台前半。高校進学後、大幅に球速アップしたものの、2年春に肩を亜脱臼した影響もあり、甲子園前の最速は139キロにとどまっていた。
甲子園を機に球速がぐんぐん伸び、秋季大会後の練習試合では神奈川・東海大相模、埼玉・花咲徳栄など関東の強豪校相手に、140キロ台後半の直球を放った上で好投を続けた。実戦の中で手応えをつかむと同時に、周囲からの注目度も上昇。卒業後の進路を考え始めた頃には、複数の社会人チームから声がかかった。その一方、高卒でプロ入りする希望も捨てず、「もう一度甲子園に出たらプロ志望届を出す」と決めて最後の夏に臨んだ。
まさかのコールド負けで進路が白紙に
最後の夏、思わぬ落とし穴にはまった。長野大会初戦の相手は松商学園。先発した北畑は7回を投げ、本塁打含む11安打を浴びて、7失点。0-7でコールド負けを喫した。
「夏の大会前の最速が149キロで『150キロを出さなあかん』と考えて、試合というよりスピードコンテストをしているような感覚になってしまっていた。個人の結果ばかり求めて、実際ピッチャーとしてはスピードも速くなって成長していたけど、チームを勝たせられるピッチャーではなかった」
最後の夏を終えた後、社会人チームからの話は白紙になった。北畑自身焦りはなく、「自分1人で7失点して負けた。(社会人チームは)自分の実力に見合っていない」と冷静に現状をとらえていた。大学進学を視野に入れ始めた折、東北福祉大の大塚光二前監督から熱心に誘われ、存在を知った。東都大学野球など東京のリーグでプレーすることも頭をよぎったが、大塚監督の人間性に惹(ひ)かれ東北の地で野球を続ける道を選んだ。
先輩を見て気付かされた好投手の条件
東北福祉大に入学してからの3年間で、計9人の先輩がプロ野球の世界に進んだ。北畑は1年からリーグ戦でベンチ入りし、偉大な先輩たちの姿を間近で目にしてきた。特に影響を受けたのは、3学年上の山野太一(現・東京ヤクルトスワローズ)と2学年上の椋木蓮(現・オリックスバファローズ)。絶対的エースとして活躍した両投手から、大切なことを気付かされた。
「山野さんと椋木さんは、野手に『点を取られても打って取り返そう』と思わせる投手だった。普段から誰とでも分け隔てなく話すし、練習の時はしんどくてもしんどくない顔をしている。試合中のベンチでも常に声を出す。そういう姿を見て、みんなが『助けてあげよう』という気持ちになっていたんじゃないか」
2人の姿は、高校3年の自分とは正反対に映った。夏は150キロを出そうと全力で投げたが、チームは大敗。相手打線にことごとく打ち返され、一方で味方打線からの援護は得られなかった。苦い経験があるからこそ、2人を理想とした「チームを勝たせる投手になる」というテーマを自らに課した。
大学ですぐに変わることができたわけではない。リーグ戦デビューを果たした2年秋は5試合に登板し、9回3分の1を投げて防御率0.00をマーク。3年春も無失点を継続した。ただ高校時代の最速をなかなか更新できず、右ひじのコンディションが万全でなかった3年秋はリーグ戦のベンチに入ることさえできなかった。成長すること、結果を出すことに精一杯で、掲げたテーマに沿った言動ができるようになってきたのは、最上級生になった今春になってからだ。
練習中から他の選手との会話を増やし、後輩からの質問に対してはすべて親身になって答える。気付いたことがあれば躊躇(ちゅうちょ)なく指摘するし、逆に後輩から言ってもらえる環境も作ろうとしている。コミュニケーションはチームの外でも怠らない。今オフは同じリーグに加盟する東北大学の投手から食事面の相談を受け、東北大のアナリストを通して自身の知識や経験を伝える機会もあったという。そして冒頭のような試合中の「流儀」も、ようやく貫けるようになってきた。
2度目のドラフトイヤーは失敗を恐れない
プロ野球を志し始めたのは小学生の頃。父・亮さんが西岡剛(元・千葉ロッテマリーンズなど)の兄と同級生だった縁で、オフシーズンに西岡や中田翔(現・読売ジャイアンツ)らが大阪府内で行っていた自主トレに毎年顔を出していた。一流選手とキャッチボールをしたり、食事をともにしたりする中でプロ野球選手特有のオーラを肌で感じた。自身2度目のドラフトイヤーを「子どもの頃からずっと、目指すところはプロ野球。プロに行きたい気持ちは強い」という思いで過ごしている。
1度目のドラフトイヤーとは心持ちが大きく異なる。「プロでは活躍しないとごはんを食べていけない。正直今のままでは(活躍するのは)無理だと思う」と胸の内を明かしつつ、「でもそれに対して焦りはなくて、失敗が許される学生のうちにいろいろなことにチャレンジしよう」。グラウンド内外の言動のみならず、体や食にも気を遣いながらリーグ戦を戦っている。技術の向上だけがプロへの近道でないことを、今の北畑は知っている。
「野球は人がいてのスポーツ。練習ではどうにもならない人間的な部分が大事だと、やっと分かるようになった。今も勉強しながら、野球をしています」
5年前の夏、北畑の熱投は甲子園の大観衆を沸かせた。あの時とは違う北畑の姿もまた、多くの野球ファンの心を打つはずだ。