野球

早大・伊藤樹「とにかくゼロで」エースがこだわるきっかけとなった仙台育英時代の一戦

大学日本代表に初めて選出された早稲田大学の伊藤樹(撮影・恵原弘太郎)

全日本大学野球連盟は6月24日、7月にチェコとオランダで開催される国際大会の大学日本代表24人を発表し、早稲田大学のエース右腕・伊藤樹(たつき、3年、仙台育英)が初めて選出された。高校時代に味わった悔しさを力に変え、目標とする「ドラフト1位」への階段を駆け上がっている。

自慢は「投手としての総合力」

この春、マウンドで文字通り「仁王立ち」した。

チームに7季ぶり47度目の栄冠をもたらした東京六大学春季リーグ戦では、リーグ最多の54回と3分の1回を投げて防御率1.49の好成績を残した。プロ野球のロッテなどで投手として活躍し、普段は辛口な小宮山悟監督に「(エースナンバーの)11番を渡して良かった」と言わしめた。

「投手としての総合力」が自慢だ。常時140キロ中盤を記録する速球はスピンがきいている。相手打者を見る観察力が武器で、カットボール、スプリット、カーブなどで的を絞らせない。今季は足の上げ方などを工夫し、平均球速と制球力を上げた。

全日本大学野球選手権で大商大を完封し、拳を握った(撮影・大宮慎次朗)

秋田県出身。高校、大学と野球エリートの経歴を歩み、世代を代表する右腕となった。だが、仙台育英高校のころは幾度となく負けた。「結構沈んでいた感じです」と笑いながら振り返る。

それは2019年、同校が東北勢初の全国制覇を果たすちょうど3年前のことだ。

打線が良くて「1点OKという意識もあった」

中学時代は軟式の全国大会で準優勝していた伊藤は、1年夏にして甲子園の土を踏んだ。すでに最速140キロ超の速球に、縦横の変化球を備え、完成度の高い投手だった。

高校1年生の夏には甲子園のマウンドに立った(撮影・小林一茂)

それでも全国高校野球選手権の準々決勝は星稜高校(石川)打線に屈した。先発で送り出されたが、満塁本塁打を浴びて二回途中5失点でKO。1-17で大敗した。積み上げてきた自信を打ち砕かれ、ショックで投球フォームが崩れた。その秋には「野球人生初」というベンチ外も経験した。

新型コロナウイルスの影響で春夏の甲子園大会などが中止になった1年間を経て、春夏連続の甲子園出場をかけて3年夏の宮城大会に臨んだ。公立の古豪、仙台商業との4回戦。三回に押し出しと犠飛で2点の先取点を与え、五回途中で降板した。2-3で敗れ、最後の夏が終わった。チームにとって県内の公式戦で敗れるのは4年ぶりのことだった。

高校3年生の夏には、県大会で敗れ甲子園出場はできなかった(撮影・白井伸洋)

今ならば、冷静にあの日を語れる。

「やっぱり(味方の)打線が良かったんですよ。『なんとかしてくれる』って思っていたからこそ、1点OKという意識もあった。でも、1点差で負けてしまったので。あの1点いらなかったなとか、安易にあげてしまったなとか、悔しい部分ですね」

高卒プロ入りがかなわなかった悔しさ、今は結果に

それは今、エースとしてのこだわりにつながっている。

「『点を取られなければ負けない』という思いは、自分の中ですごく大事にしている。とにかくゼロで、というのはずっとあります」

今季の投球は、その言葉通りだった。援護点がない試合になるほど、伊藤はマウンド上で粘り、スコアボードに0を刻んだ。

優勝を争った明治大学との3回戦は、11回147球で完封勝利。全日本大学選手権の2回戦では大阪商業大学を相手に1人で投げ抜き、延長10回タイブレークを1-0で制した。

今季は負けなし。エースとしてのこだわりを持つ(撮影・大宮慎次朗)

今春に登板した公式戦10試合で、一度も負けなかった。

伊藤を高校時代から見ていた筆者には、一つ気になっていたことがあった。高校までは大きく振りかぶって投球動作に入っていたが、大学ではノーワインドアップに変化していた。

「僕の中では結構、芯をもってやっていたんです。ワインドアップってかっこいいじゃんって。でも、大学に入ってからはほぼやっていないです。やっぱり長いイニングを投げることを考えたら、しない方がボールが安定するので」

そして、少し大人びた表情で、飛躍の要因を語った。「本当は高校を卒業して、ドラフト1位で(プロに)行くんだって思っていました。それが、思うようにいかなかった。その悔しかったところが今、少しずつ結果として表れているんじゃないかな」

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