野球

早稲田大・尾瀬雄大 小さな頃から憧れ抱く大舞台で躍動した「不動のリードオフマン」

東京六大学春季リーグで首位打者に輝いた早稲田大の尾瀬雄大(高校時代を除きすべて撮影・井上翔太)

東京六大学春季リーグ戦を7季ぶりに制した早稲田大学で、尾瀬雄大(3年、帝京)は「不動のリードオフマン」として、打率4割7分9厘をマークし、初の首位打者に輝いた。小宮山悟監督も「12試合をやって第1打席で8回も出塁しているって、なかなかできないこと」とチームのMVPに尾瀬の名前を挙げる活躍ぶりだった。

勝ち点5「完全優勝」の早稲田大学 原動力は守備、当たり前の「球際」を広げた猛練習

小宮山悟監督の「MVP」に、思わずガッツポーズ

早稲田大が勝てば、47回目の優勝が決まる慶應義塾大学との「早慶戦」2回戦は、尾瀬の今季の充実ぶりを象徴しているようだった。一回の第1打席で中前安打を放って出塁すると、同点に追いついた直後の二回2死一、二塁では右翼線に勝ち越しの二塁打。1点リードの五回には先頭で打席に立ち、大量得点の口火を切る右越えソロ本塁打を放った。

あと三塁打が出れば、サイクル安打を達成するところだったが、本人はまったく意識していなかったという。打者一巡となったこの回は左前安打も放ち、本塁打を含む1イニング2安打。打率を一時、5割にまで乗せた。

リーグ最終戦では、打率が一時5割に乗った

「1番バッターとして、最初の打席をすごく意識しています。この日も今まで通り、ヒットで塁に出ることができたので、その後、試合の流れを持ってこられたのかなと思います」と12-2で快勝した早慶戦を振り返るとともに、試合後の優勝チーム会見で小宮山監督からチームMVPと聞くと、その場で思わずガッツポーズ。「普段はあまり褒めてもらえていないので、すごくうれしいです」と喜びがあふれた。

前田三夫さん「最後の夏」世代として

尾瀬にとって早慶戦は、小さな頃から憧れた舞台だった。実際に神宮球場へ足を運んだこともあり、「あんまりはっきりとは覚えていないのですが、確か中村奨吾さん(現・千葉ロッテマリーンズ)や有原航平さん(現・福岡ソフトバンクホークス)がいた世代だったと思います」。この2人が4年生だったのは、2014年シーズン。計算すると、尾瀬はこのとき小学校5年生だ。

早慶戦は小さなころからの憧れの舞台だったという

高校で甲子園、大学で神宮といった大舞台をめざすため、尾瀬が中学硬式野球の武蔵府中リトルシニアで練習していたとき、帝京高校を1972年から率いた前田三夫さん(現・名誉監督)の目に、その姿が留まった。「ティーバッティングをしていたんだけど、体の使い方が上手で、鋭いスイングをしていた」。帝京高校に来てほしいという思いもあったが、本人は早稲田実業を志望した。「学校の成績もいいし、早実に行くものだと思って、一時は諦めました」と前田さんは振り返る。

だが、受験の結果は不合格だった。帝京に進むと、それまでは内野を守っていたが、よりバッティングの能力を生かすため、外野にコンバートされた。前田さんにとっても、尾瀬にとっても「最後の夏」となった2021年。第103回全国高校野球選手権東東京大会では「4番センター」として、準決勝で二松学舎大付に敗れるまで全試合出場。「4番のタイプではないけど、右にも左にも打てるし、長打も出る。試合に出ると、『ここ一番』のところで必ず打つ選手でした」と前田さんは尾瀬を評する。

帝京高校時代から「『ここ一番』のところで必ず打つ選手」だった(撮影・瀬戸口翼)

「1球目から100%のスイング」を

早稲田大では、1年春の立教大学戦でデビュー。代打としてリーグ戦初打席に立ち、初安打をマークした。2年の春から1番打者に定着し、このシーズンは打率3割4分7厘。その後も、金森栄治・助監督からの「ボール球を振らないこと、普段の練習から低く強い打球を打つこと」といった指導を体に染みこませ、安定した成績を残している。「自分は長打を打つバッターじゃない。1番バッターとしてヒットを打って、塁に出ることが役割ですし、長所でもあります。とにかく『低い打球を逆方向に』という意識で練習しています」

本人が重要視している第1打席は、「1球目から自分の100%のスイングができるか」と自らに問いかけ、ウォーミングアップの段階から準備している。実際に早慶戦の試合前も、ベンチ前で入念にバットを振り、ビジョントレーニングにも励む姿があった。「どんなときでも自分のスイングが迷いなくできるように、毎日振り込んでいます」。ずっと目標にしてきた首位打者のタイトルをついにつかみ取り、ベストナインにも選ばれた。

1球目から100%のスイングを出すため、ビジョントレーニングに励んでいる

前日の第1戦を観戦していた前田さんは、尾瀬が4打数1安打だったにもかかわらず「翌日は打つ」という予感がしていたという。「ほとんどバットの芯でとらえていたし、体もキレていましたから」。高校時代から厳しい練習を乗り越えるだけでなく、学業にも一切の手を抜かなかったという教え子をたたえた。

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