早稲田大・加藤孝太郎 指定校推薦から入部、小宮山悟監督に見いだされた、ある雨の日
プロ志望届を提出した早稲田大学のエース・加藤孝太郎(4年、下妻一)。高校時代は県16強が最高成績で、早大には指定校推薦で入学した。当初は大勢いる新入部員の一人に過ぎなかったが、ある雨の日の投球が野球人生を動かした。無名だった加藤を見いだしたのは、小宮山悟監督だった。
ストレートの質にこだわり、制球力に自信
加藤の持ち味は、ホームベース上での強いストレートと精密なコントロール、さらには多彩な変化球を操る投球術だ。東京六大学野球リーグでは、今秋の第5週終了時点で通算防御率2.05と抜群の安定感を誇っている。3年秋には最優秀防御率のタイトルを受賞した。
ストレートの最速は147キロ。今では高校生でも150キロに達する投手が少なくないなか、数字的には速い部類ではない。ただし、ボールの「回転数」はプロの平均と言われる2200から2300。注目すべきは「回転軸」で、ストレートのときの傾きが、ほとんどないという。伸びがあるだけでなく、シュート回転をする確率が低く、長打を喫することも少ない。
「ストレートの質にはかなりこだわりがあります。目指しているのは、岸孝之投手(現・東北楽天ゴールデンイーグルス)のストレートのような、きれいな回転のボールです。キャッチボールの時から、シュート回転をしないように、相手の右肩側に引っ張ってくるイメージで投げてます」
制球力には自信を持っている。右打者のアウトローは、ストライク、コースぎりぎりのストライク、ボール1つ外れるところと、横に三つの出し入れができる。高低も効果的に使い、ストレートが浮いているように見える時も、実は次に投げるボールの布石なのだ。加藤は「基本的に捕手のサイン通りに投げていますが、打者の反応を見て投げることもあります」と言う。
軌道が似ているシュートとツーシームの投げ分けもする。「シュートは右打者の胸元に食い込ませたいときに使います。左打者のときは、シュートだとバットに当てられる可能性があるので、シュートの軌道から斜め下に沈んでいくツーシームを投げることが多いです」。
中学時代から東京六大学に憧れていた
野球を始めたのは小学1年の時。父・孝雄氏(旧姓は下原)の影響だ。孝雄氏は1988年夏の甲子園に鹿児島商業高の遊撃手として出場。立命館大学に進み、社会人野球の神戸製鋼でもプレーした。
「ただ、父から仕込まれたというよりは、自分がやりたかったので。毎日のように父にノックをせがみ、マンツーマンで打ってもらってました」
グラブ片手に孝雄氏が打った打球を捕球し、リズム良くスナップスローで返す。小学5年まで内野手だった加藤は、この動作をひたすら繰り返した。手首をしなやかに使う現在の投げ方は父とのノックを下地に作られたようだ。
小学6年で投手になった時、所属チームの監督でもあった孝雄氏から言われたのは、「コントロールが良く、四球が少ない投手は守りやすい」ということだった。野手視点からのアドバイスで、この言葉も「投手・加藤」を形作っていった。
つくば中央シニアに所属していた中学時代は、主に遊撃手だった。「練習試合では投げてますが、公式戦での登板はありません」。チームが強く、加藤たちの代は春、秋とも関東大会に出場。仲間の中には強豪から声がかかった選手もいたが、細身で下位を打っていた加藤にそういう話は来なかった。「全く普通の選手でしたから」。もともと野球で高校を選ぶつもりもなかったという。目指していたのは県立の進学校で、野球にも力を入れている下妻一高だった。
大学進学を見据えてのことだった。加藤は中学時代から東京六大学でプレーしたいと願っていたという。
「小学生の時から東京ヤクルトスワローズのファンで、よく神宮球場に通っていたんです。それで東京六大学の存在を知りまして。スワローズと同じ神宮で試合をしているのか、と。中学3年の時、(明治神宮外苑創建90年記念奉納試合として2016年11月に行われた)スワローズと東京六大学選抜の試合を見て、気持ちが固まりました。もちろん、甲子園にも憧れてましたが、思いはそれよりも強かったですね。ですから、東京六大学への進学実績が高いところ、それが高校選びの判断基準になったんです」
高校で球速20キロアップ、大学入学までにさらに5キロ
高校からは投手に専念した。入学時は身長が160cm台で(現在は180cm)、球速も115キロくらいだったが、1年秋からエースに。いまと同じ、制球力を生かした頭脳的な投球が評価されてのことだった。球速は冬からの身体的な成長と、進学校ながら平日は夜8時まで行う練習の成果で、ぐんぐん上がっていった。高校3年夏には135キロをマーク。2年数カ月で20キロもアップした。
最後の夏を16強で終えると、すぐに指定校推薦の試験に向けて勉強を始めた。高校でも野球中心の生活だったが、加藤は2年時、3年時と学業成績がオール5だったという。東京六大学の舞台に立つため、どんなに練習で疲れていても、授業に集中していた。
一方で、高校野球の引退後もほぼ毎日、練習を続けた。週末は現役部員と一緒に、同じメニューをこなした。スイッチが入ったのは、早大の指定校推薦に合格してからだ。
「果たして自分が、名門の早大の野球部でやっていけるのかと……。すごく不安で、危機感があったんです。とにかく最大限の準備をするしかない。その一心でした」
緊張感を持ちながら練習に取り組んだ成果だろう。ストレートの最速が5キロ上がり、140キロになった。高校野球引退後に上積みしたのである。
加藤はこの時期も勉強をおざなりにはしなかった。下妻一では全生徒が「センター試験」(現・大学入学共通テスト)を受ける。指定校推薦での早大進学は決まっていたが「それにふさわしい得点は取っておきたかったのです」。何事も妥協をしないのが加藤なのだ。
プロ入りした2人の先輩が手本に
やれることは全てやった。そのつもりだった。しかし、いざ早大野球部に入ると、想像以上にレベルが高かった。
「4年生には早川隆久さん(現・東北楽天ゴールデンイーグルス)がいましたし、同期にも(3年春の)選抜大会で全国優勝した熊田任洋(4年、東邦)ら、高校時代に有名だった選手が何人もいました。熊田は、新入生初練習の日、すでにオープン戦に出てまして。同期なのにすごいな、という目で見てました」
入部後はほぼ走るだけの日々が続いた。そんな中、ある雨の日に室内練習場で投球練習をする機会があった。投げていると、視線を感じた。加藤のピッチングをじっと見ていたのは、NPB通算117勝の小宮山監督だった。その制球力が、現役時代に「投げる精密機械」と呼ばれた小宮山監督の眼鏡にかなったのだろう。「先輩から『小宮山監督が褒めていたぞ』と伝えてもらいました」
加藤は1年夏からAチームに加わり、秋のリーグ戦からベンチに入った。「入部当時を思えば、まさかこんなに早く……という感じでした」
2年春にはリーグ戦の初マウンドを踏んだ。その年は春、秋とも救援での登板だったが、3年春にはシーズン途中から1回戦の先発に定着し、リーグ2位の防御率をマークした。加藤の成長に影響を与えたのが、2人の先輩投手だった。ともに2学年上の徳山壮磨(現・横浜DeNAベイスターズ)と西垣雅矢(現・東北楽天ゴールデンイーグルス)である。
「いつも一緒に練習をやらせてもらってました。徳山さんからは『調子が悪い時こそ大事』と、西垣さんからは『時に大胆に投げることも必要』と教えてもらいました。2人ともプロに行っただけあって、普段の姿勢からもたくさんのことを学ばせてもらいました」
プロを初めて意識したのは2年前のドラフトの時。「寮の部屋で西垣さんと一緒にドラフト中継を見てまして。西垣さんが指名された瞬間にも立ち会い、2年後は自分が、と」
2020年秋以来の優勝を目指す早大は、第5週終了時点で3位。残り2カード、1試合も落とせない状況が続く。
「何が何でも優勝したいです」
ワセダのエース番号「11」を背負う右腕は、言葉に力を込める。ドラフト指名と天皇杯の両方を手にするつもりだ。