早稲田大・熊田任洋 好影響を与えたセカンドへの一時的コンバート、迫る「運命の日」
東邦高校時代に3年春の選抜高校野球大会で優勝を果たし、早稲田大学では1年春からレギュラー。熊田任洋(とうよう、4年)の野球人生は順風そのものだったが、1年秋から3年春までは思うような結果を残せなかった。それでも3年秋に高打率をマークして復活すると、以降は攻・走・守のすべてで高いレベルを見せている。
1年春からレギュラーだったゆえの苦しみを乗り越え
熊田は高校でも大学でも、1年生の時からショートのレギュラーを張ってきた。春夏通じて48回の甲子園出場を誇り、春は歴代最多の5度優勝している東邦高校では、1年夏に定位置を獲得。東京六大学リーグ最多タイの優勝回数(46)を誇る早稲田大学では、1年春からスタメン出場を果たしている。
「(名門で)1年生から試合に出るのは、やはり重圧があります。ただ、そうした中で高、大と1年からレギュラーだったのは、プライドになっているのも確か。大学では1年秋に先輩方に交じって優勝を経験できましたが、それも誇りですね」
熊田は大学で1年春、秋とも全試合に出場。春は打率2割7分8厘、秋は2割5分と、1年生ショートとしては及第点の数字を残した。2年になると、周囲は当然のように1年時からの上積みを期待した。むろん、本人もそれに応えようと意気込んだが、以降の3シーズンは1年時の成績を大きく下回ってしまった。
「苦しかったですね。野球をやめたい、と思うほどでした。1年の時以上の結果を残さないと……という気持ちが強すぎたようです。打撃でのタイミングがつかめず、なかなかバットの芯でとらえられませんでした」
1年春からレギュラーだった者しかわからない重責が、自然体で打っていた熊田の打撃を狂わせてしまった。
ようやく本来の姿を取り戻したのは昨年の秋だった。リーグ6位の高打率3割4分2厘をマークし、ホームランも3本放った。副主将となった今春も好調で、打率は2季連続のリーグ6位。無失策だった守備も評価され、初のベストナインに選ばれた。
バッターとして理想としているのは、同じ左打者の吉田正尚(レッドソックス)とブライス・ハーパー(フィリーズ)。「特に参考にしているのが、どんな場面でも自分のタイミングで打てるところですね。少しでも近づきたいと、よく動画を見てます」
打球を想定して1歩目が素早くなった守備
小学生の時は投手兼捕手だった。内野手になったのは、中学で硬式の岐阜青山ボーイズに入ってから。中学では全国大会とは無縁だったが、ポテンシャルが高かったのだろう。複数の強豪私学から声がかかり、進学先に選んだのが東邦だった。
当時の監督は東邦OBで、熊田が卒業した2020年3月まで率いた森田泰弘氏。監督在任16年間で、春夏合わせて7回甲子園に導いた名将から、熊田はショートの重要性を説かれ続けた。定評のある捕球後の滑らかで正確な送球も、東邦で培ったものだ。「森田監督は基本である(ダイヤモンドを使った)ボール回しも重視してました」
東邦時代に培ったことは他にもある。熊田は1球ごとにどんな打球が来るか、常にシミュレーションをしているが、これは東邦のあるOBから教わったことだという。
「投手の投球パターンを踏まえつつ、打者をよく観察して、どんな打球が飛んできそうか想定しておけば、1歩目が変わる、と言われました。来た打球に対応するのではなく、あらかじめ予測をしておけば、1歩目も素早くなり、守備範囲も広がると」
予測も的中し「100点満点」の守備として記憶しているのが1年秋、立教大学2回戦でのあるプレーだ。
「試合終盤、ヒットが出たら逆転されるピンチの場面でした。バッターは(このシーズンの首位打者になった)竹葉章人さん(当時4年、現・Honda熊本)。『この球種なら竹葉さんの打球はここに飛んでくる』と、打つ直前にほんの少し動いたんです。すると、その通りの方向に飛んできまして。抜けそうな打球をグラブにおさめ、アウトにすることができました。動いていなかったら、外野に抜けていたと思います」
太平洋のように広大なところを任される人に
中学からショート一筋だった熊田が、セカンドを守ったのが3年秋だった。「チーム事情です。小宮山悟監督から(将来的なことを考えたら)二塁も守れたほうがいい、と告げられまして」。初めてのポジションではあったが、無難にこなした。セカンドでいつもと違う景色を見られたことは、4年春に再びショートへ戻った時にも生かされたという。一時的なコンバートは打撃にも好影響を与えたのか、前述の通りこのシーズン、初めて打率3割をマークした。
ショートという難しいポジションを守りながら、失策が少ない熊田。好守を支えているのが、捕球面が浅めの内野手用グラブだ。「打球が引っ掛かりそうなので」と、ウェブ(親指と人さし指の間にある部分)は高校時代からクロス形状が好み。新品をリーグ戦で使えるようにするまでに3カ月ほどかかるという。
任洋(とうよう)という名前には、「太平洋のように広大なところを任される人になってほしい」という両親の願いが込められている。「いまは野球選手として、守備範囲の広いショートを任されているわけですね」と問いかけると、「まあ、そうですかね」と照れくさそうに笑った。
高校同期・石川昂弥の「現在地」が刺激に
高校3年の春に選抜を制した時、同級生でエース投手だった石川昂弥(現・中日ドラゴンズ)は高卒でプロへ。4年目の今季は121試合に出場して13本塁打を飛ばし、レギュラーの座をつかんだ。大学入学後、プロを目指してやってきた熊田にとって、オフは必ず会う仲でもある石川の「現在地」は刺激になっている。
今年初めて選ばれた侍ジャパン大学日本代表チームでも、刺激を受けた選手がいた。明治大学の不動のショート・宗山塁(3年、広陵)である。
「一緒にノックを受けたんですが、間近で見て、あらためて無駄な動きが少ない選手だなと。バッティングもコンパクトに振っているのに、スピンがよくかかった打球が打てる。参考になりましたね」
熊田の最大の売りは総合力の高さだ。打撃は広角に打ち分ける一方で、リーグ戦の通算本塁打が8本と長打力もあり、セーフティーバントも決める。走ることにも貪欲(どんよく)で、4年春には4盗塁を記録。守備についてはこれまで述べてきた通りであり、攻・走・守の能力がいずれも高いレベルでそろっている。
早大は今秋、明治大学とのカードで勝ち点を落としたが、その後は4連勝。優勝の可能性を残したまま、最終週の早慶戦に臨むことになった。ドラフト会議は1回戦の前々日。「運命の日」を終えた後に「大一番」が待っている。