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連載:監督として生きる

飛田先生から受け継ぐ「一球入魂」の精神 早稲田大野球部・小宮山悟監督(中)

飛田先生が捕獲したとされる鳥の剝製(はくせい)を見つめる小宮山監督(撮影・佐伯航平)

東京六大学野球の秋のリーグ戦が9月14日に開幕します。連載「監督として生きる」の第8弾は、今年から早稲田大学野球部の監督となった小宮山悟さん(53)です。3回の連載の2回目は小宮山さんが早稲田の野球部時代に出会い、大きな影響を受けた恩師、そして野球部に受け継がれる「一球入魂」の精神について語ってもらいました。

「お前に託した!」の言葉で就任決めた

小宮山さんはプロ野球千葉ロッテマリーンズにいた2009年シーズンを最後に、現役を退いた。そして12年から14年まで母校の野球部で特別コーチとして投手陣の指導にあたった。その後、稲門倶楽部(野球部OB会)の副会長を務めて現役学生をサポートしていたころ、神宮球場で早稲田のOBやファンからの厳しい言葉を耳にした。
「ネット裏で試合を見てくださっているOB、ファンといった早稲田大学野球部を応援してくださる方々から、辛辣(しんらつ)な言葉が飛びかうような状況だったんです。副会長として何かやれることはないだろうかと考え始めていた矢先に、(稲門倶楽部の)望月博会長から『(次の監督は)お前に託した! 頼んだぞ!』と言われたものですから『お引き受けします』と。あの背筋が伸びる感じは、なかなかないですね」

2005年のプロ野球アジアシリーズで力投(撮影・加藤丈朗)

1901年に創部し、東京六大学野球リーグで過去45度の優勝、6度の大学日本一(大学選手権5度、明治神宮大会1度)を誇る早稲田大野球部。数多くの人材を日本の野球界に送り込んできた。しかし、2015年春秋のシーズンを連覇して以来、優勝を逃している。2017年秋には70年ぶりの最下位(東大と同率5位)に沈んだ。昨秋まで4年間チームを率いていた高橋広監督(現・神戸医療福祉大監督)の任期満了に伴い、今年1月1日付けで小宮山さんが第20代監督に就任した。

小宮山さんは早稲田でリーグ戦通算20勝を挙げ、最終学年では第79代主将を務めた。1989年秋のドラフト1位でロッテに入団。横浜を経て2002年にはMLBのニューヨーク・メッツでもプレーした。04年から再びロッテで投げ、09年シーズン限りで引退した。NPBでは通算117勝141敗4セーブ、MLBでは0勝3敗だった。

現役時代から理論派として知られ、06年からはプロ野球選手でありながら早稲田の大学院スポーツ科学研究科に通った。大学院では投球フォームに関するバイオメカニクスを学び、08年に修士号を取得している。

プロの選手時代に大学院にも通った(撮影・佐伯航平)

早稲田で出会った伝説の監督

小宮山さんは決して野球エリートではない。芝浦工大柏高(千葉)から2年間の浪人生活を経て、1986年に早稲田の教育学部に進んだ。高3の夏に早稲田の練習会に参加した際、キレのいいボールを投げ込み、先輩たちから絶賛された。「頑張れよ」「待ってるぞ」と言ってもらえたことで早稲田の受験を決意。浪人中に図書館で早稲田の野球部関連の書物を読みあさり、「何としても早稲田で野球をやりたい」という思いを強くした。晴れて入学し、入部した2週目にレギュラー組に抜擢(ばってき)され、早慶戦のベンチ入りを果たした。秋の早慶戦ではリーグ戦初登板も経験する。

「レギュラー練習に入れてもらったのは本当に弱かった時期でしたから、『このチームでとにかく頑張らなきゃいけないんだ』っていう責任感みたいなものを背負い込みましたね。あこがれてたものが、あこがれを通り過ぎたところに身を置くようなことになったんで。そもそも千葉でもそんなに強い高校じゃなかったわけですから、早稲田の野球部に入ったところでレギュラーになれるなんてこれっぽっちも思ってなかったのに……」

早稲田でレギュラーになれるなんて思ってなかった(撮影・佐伯航平)

リーグ戦初勝利を含む3勝を挙げた2年生の秋のシーズンを終えたところで、「伝説の監督」「鬼の連藏」の異名を持つ石井連藏氏が監督に復帰した。石井監督は1958~63年にも監督を務めており、2度目の就任だった。60年の秋、早稲田は「伝説の早慶6連戦」を戦って逆転優勝した。慶應が早慶戦で勝ち点を取れば優勝という不利な状況から、早稲田が2勝1敗で勝ち点を奪い、早慶が同率で並んで優勝決定戦にもつれ込んだ。2試合続けて引き分けたあと、早稲田は再々試合に勝利し、大逆転優勝を飾った。このとき早稲田を率いていたのが石井監督だ。

石井監督は、野球部の初代監督であり「日本野球の父」と呼ばれる飛田穂洲(とびた・すいしゅう)氏の水戸中学(水戸一高)の後輩で、早稲田野球の神髄を知る厳しい指導者だった。石井監督が復帰した当時、早稲田は10シーズンも優勝から遠ざかっていた。「弱いチームは練習しなければ勝てない」と、石井監督は猛練習を課した。ピッチャーが1日に500~600球を投げ込むのは当たり前。毎日「死ぬ覚悟」で練習に臨んだという小宮山さんは、3年生の春と秋、4年生の春と秋の計4シーズンで17勝を挙げた。在学中にリーグ優勝はできなかったが、小宮山さんが卒業した年、1990年春のリーグ戦で早稲田は15シーズンぶりの優勝を果たす。

飛田先生は日々、こうして早稲田野球部の練習を見つめている(撮影・佐伯航平)

一球に魂を込め、隙のない野球を

石井監督から教わったことの中で大切なのは「絶対に隙(すき)を見せないこと」だという。小宮山監督も、飛田監督の「一球入魂」という言葉を掲げ、目の前の一球に魂を込めた隙のない野球を目指している。

「僕がいま早稲田の学生たちに説いているのは、とにかく目の前にある一つのプレーに集中しなさい、と。そのことで一喜一憂する。これがスポーツなので、喜びや悔しさを爆発させてもいい。ただ、ことにあたるに対して準備を怠るなということ。準備を怠っておきながら『やられた』と悔しがるのは本末転倒。すべての準備をぬかりなくやった上でやられたのなら、それは力不足だということがはっきりする。それならもっと練習しなければいけない。そういう話です。突き詰めていくと、早稲田で飛田先生が唱えた『一球入魂』につながっていくと思ってます」

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