野球

創部初の全日本大学野球選手権ベスト4 東農大オホーツク・三垣勝巳監督の挑戦

網走での取材日は抜けるような晴天。三垣監督は終始笑顔で応じてくれた(撮影・藤井みさ)

6月の全日本大学野球選手権で、東京農業大学北海道オホーツク(北海道網走市)は16回目の出場で過去最高のベスト4まで勝ち進んだ。躍進のカギはどこにあったのだろうか。チームを率いて2年目の三垣勝巳監督(39)に、網走での歩みとチームの躍進について聞いた。

16歳のときから進学先は決まっていた

三垣監督はPL学園高(大阪)出身。卒業後は東農大生物産業学部(現・北海道オホーツク)に進学。その後は三菱ふそう川崎で6年間プレーした。休部にともない三菱自動車岡崎に移籍し、3年間プレー。1年間社業に専念したあと、東農大オホーツクの前監督である樋越勉氏に誘われ、同校コーチに。2017年11月に樋越氏が退任するのに伴い、監督となった。就任2年目で北海道リーグを制して、大学選手権への切符を手にした。

三垣監督と東農大オホーツクの接点は、三垣氏が16歳のときにできた。PL学園のグラウンドを訪れた樋越氏が、まだレギュラーにもなっていない三垣少年に惚(ほ)れ込み「どうしてもうちのチームにほしいから、彼が3年生になってどんな選手になっていてもいいから、うちに預けてください」と、三垣の両親にあいさつに来たという。「あとで監督に『なんで自分だったんですか』って聞いたら、『目がよかった』って言われました。自分ではあんまり分からんのですけどね」

大阪から遠く離れた網走へやってくると、チームメイトから「あのPLから来たヤツだ」とささやかれた。「いるだけで鼻につく」と、周りから思われていたこともあったという。「その雰囲気が分かったので、まずは1年生の仕事、片付けとか洗濯とかを一生懸命やりました。サボってる人の分もね(笑)。ひたすらやってると『あれ、コイツちゃんとやってるやん』って、だんだん信頼してくれるようになったんです。人間的に信用してもらえると、プレーでも信頼してもらえるようになる。そのころから『どういうふうに行動したら、発言したら人がついてくるのか』というのは考えて動いてました」

練習を見守る三垣監督。「あんまり細かいプレーの指導とかはしないですね」(撮影・藤井みさ)

もともと「おせっかい」だという三垣監督。どうしても人のことをほっとけない、自分だけがよければという考えではダメ、と思っていたという。「そういう人は選手としては大成しないんですよ。プロには行けないですね」と笑う。大学3年生のときからチームをまとめる役割を任され、4年生ではキャプテンとなった。結果的に30歳になっても現役を続けられた。「ほんとに、人には恵まれてました」

リーグ出だしの2連敗で「心折れた」

樋越氏からチームを引き継いで1年目の昨年は、三垣監督と選手の双方に戸惑いがあったという。「監督として覚悟を持ってやるのに1年かかりました。去年の4年生には申し訳ないことをしたと思います」と振り返る。今年のチームは4年生のまとまりが非常によく、とくにキャプテンの田辺直輝(4年、佐久長聖)と副キャプテンの松本大吾(4年、桐生第一)が率先してチームを引っ張る。「今年こそさあやるぞ! と思った矢先に(春のリーグ戦で)出だしから2連敗して、僕のほうが完全に心が折れたんです。折れそうになったんじゃなくて、実際に折れたんです(笑)。この子たちに勝たせてあげられないのは俺の責任やな、と思って。でも田辺と松本が『監督、まだまだいけます』と言ってくれて。彼らがいなかったら、絶対にここまでこられませんでした。今年の4年生はずば抜けた選手はいないんですが、本当に僕の思いを汲(く)んでくれてるなと感じます」

2年ぶりの大学選手権で堂々たる投球をみせた林虹太(撮影・佐伯航平)

2連敗のあと立ち直ったチームは8連勝。旭川大とのプレーオフに進んだ。「このときばかりは『絶対に勝ちきれ!』と言いました。ここで勝つのと負けるのは雲泥の差。PL時代のことを思い出して『大事なときに勝たなきゃいかんぞ!』と」。そして同点の延長12回、松本がサヨナラヒットを放ち、2年ぶりに大学野球選手権への出場権を手にした。

全国では「俺が俺が」ぐらいでもいい

大学野球選手権では初戦から延長タイブレークになったが、「なるようにしかならない、という気持ちでいました。『勝ちたい』というよりは『流れ的にはこうなってるよ、さあここからどうやって返す? やってみなさい』という気持ち。このときは、勝ち負けに雲泥の差があるとは思ってないんですね。全国に出てる先輩から言わせると『俺が俺が』ぐらいでいいんじゃない? 『ここで打って明日新聞載るぞ』ぐらいの気持ちでやったらいいんじゃない? って言ったんです」

監督として常々「自分勝手な考えや行動はいけない」「人の気持ちを踏みにじることはだめ」「応援してくれている人にどのように返せるかを考えろ」「声出したからって何が変わるの? と思っているような選手はいらない」といった言葉で、謙虚であれと選手に言い続けている。だが全国の舞台では「がっついてほしい」と思ったという。「いまの子たちって、そういう部分が欠けてるなと思うこともある。だからこそチャンスがあればトライしていって打てれば自信がつくだろうし、もし失敗してもいい経験になるはずなんです」

大学選手権では監督自らマウンドに足を運ぶ場面も(撮影・佐伯航平)

そして全国の舞台で思い切ってプレーしてほしい、という言葉の中には、こんな意図もあった。「ゲームになって緊張するのって、本当にもったいないことなんです。練習で苦しんだら、ゲームなんて楽しんでやるだけ、あとは打つだけ、ってなるはず。そこまで自分で自分を追い込んで練習できてるか、というのを伝えたい気持ちがありました」。監督の言葉が伝わり、大舞台でものびのびとプレーした選手たち。とくにリーグの首位打者にもなったブランドン大河(3年、石川)と、1年生ながら先発投手を任されている林虹太(佐久長聖)の活躍が光った。

準々決勝では7回コールドで勝ちをおさめ、16回目の大会出場にして初のベスト4に。準決勝ではこの大会優勝することになる明治大学と対戦し、7回まで1対1と粘るも、8回に4点を取られて5対1で敗戦。明大はやはり強かったですか、と聞いてみると「六大学には、やはり甲子園で名を成した選手がゴロゴロいますよね。明治大学も個人のレベルはすごく高いと感じました。でも1回戦ったことで、いくらすごいといっても同じ大学生だし、というのも実感できて、名前負けしなくなったんじゃないかなと思います」

なぜこの練習をするのか、いまやるのか。それを考えてほしいという(撮影・藤井みさ)

そしてこう続ける。「今回ベスト4になったから『秋もベスト4の力を維持していこう』なんて思ったら大間違いです。勘違いしたらダメ。一回ゼロにしていかないと。メンバーだけじゃなくて、応援してる子の中にも勘違いしてプレーが横柄になってる子もいたので、一回しっかり締め直して『なぜここで苦しむのか』ということを考え直そう、とは伝えました」

大学選手権で打線の中心となった3年生のブランドン大河(撮影・佐伯航平)

「超二流」を目指してほしい

三垣監督はいつも選手に「超二流になろうぜ」と言っている。「いまのこのチームの選手の実力からいったら、一流ではないかもしれない。でも二流でも、“超二流”になれば一流を超えられる、勝てるんだぞ、ということを伝えてます」

いま、110人いる部員の9割が道外から来ている。「わざわざ全国からこんな不便なところに野球をしに来てる。ここでは対外試合もなかなか組みづらくて、環境的にもなかなか難しいというのがあります。だからこそ、このチームで全国の強豪を倒すということにすごく意味がある。それから、選手たちにはこの4年間でいかに大人になるか、いかに人のためになることができるかということも考えてほしいんです。人として成長することが、野球のプレーの成長にもつながると思います」。自身もここで4年間を過ごしたからこその言葉だ。

練習グラウンドにある「全国制覇」の文字は、毎日全員が目にする(撮影・藤井みさ)

誰よりも選手のことを考え、涙もろい三垣監督。大学野球選手権の期間中に39歳の誕生日を迎え、選手たちにサプライズで祝われた際のこと。「びっくりするやんか~、とか言いながら、実はこっそり泣いてたんです(笑)」と教えてくれた。

全国の4強までは来た。グラウンドに掲げられた「全国制覇」の目標を現実にするために、これからも網走の地で三垣監督の挑戦は続く。