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特集:第76回全日本大学バスケ選手権

恩塚亨監督が復帰の東京医療保健大は2年連続準優勝「選手たちに心からの感謝と敬意」

相手のタイムアウトに喜びを全身で表現する東京医療保健大学(すべて撮影・井上翔太)

第76回全日本大学バスケットボール選手権大会 女子決勝

12月8日@国立代々木競技場第二体育館(東京)
白鷗大学 111-103 東京医療保健大学

※東京医療保健大は2年連続の準優勝

【写真】女子は4度のオーバータイムの末、白鷗大学がインカレ連覇!男子は15日決勝

終始リードを奪ってきたが、最後の最後であと一歩届かなかった。12月9日に国立代々木競技場第二体育館であった第76回全日本大学バスケットボール選手権(インカレ)の女子決勝。2年ぶりの優勝を狙った東京医療保健大学は4度のオーバータイム(延長戦)の末、白鷗大学に103-111で敗れた。ただ、10月下旬には30点差をつけられた相手に肉薄。恩塚亨監督は再就任からわずかの期間で、チームをここまで仕上げてきた。

10月に再就任が発表された後、わずかな期間でチームを仕上げてきた

スタート5選手はファウルアウトや負傷で最後1人に

「まずは選手たちの最後まで戦い抜く気持ちの強さと努力に、心からの感謝と敬意を表したいと思います。最後の最後で勝利のところまで導けなかったのは、完全に私の導き不足なので、選手たちにはそう伝え、胸を張って帰ってほしいと思います」。大激闘の後、恩塚監督は報道陣の取材に、言葉を選びながら語った。

第1クオーター(Q)から絈野夏海(1年、岐阜女子)や五十嵐羽琉(2年、山形中央)の3ポイントが決まり、主導権を握った。第3Qを終えた時点で、58-41と17点のリードを築いた。ここから前年女王の白鷗大が怒濤(どとう)の追い上げを見せる。いずれも4年生のオコンクウォ・スーザン・アマカ(桜花学園)、佐藤多伽子(桜花学園)、高田栞里(小林)、舘山萌菜(札幌山の手)の4人で13連続得点を挙げ、東京医療保健大は一気に4点差まで縮められた。さらに絈野が左足を痛め、コートを離れることとなった。

第1Qから3ポイントが決まり24得点を挙げた五十嵐羽琉

それでもその後は、大脇晴(3年、慶進)のゴール下からの得点やフリースローで再びリード。しかし第4Q終了間際でマイボールからのパスを白鷗大のガード池田凜(2年、明星学園)にカットされ、同点に追いつかれた。恩塚監督は試合後「ターンオーバーから同点にされたところは、私自身が状況をもっとタフに設定して、トレーニングできるまで導ききれていなかった。私の責任だと思います」と振り返った。

5分間の延長戦では、両チームともファウルアウトとなる選手が出始めた。東京医療保健大では大脇とガードの島村きらら(4年、山形中央)、センターのイベ・エスター・チカンソ(4年、岐阜女子)が退場。絈野もケガのため、スタート5人でコートにいるのは門脇瑚羽(2年、北越)だけとなった。延長を重ねると、今大会を通じて初出場となる選手も起用。「ケガのことや水分補給のことも含めて、最後は出ている選手がちょっと気の毒だなという思いもあって、送り出しました」と恩塚監督。死力を尽くしたチームは、4度目の延長戦で力尽きた。

オーバータイムでは恩塚監督もハドルに加わり、気合を入れ直す

大学での指導復帰にあたり、最初は別の役職も考えた

今夏のパリオリンピックで女子日本代表の指揮を執った恩塚監督は、10月4日に再就任が発表された。チームは関東大学リーグ戦の最中。10月27日には最終戦で白鷗大と対戦し、67-97で敗れた。

その後はインカレで白鷗大に勝つことだけを考えて準備した。「決勝から逆算して、残り1カ月という限られた時間の中でできることは何だろうと。私だけでなくて、アシスタントコーチも学生たちも、できることは全部やりました。これ以上ない準備をしてきたので、スタッフにも感謝です」

就任直後から、練習は格段にきつくなったという。恩塚監督は「内容や組み合わせを変えてたんですけど、たぶん選手はきつすぎて30分ぐらいで眠くなってるみたいな、そんな状況でスタートしました」。ただ、選手はついてきてくれた。主将の野坂葵(4年、鵠沼)は「きつい練習が続いて、チームもきつい状態だったので、士気が下がるかなと思ったんですけど、そこから選手たちの気持ちを上げてくれる言葉だったり、ハイタッチでの表現だったり、一つひとつの恩塚さんの行動が、自分たちの活力になっていました」と感謝を述べた。

ベンチから仲間をもり立てた主将の野坂葵

前回は2021年まで東京医療保健大の監督を務めたので、今の4年生は1年生のときに以前の恩塚監督を経験している。ただ、当時はコロナ禍の影響もあり、じっくり見てあげることができなかったと恩塚監督は悔いる。「結構不遇なゲーム経験のない選手たちが多くて、私も鍛えてあげられなかった申し訳なさがあって、それを挽回(ばんかい)したい思いはありました」。東京医療保健大へ戻るにあたり、最初は別の役職に就くことも考えた。ただ「私と一緒にバスケットをしたいという思いで来てくれた選手もいる」と聞き、「全部背負ってやるしかない」と覚悟を決めた。

「必死にやるしかない」と思い直した

「なりたい自分になる」「選手の命が輝いてほしい」というのが、指導者としての信条だ。ただ、その神髄まで選手たちに落とし込むには、今シーズンでは時間が足りなかった。3年ぶりに大学の現場へと戻り、自らに起こった心境の変化は「僕が一番必死にやること」だと言い切る。

「今までも必死だったんですけど、やっぱりチームのことを分かっていたから、ある程度余裕を持ってできたんです。でも、今は分からない。僕がどっしりと構えていたら、たぶんうまくいかない。だからもう、必死にやるしかないと思い直しましたね」

大学での指導復帰にあたり心がけたのは「僕が一番必死にやること」

2年連続でインカレを制した白鷗大の佐藤智信監督は試合後、「彼が戻ってきてくれたことで、学生バスケットのレベルがどんどん上がっていく。これから色んなチームが色んなことを考えるようになるので、女子バスケットボール界が良い流れになるんじゃないかと考えています」というコメントを残した。レベルが上がることに比例する形で、人気もますます上がってほしい。決勝での大激闘は、それだけのポテンシャルを秘めていることを示したとも言える。

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