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日体大・高橋藍「妥協はしたくない」 東京五輪を見据えて目指す“石川祐希超え”

緊急事態宣言を受けて練習ができなくなった高橋は地元・京都に帰り、母校の東山高校の練習にも参加した(撮影・全て松永早弥香)

昨年8月、バレーボール男女日本代表の紅白戦が無観客で開催された。リモート配信限定で直接雄姿を見ることはできなかったが、日本代表選手が出場する唯一の大会に、日本体育大学のルーキー高橋藍(東山)の姿もあった。

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5人だけの日本代表合宿

チーム最年少。「とにかく伸び伸びやろうと思っていた」と言うように、得意とするディフェンス面だけでなく、バックアタックや前衛からのキレのあるスパイクなどの攻撃面でも存在をアピール。元々、大舞台や注目される場所で強さを発揮するのが高橋の魅力でもあるのだが、緊急事態宣言に伴い大学での全体練習もままならない中、先だって6月から行われた日本代表合宿が、高橋にとってもひとつの転機になった。

参加選手はわずか5人。日本代表のエースでイタリアセリエAでも活躍する石川祐希(現パワー・バレー・ミラノ)、イタリア同様世界トップリーグであるポーランドでベストリベロにも輝いた古賀太一郎(現FC東京)。海外を拠点とするプロ選手の2人に、大学生の新井雄大(東海大4年、上越総合技術)、大塚達宣(早稲田大2年、洛南)、そして高橋を加えた少数精鋭。合宿開始当初は「お風呂で会うだけでも緊張した」と笑うが、練習時だけでなく練習以外の時間も積極的にコミュニケーションを図り、分からないことは何でも聞きに行く。1カ月にも満たない短い期間ではあったが、その濃厚な日々が高橋にとっては刺激だらけだったと振り返る。

代表合宿で目指すべき先輩たちの姿に学び、自分の課題にも気づくことができた

「一つひとつのプレーを見るだけでも、自分の足りないところがハッキリ分かるんです。自分も高い意識でやってきたつもりでしたが、まだまだ全然足りない。技術面はもちろんですが、それ以上に感じたのがバレーボールを楽しむことの大切さ。祐希さんも太一郎さんもバレーボールを楽しんでいて、そこからいいプレーが出る。僕自身、高校までは勝ちたい方が強くて、バレーボール自体を楽しむという前提が薄れていたので、楽しむこと、気持ちの余裕が必要だと改めて考えさせられました」

レシーブから攻撃に入る無駄のない動き

足りない面を感じる一方、現時点でも通用すると得られた手応え、自信もある。一番はレシーブ力だ。

中学時代、身長が高くなかったことから今のようにアウトサイドヒッターではなくリベロ、レシーバーとして練習を重ね、サーブレシーブや相手のスパイクを拾うディグ力が磨かれた。身長が伸び、アウトサイドヒッターとして本格的にプレーするようになってからは、レシーブをしてから攻撃に入るスピードや柔軟性、無駄のないスムーズな動きが高橋の大きな武器となり、それは日本代表の合宿中や紅白戦でも存分に発揮された。

レシーブから流れるようなリズムで、高橋は簡単そうに行っているようにも見えてしまう。しかしこれが実に難しい。後輩に「教えて下さい」と言われることも多く、高橋も自らの感覚を言葉で伝えようと試みるも、それはそれでまた難しい。だがそんなやり取りを通して、高橋自身も自分のプレースタイルや長所について考え直す機会になっている。また日本代表というトップレベルを経験したことで、これから自分がどうなりたいか、バレーボール選手としての将来についてもより具体的に考えるようになったと言う。

レシーブから攻撃に入る動きのスムーズさが、高橋の大きな武器になっている

「サーブレシーブも日本と海外ではサーブも違うと思うので、積極的に強いサーブや重いサーブを受ける機会をたくさんつくりたい。早い段階で海外を経験したい、というのはもちろんあります。でも今は現実的になかなか難しいので、パワー負け、高さ負けをしないようにウエイトトレーニングにも今まで以上に積極的に取り組むようになりました。体づくりの基盤となる食事も大事なので、誰よりも最後まで一生懸命練習、トレーニングをしてしっかり食べる。そういうことを疎(おろそ)かにしたくないし、大学は人それぞれ意識は違う部分もありますが、僕は大学で日本一になることはもちろん、日本代表や世界で活躍する選手になることが目標なので妥協はしたくない。常に高い意識を持って周りに刺激を与えられる存在になりたいし、他の選手とは違う何かがあると周りからも思われるような選手になりたいです」

遠い未来ではなく近い将来に向け、やるべきことが定まり、着々と自身が経験や力を重ねる。

羽生結弦のように誰もが知るトップアスリートになる

今年最初のバレーボールの公式戦として1月に開催された春高では、母校の東山高が大会途中で棄権を余儀なくされた。ともにレギュラーとしてコートに立ち、プレーしてきた選手も多く、試合を楽しみにしていたという高橋も大きなショックを受けていた。

「大学の練習ができなかったころ、高校の練習に参加していたのですが、その時と比べて(春高初戦の)東海大相模との試合は格段に完成度が高かった。僕も決勝でゲスト解説をさせてもらう予定だったので、そこで会えるのが楽しみでした。何が起きても仕方ない状況での大会ではありましたが、そのまさかが東山になるとは思いもしなかったし、自分自身もすごく悔しくて。後輩たちの気持ちを考えたら、何て声をかけたらいいのかも分からなかったし、誰かが悪いなんてことは絶対にない。とにかくその場にいたかった、隣にいてあげたかったって思いました」

これからも簡単には消えないであろう悔しさを背負いながらも前を向き、東山高の3年生たちは卒業式を迎えた。それぞれの進路で新たな挑戦に挑む後輩に、自分も負けていられない。いつまでも強く、大きな背中を見せ続けること、そして世界を驚かすような選手になることがこれからの目標だ。

世界が認めるトップアスリート。それが高橋が目指す未来だ

「東京オリンピックで結果を残したい、メダルをとる選手になることが大きな目標ですが、そのためにはまず、石川選手の対角に入る選手になるために、石川選手を超えるような選手にならなきゃいけない。パワー、技術、今は全てが劣っているし、まだまだ線が細いのでトレーニングも必要です。練習一つひとつ、1日1日を無駄にせず力をつけて、いつかはフィギュアスケートの羽生結弦選手のように、誰もが知っているトップアスリートになりたいですね。自分自身、そしてバレー界のためにも『日本のバレーにもすごい選手がいるぞ』と思われるような選手、世界に刺激を与えられるような選手になりたいです」

まずは大学で、圧倒的な力を見せつける。その背に大きな翼を広げ、胸には大きな夢を抱いて。高橋藍の進化、ワクワクする未来はこれからだ。

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