近大・荒木琢真 東の壁に阻まれ続けた3年間、ラストイヤーは「どんな相手も勝てる」
相手も同じ大学生。自分たちだって勝ってきた。臆することはない。
いつだってそう思いながらも、全日本インカレではこれまでの3年間、分厚い「東の壁」を前に阻まれ続け、〝日本一〟と掲げた目標にたどり着かずに悔し涙を流してきた。
だが、その悔しさも今につながる糧だったのかもしれない。近畿大学主将、荒木琢真(4年、東山)は「今年は勝負できる」と自信を持って口にすることができる。
「どこか自分らの中で『関東(1部リーグのチーム)は強い』というメンタルで臨んでしまっていたのが一番ダメだったのかな、と思います。やる前から西やから弱い、東は強い、みたいな感じで試合をして、終わってしまった。それが自分の中でも納得いかなかった。でも、今年は違います。確かにテクニックは関東の選手はあるかもしれないけれど、僕らにも武器がある。それを思い切り出せたら、どんな相手にも勝てる、と思える自信があります」
1年生の頃から周囲に対して働きかけ
ポジションはディフェンスの要であるリベロ。ブロックとレシーブの関係性をその都度指示して、コート内を統率する。どれほど相手の攻撃が強かろうと、点を取られなければ負けない。自らはスパイクもブロックも、サーブも打てず、得点を挙げることはできないが、だからこそ点を取らせることこそが、リベロの醍醐味(だいごみ)でもある。
荒木は1年生の頃からずっと、周囲に対して積極的に働きかけてきた。
「近大の選手はキャリアの差も大きくて、僕のように日本一になった選手もいれば、初心者の選手もいる。正直、僕も最初は『何でこんなことできひんのや』って思っていたんです。でも自分がそう思っても、できていない人からすれば『お前はいろんな経験があるから、いいやろ』って思われるだけ。だったら、『自分が経験したことを伝えられたら』というメンタルでやってきたので。先輩や光山(秀行)先生からも『どんどん言えばいい』と言われてきたので、学年関係なくやらせてもらった。自分の経験、やってきたことを一つでも多く伝えられたら、という気持ちでやってきました」
荒木は東山高2年時に春高を制しただけでなく、昇陽中学校(大阪)でも全国制覇の経験がある。輝かしい戦績を誇る一方、連覇を目指した3年時の春高は3回戦で不戦敗。コロナ禍でなければ、しなくてもいい経験も味わった。
高校2年時はリベロ、3年ではセッターとして
あれから4年近くが経ったとはいえ、ポジティブに思い出したい記憶ではないはずだ。だが、荒木に当時の話を向けると「僕は全然、いくらでも聞いて下さい」と笑顔で答えた。その語り口には、つらかった、苦しかったというだけでなく、たとえ最後が消化不良な終わり方であっても、やることはやってきた。そんな自信と満足感にあふれていた。
「(1学年上の中島)健斗さんや(髙橋)藍さんといった常に『うまくなりたい、強くなりたい』という存在がいて、日本一になった。僕は将来もリベロとしてやっていきたいと思っていたんですけど、チーム事情もあって3年の時はセッターをやってくれ、と。正直に言うと春高で勝ったのに、その後コロナ禍で試合がなくなって、『何を目指せばいいんや』って燃え尽きていたところもあったので、(セッターとして)やるしかない、という気持ちでもありました」
東山の武器は精度の高いコンビバレーだ。能力の高い選手がそろっているとはいえ、それは一朝一夕で完成するものではなく、満足のいくレベルに達するには日々の練習と試合経験が不可欠。しかし、コロナ禍で部活どころか学校生活もままならなかった。
「練習できひんのが一番ショックやったし、練習できるようになっても、すぐにはうまくいかない。ほんまにやめようかな、試合がないんやったら練習しても意味ない。1年間の努力が水の泡になるんやないか、と折れかけたこともありました」
だから、高校最後の春高が開催されると決まった時は、心の底からうれしかった。健康チェックシートの記入や毎日の体温測定があり、大会は無観客。部員全員が応援に行けないという制限された環境下ではあったが、前年日本一になって最高の喜びを味わったコートで、今度はセッターとしてトスを上げてチームを勝たせることができる。苦しかったことが吹き飛ぶぐらい、喜びに満ちていた。
「みんな練習から気合が入っていたし、僕も2年でベストリベロを取れたから、3年では今度はセッターとして日本一になれるように頑張ろう、って。試合ができるうれしさしかありませんでした」
だが、選手の1人が発熱した影響で3回戦は不戦敗。残酷な現実を突きつけられ、最初は理解することすら難しかった。でも、今振り返ると、春高は苦しさよりも楽しさしか浮かんでこない、と笑みを浮かべる。
「ずっと練習してきた成果を春高で出すことができた。リベロとしてだけでなく、セッターとしてもトスが上げられて、本当に幸せでした」
関西で勝つことの難しさを教えてくれる存在
卒業後は「関西のチームで関東に勝つ」という強い意志を持って近大に進み、1年時からリベロとして経験を重ねてきた。その関西には、荒木に勝つことの難しさを教えてくれる存在がいた。中学高校のチームメートで、近大とは関西リーグや西日本インカレのタイトルを常に争い続けてきた天理大学の主将・楠本岳(4年、東山)だ。
「チームメートとしては心強いけど、敵になったら一番嫌。お互いの癖もわかっているし、天理は東山の選手も多いので、冗談で『俺もそっち(天理大)に交ざりたいわ』って言っていたこともあるんです(笑)。でもお互い、最後は東だけではなく西も勝てると証明したい。どんな相手にも戦える自信は、今までの中で一番あります」
最後の全日本インカレが始まる。あと一歩、壁を打ち破れなかった先輩たちや、ともに時間を過ごしてきた同期たちの思い。そしてこれからの近大を担っていく後輩のためにも「もうひと踏ん張りしたい」。荒木は笑顔の奥に闘志を燃やす。
「自分自身は今まで越えられなかった壁を打ち破りたいし、結果を出すことで後輩たちにもこれからにつながる自信をつけてほしい。この1年、全カレでのメダルを目指して頑張ってきたので、僕ら4年生を筆頭に、目標にたどり着けるように頑張りたいです」
4年前は閑散としていた夢の舞台で、今度は声援の後押しを受けながら、当たり前のようにバレーボールができる。そして最強の守護神は、どんな強打にもひるまず最後まで立ち向かう。自ら上げる1本が分厚い壁を突破する力になると信じて。