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特集:駆け抜けた4years.2024

近畿大学・後藤陸翔 「本気で変わらなきゃ」と思わされた2年時、主将として有言実行

関東のチームに勝って日本一を目標にチームを引っ張ってきた後藤(撮影・井上翔太)

大学最後の全日本インカレも、やっぱり当たった。

近畿大学の主将、後藤陸翔(4年、新田)はネットの向こうに立つ早稲田大学の主将、水町泰杜(4年、鎮西)との対戦を楽しんでいた。「そんなに何回も当たらなくてもいいだろ、と思うのに、いつも早稲田と当たる。1年のインカレもそうだし、今年(2023年)もそう。組み合わせが出た時も泰杜とお互いに笑っちゃったぐらいで。でも結局、日本一になるためには泰杜を超えなきゃダメだ、っていうことなんだろうなって思いました」

【特集】駆け抜けた4years.2024

全カレ後、水町泰杜と抱き合い「やりきった」

コロナ禍で始まった大学生活を締めくくる全日本インカレ。早稲田大とは準々決勝で対戦し、3-0のストレートで敗れた。1本、1球。すべてに悔いを残さないように、と全力でぶつかった。負けたことも、日本一に手が届かなかったことも、悔しくないといえばウソになるが、やりきったことは確かだ。

試合を終えると、笑顔の水町と抱き合った。

「ありがとう、泰杜、がんばれよ」

自然と涙があふれた。

「あーやりきったんだ、と思ったら、一気に。楽しかったこともたくさんあったけれど、チームを引っ張る苦しさもあった。『これで終わりなんだ』と思ったら、涙が止まりませんでした」

最後の全カレは水町(右)を擁する早稲田大に敗れた(撮影・井上翔太)

コロナ禍、方向性を示してくれた2人の先輩

高校時代は「全くの無名選手だった」と笑うが、新田高でエースとして活躍するだけでなく、ビーチバレーでもU21世界選手権に出場した。ビーチバレーの経験は半年足らず。それでも、もともと長(た)けていたボールコントロールに加えて、バレーボールの技術も高い。近大に入学後も即戦力としての活躍が期待されていた。

しかし入学直前の3月から、新型コロナウイルスが猛威をふるった。上阪し、バレーボール部の寮に入ったが、全体練習どころか学校にも行けず、寮から出られない日々が続いた。同期たちがどんな性格なのかを知る時間もなく、どんな練習をすればいいかもわからない。

「全く先が見えなかった」という後藤にとって、支えであり、自らが進む方向性を示してくれた存在が3学年上の森愛樹(現・堺ブレイザーズ)と2学年上の中野倭(現・ウルフドッグス名古屋)だった。

リベロの森と、セッターの中野。アウトサイドヒッターの後藤とはポジションが異なっていたが、コロナ禍で満足のいく練習ができない状況を考慮し、光山秀行監督が寮内に作ってくれたトレーニングルームで同じメニューに取り組んだ。寮の部屋で過ごすしかない時間は、ひたすらバレーボールの映像を見て学ぶ。繰り広げられる密度の濃い話が、考える力も伸ばしてくれた。

秋から冬に差し掛かる頃、段階的に秋季リーグが再開され、万全の感染対策が行われた全日本インカレは、準々決勝で敗退。当時からコートに立っていた後藤にとって、本当の意味で負ける悔しさを味わい「自分が変わらなければならない」と痛感させられたのが翌年、大学2年時の全日本インカレだった。

スパイクを決め、ほえる後藤(撮影・井上翔太)

自分のミスで敗れ「このままじゃダメだ」

主将を務めた中野を中心に、コンビバレーを武器とする近大は、準々決勝で筑波大学と対戦した。第1セットを先取されたが第2セットを接戦で取り返し、第3セットは筑波が奪った。セットカウント1-2で迎えた第4セット。24-24でジュースに突入した直後、筑波大・垂水優芽(現・パナソニックパンサーズ)の放ったサーブが、近大の選手と選手の間に落ち、24-25。続いて放たれたサーブは、後藤がレシーブで返すことができず、連続サービスエースを献上し、敗れた。

「1本目はノータッチで、2本目は僕のミス。キャプテンの中野さんもですけど、先輩がボールに触ることもできずに最後、負けたんです。それがものすごく悔しかったし、申し訳なかった。『このままじゃダメだ』と本気で感じました。何より、あの緊迫した場面であれだけのサーブが打てる垂水選手の姿も、僕にとっては刺激でしかなくて、自分ももっともっとレベルアップしないと、あのレベルに追いつけないと思い知らされた。あの試合が『本気で変わらなきゃ』と思わされる転機になりました」

そしてその時に誓った。

「自分たちの代になったら、俺がキャプテンになりたい。キャプテンになって、このチームを勝たせたい。関東の強いチームにも負けないチームになりたい、って思うようになりました」

代々キャプテンは監督が指名するのではなく、同学年で話し合って決める。周囲からキャプテンにふさわしいと認められ、4年になるときに就任した。

同学年の仲間と話し合い、主将に就任した(撮影・田中夕子)

人生で大事なことを近大で学んだ

自身が願い、望んだ立場だ。下級生の頃から試合に出ていたとき、「気負うことなくプレーしやすいように」と先輩が環境を整えてくれたように、今度は後輩たちが伸び伸びできるように。練習時から積極的にコミュニケーションを取り、試合では届かないボールを最後まで諦めずに追いかけた選手のもとへ真っ先に駆け寄り「ナイスファイト」と手を差し伸べた。自分なりのキャプテン像を追い求めてきたが、重責に「迷うことしかなかった」と振り返る。

「高校と違って、大学は本当にいろんな選手が集まってくる。このままバレーで生きていきたいと思う選手もいれば、バレーは大学で終わりだから勝つことやうまくなることよりも、楽しめればいいという選手もいる。大げさじゃなく、その先の人生を作る場所で、だからこそそれぞれの考え方がある。『それも個性だ』と考えれば全然いいんですけど、チームとしては一つの方向に向かっていかなければいけない。象徴となるのがキャプテンだと思っていたので、みんなの熱量をいかに高めて、同じ目標に向かっていくか、ということをずっと考えてきました」

練習中はもちろん、寮生活でも多くの目が自分に向けられることをいつも感じていた。だからこそ、誰よりも率先して自分がやる。決めた以上は妥協せず、一つひとつの練習に必死で取り組み、チームとしては「関東のチームに勝って日本一になる」ことを目標に掲げてきた。

高校時代から華々しい戦績を誇るチームに勝つためには、上回る努力をするのみ、と自ら先頭に立って、誰よりも厳しく。「自分の“素”を消して演じてきたこともある」という苦しい日々ではあったが、全日本インカレの最後に早稲田大と対戦できたこと。インカレ翌週の天皇杯でVリーグのヴォレアス北海道、VC長野に勝ってベスト8進出を果たせたこと。どちらも、ここまで頑張って来たご褒美のようで、最後まで心底「楽しかった」と笑う。

「キャプテンをした1年間は自分が思う以上にしんどかったですけど、人それぞれ目的が違って、強い、弱いもある中で、それぞれに目線を合わせて、やりやすい環境を作る。むしろ先輩になってからのほうが後輩に気を遣ったんじゃないかと思うような経験ができたことは、絶対にこれからも役立つ。人生で大事なことを、近大でたくさん学びました」

選手たちの熱量を高めて、一つの目標に向かうことに心を砕いた(撮影・井上翔太)

「いつかは自分も海外でプレーを」

春からは、Vリーグの東京グレートベアーズでバレーボール選手として新たなスタートを切る。2022年6月に誕生した新しいクラブで、選手全員がプロという環境を選んだ理由は明確だ。

「10年先にどうなっているかはわからない。だったら、自分が今できる可能性を広げたいと思ったんです。泰杜もビーチバレーとインドアの二刀流に挑戦するし、僕も『面白い』って思える道を選んで進んでいきたいです」

さらに一つ、大きな夢も加わった。火をつけたのは、また別の同期の存在が大きい。

「いつかは自分も『海外でプレーしてみたい』ってすごく思うようになりました。もともとは考えていなかったですけど、イタリアに行ってからの(髙橋)藍(日体大4年、東山)の成長を見ていたら、ものすごいじゃないですか。もともとうまくて、すごいヤツだったけど、今はとにかくものすごい(笑)。自分もあんなふうになりたいし、いろんな世界を見てみたい、って思うようになりました」

やりきった、と笑顔で振り返ることができる大学時代の経験も力に。新たな夢に胸を膨らませ、広い世界へと飛び込んでいく。

水町(右)や髙橋藍の存在を刺激に、後藤自身も夢を膨らませている(撮影・田中夕子)

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