順天堂大・染野輝 2年前と逆の展開になった日体大戦、フルセットで同期にかけた言葉
宿命、と言うには大げさか。ただ、全日本インカレの組み合わせを見た時から染野輝(4年、駿台学園)は覚悟していた。
「日体大とは絶対に当たる。ここを超えないと、というのは強く意識しましたし、絶対に負けられない、負けない、という気持ちもありました」
3年目の悔しさを乗り越え
さかのぼれば2年前、大学2年時の全日本インカレでも準々決勝で対戦した。東京オリンピックを終えたばかりで、日本体育大学のエースとして牽引(けんいん)する髙橋藍(当時2年、東山)に注目が集まる中、23-25、27-29で2セットを連取された。無観客ではあったが、大会前から日体大を優勝候補に推す声が多いことも熟知していた。だが、2セットを取られても不思議なほど焦りはなかった。むしろ、当時の主将で同じ駿台学園のOBでもある高橋和幸(現・ジェイテクトSTINGS)のひと言で、チームに火がついたのを、染野は今でもハッキリと覚えている。
「2セット取られた後のセット間に、和幸さんが『行けるっしょ』って。普段は絶対、そういうことを言う人じゃないから、余計にみんなも『行ける』ってギアが上がったんです。あのひと言で、完全に全員の顔が変わりました」
有言実行、とばかりに25-20で第3セットを取り返すと、第4セットも25-15で制し、最終セットも15-11。大逆転勝ちを収め、準決勝では筑波大学をフルセットで下し、11年ぶりとなる決勝進出を果たした。早稲田大学に敗れて準優勝で終えたが、初めて全日本インカレ決勝の舞台に立ち、改めて「ここで勝ったら最高だろうな」と感じるとともに、キャプテンの言葉がどれだけチームに大きな影響を及ぼすのかを知った。
その時から漠然と「自分も和幸さんのようなキャプテンになりたい」と思い描き、3年時からは前主将の岡野恵大(現・横河電機9人制)やアナリストといつも行動し、試合に向けた戦略を練り、戦術を考えた。自分がチームの中心で引っ張っていく、と意気込んでいたからこそ、全日本インカレの2回戦で駒澤大学にフルセットの末に敗れた時は悔しくて、悔しくて、涙も出なかった。
「セッター以外、コートに入っていたのは下級生だったんです。競って、ジュースになって、最後はミスで負けた。どうしてあそこで自分がもっと引っ張れなかったんだろう、もっと強く言えなかったんだろう、という後悔しか残りませんでした」
磨いたサーブ・ブロック・レシーブのトータルディフェンス
4年になり、キャプテンを任された。その責務はまさに「背負う」という言葉がふさわしいような重さがあった。下級生の頃から試合に出てきたことに変わりはないのに、キャプテンマークがついただけで、それまでとは比べ物にならないほどのプレッシャーがあった、と明かす。「全日本インカレだけじゃなく、春リーグも、東日本インカレも秋リーグも、どの試合も全部、不安で不安で仕方がなかったです」
チームを勝たせるのがキャプテンの仕事。先輩の背中を追うように、自らが率先して勝利を求め、練習中から厳しく接してきた。仲が良いのはチームとして居心地がいいが、その関係性に甘えていたら、予期せぬ負けを招くことにもなりかねない。練習から徹底すべきことを徹底できていなければ、嫌われ役になるのも自分の役目、とばかりに追い込んだ。
「負けられない」と思っていたからだ。
「順大は歴史があるチームなのに、自分たちが負ければ2部に落ちてしまうかもしれない。そんなことは絶対に許されないと思っていたし、今まで負けたことがない相手に負けるだけでもダメージは大きい。試合の前日は、ちゃんと寝て、次の日に備えなければならないのに寝ようとしても眠れなくて、うたた寝しても悪夢を見て目が覚める。0時前にベッドへ入るのに、3時を過ぎても寝られなくて、朝方までちゃんと寝られないこともしょっちゅうでした」
不安を打ち消すためには、「これだけやった」と準備するしかない。アナリストと映像を見て、データを出してもらって、この相手にはどう戦うべきか。ひたすら策を練った。大型のアタッカーを擁するわけではない順大の生命線は、サーブからブロック、レシーブが連動したトータルディフェンス。サーブを打つ選手にブロックへ跳ぶミドルブロッカーの選手が指示を出し、「だからレシーブはこの場所に入ってほしい」と細かくシチュエーションを想定して遂行する。「むしろスパイクは自分で高めてくれ、と思っていた」と振り返るほど、ディフェンスには時間をかけて取り組んできた。
その成果が理想的なかたちで発揮されたのが、最後の全日本インカレだった。
「困ったら、俺に上げてきていいから」
トーナメントの一発勝負。どこが相手でも何が起こるかわからない。たとえリーグ戦で負けたことがない相手でも、1本のミスで負けることはある。その悔しさと痛みを、昨年の同じ大会で味わった。
同じ轍(てつ)は踏まないように。組み合わせが決まってからすぐに初戦の相手を研究すべく、映像をひたすら見るのはもちろん、初戦に勝った後は翌日に対戦する可能性がある2校の映像を徹底的に見てデータを分析した。地道な努力で一つずつ勝利を重ね、センターコートまであと一つ。準決勝で、日体大と対戦した。
2セットを先取されてから3セットを取り返した2年前とは対照的に、最初に2セットを連取したのは順大だった。染野自身も「面白いバレーができていた」と言うように、セッターの森居史和(4年、駿台学園)が自在に攻撃陣を操る。相手の意表をつくように染野のバックアタックやオポジットの花村和哉(3年、東山)をうまく使った。あまりに思い通りすぎたせいか、3セット目から勝ち急ぎ、急に硬さが出た。それまで展開した形とは全く異なり、守りにいって安易に取り急ぐという悪循環が続いた。
2セットをかえされ、最終セットを迎える直前、染野が森居に言った。
「安易に和哉に上げるとか、Aパスでクイック使うとか、安直に行ったら面白くないよ。ここまで来たんだから、面白いバレーやろうよ」
15点先取の最終第5セット。2本続けて花村の攻撃がブロックされるなどして日体大にリードを許し、7-8でコートチェンジをするまで、染野自身も前衛から1本、バックアタックから1本しか打っていない。高校と大学の7年間を一緒にやってきた自分を信じろ、とばかりに、染野が再び、森居に声をかけた。
「困ったら、俺に上げてきていいから」
言った以上は決める。託されたトスに応える。7-9から染野の4本のスパイク得点を含む6連続得点で一気に逆転し、15-10。2セットを取り返されても気持ちを切らすことなく、フルセットの末に決勝進出を果たした。残すは最終日。本当にすべてを出し尽くすのみ、と思っていたが、試合の日の朝に森居が腰痛を発症。立つこともできず、当然試合に出ることもできない。早稲田にストレートで敗れたが、どこか晴れやかな思いもあった。
「最後に森居とできなかったのは残念でしたけど、メンバーが変わっても出し切ろうと思っていたし、全部、後悔しないようにやっていたので。負けても悔いはなかったです」
強い相手がいるほど、自分も強くなる
唯一悔やまれるとしたら、自分が勝てなかったことではなく、中田学監督を勝たせて終えることができなかったことだ。監督就任1年目。それまでもコーチとしてともに過ごし、誰よりもチームのため、選手のためにと真剣に向き合い、叱り、親身に話を聞いてくれた。まだ小さい子どもがいるにもかかわらず、自主練習にも付き合ってくれる姿に恩返しするためにも「中田先生のために勝ちたい」と思って臨んだ1年でもあった。
表彰式では、準優勝の銀メダルを中田監督にかけた。その時は「ありがとうございました」と言うのが精いっぱいだったが、寮に帰ってから電話をかけ、4年間の思い出や感謝を1時間近く話し込んだ。
「僕にとって一番近くにいてくれて、一番話をしたのが中田先生でした。勝って恩返しはできなかったですけど、最高の指導者に恵まれた。順大に来て幸せでした」
すでにVリーグのサントリーサンバーズに合流し、新たな挑戦も始まった。
「先輩方はみんなバレーに対する取り組み方が『これぞプロ』という人たちばかり。藍や(水町)泰杜(早稲田大4年、鎮西)、他の同期もすごい選手ばかりなので、自分も自分の武器を磨けるように。これからも頑張ります」
強い相手がいるほど、自分ももっと強くなる。これからも成長する楽しみは尽きない。