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特集:全日本バレー大学選手権2023

専修大・甲斐孝太郎 日本代表になった弟の成長を実感「優斗とこんなに戦えるなんて」

専修大の甲斐孝太郎主将は弟と一緒に全日本インカレを戦い抜いた(すべて撮影・井上翔太)

第76回 全日本バレーボール大学男子選手権大会

11月29日@エスフォルタアリーナ八王子(東京)
筑波大学 3-2 専修大学
(18-25.25-23.21-25.25-23.15-11)

フルセットの大接戦。「自分に持って来い」と思いながらも、なかなか調子が上がらない。「ここでサービスエースを取りたい」と思う場面でも取り切れず、スパイクも決められなかった。1本1本を振り返れば反省ばかりが浮かぶが、専修大学の甲斐孝太郎(4年、日南振徳)は苦しい時だからこそ頼れる、大エースの存在を誇りに感じていた。

「(甲斐)優斗(2年、日南振徳)なら決めてくれる。終盤、3枚ブロックが来て苦しい状況にしてしまったのは申し訳なかったですけど、優斗で負けるなら仕方ない、と思っていました」

【特集】全日本バレーボール大学選手権2023

紙一重の差に泣いた筑波大学戦

同じ関東1部の専修と筑波大学が対戦する、2回戦屈指の好カード。最後は柳田歩輝(4年、松本国際)のバックアタックが決まり、11-15。激戦を筑波大が制した。

勝者と敗者、紙一重の差が生じた理由を、甲斐は「サーブとサーブレシーブの差」と振り返る。事実、専修大が奪った1、3セットは竹内慶多(3年、啓新)や甲斐優斗のサーブが走った。一方で取られたセットを振り返れば、柳田や牧大晃(2年、高松工芸)のサーブで主導権を握られた。2-1とセットを先行して迎えた第4セットも、立ち上がり早々に牧の連続サービスエースで0-3とリードされたことで、「5セット目に入るだろうな、と覚悟してしまった」と甲斐は振り返る。

「序盤を2点以内の僅差(きんさ)でいければ、終盤に逆転できると思っていました。専修も筑波も、どちらも攻撃は同じぐらい決まっていたけれど、追い込まれると攻めきれなかった。序盤にリードされると、攻めなければいけないのに弱気になってしまったところも反省点としてありました」

レフトハンドから力強いスパイクを打ち抜いた

「高校1年を思い出したら、今なんて想像できない」弟の存在

振り返れば入学直後の全日本インカレは、開催されるかすらわからない状況で、そもそもほとんどの大会が中止になっていたため、全日本インカレの重みすらわからなかった。無観客の試合も多く、「自分たちで盛り上げないと」と鼓舞する日々が続いた。そこから少しずつ日常風景が戻り、最後の全日本インカレは初戦から待ち望んでいた有観客での開催だった。

「自分のプレーを見てほしい」と気持ちも高ぶる中、観客の拍手や声援が力になった。だが、「力みすぎてしまった」と苦笑いを浮かべるように、思い通りの攻撃ができず、終盤に弟頼みの展開になってしまったことは「もっと自分も含め、攻撃を散らして決められればよかったけれど、その力がなかった」と悔やんだ。

試合直後はタオルを頭からかぶってうなだれる姿もあり「悔しかった」と振り返る。ただ、それ以上の喜びもあった。

「学生最後の年を、優斗とこんな風に戦えるなんて考えもしなかった。それこそ、優斗の高校1年の頃を思い出したら、今なんて全く想像できないぐらい。人間ってこんなに化けるか? と思うぐらい成長した。それが見られて、一緒にできただけでも楽しかったです」

試合後はタオルをかぶって悔やむ姿も見られた

基本を学んだ日南振徳高校時代

父親の影響で小学2年生からバレーボールを始めた。弟も同じ小学2年から競技に触れ、高校も同じだ。

優斗が3年の時、初出場した春高バレーで3位入賞を果たした。結果だけを聞くと厳しい強豪校と思われがちだが、地元の宮崎から集まった選手ばかりで、何より父の恩師でもある鍋倉雄次郎監督の人柄と指導方針が魅力的だった。

「鍋倉先生の指導は、一人ひとりの個性を生かして、それぞれの性格に合った指導のもと、必要なことが何かを与えてくれる。そのスタイルが自分には合っていました。でも優斗ほど、高校3年間でびっくりするほど伸びた選手はいないと思います」

当時から兄はチームのエースで、3年時は主将も務めた。だが、もともと声や言葉で引っ張るのは苦手で、自分のプレーで引っ張るタイプ。だからこそ、鍋倉監督からは「チームの安定感を保つためには、孝太郎がチームの歯車をはめる存在であれ」と求められてきた。同じ県内や九州の強豪チームの中には、多彩なコンビネーションを武器とするチームも少なくない。だが日南振徳は基本を重んじ、シンプルに。将来へとつながる礎を築くのが高校であり、現在のスパイクの力強さや鋭さのベースは、この時に育まれた。

高校時代に学んだ「基本」が大学でプレーする上での礎になっている

「自分にも優斗にも伸びしろがある」

何より、自分以上に劇的な成長を遂げたのが弟だ。「信じられないぐらい伸びた」と兄が何度も繰り返すのは、今でも思い出すたびに「やばかった」と思わず笑ってしまうような、当時の優斗の姿が焼き付いているからだと、また笑みを浮かべる。

「身長は190cmぐらいあったんですけど、全然跳べなくて、スパイクを打ってもネットにかかるか、ネットインで入るか、という感じ。ヤクルト(の高さほどの)ジャンプです。もう本当に、あれはひどかったです(笑)」

ところが、自身が専修大に入学し、全日本インカレを終えたオフの期間や、優斗の3年時の春高前に練習相手を務めたとき、優斗のスパイクは一変していた。ミドルブロッカーのポジションからの速攻だけでなく、高いトスからのスパイクも打てるようになっていた。

「アタックラインの前ぐらいにドーンと打たれて、全然拾えませんでした。こんなに成長する? と思うぐらいジャンプして、打っていた。優斗もすごいけど、やっぱり鍋倉先生はすごいな、って思いました」

かつては「ヤクルトジャンプ」と評した弟・優斗の成長を間近で実感した

大学最後の1年、弟は日本代表に選出され、ネーションズリーグやパリオリンピック予選に出場するまでの飛躍と成長を遂げた。合宿や海外遠征でほとんど一緒に戦うことはできなかったが、最後の全日本インカレは2人でコートに立ち続け、思う存分戦うことができた。

「負けたことはすごく悔しかったですけど、でも、まだまだ自分にも優斗にも伸びしろがあると思えた。全部やりきれたし、最後まで楽しかったです」

涙ではなく笑顔で。悔しさも課題も、これからにつながる財産だ。

専修大学・甲斐優斗 日本代表での経験をチームに還元、インカレは「今出せる全力を」

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