早稲田大・荒尾怜音 「ミスを取り返せない」苦しさ、理解してくれるライバルの心強さ
4度目の全日本インカレが間もなく始まる。
1年から早稲田大学のリベロとしてコートに立ち続けてきた荒尾怜音(4年、鎮西)にとって、これが最後の舞台。2年時にチームとして5連覇を達成したが、昨年は準決勝でフルセットの末に筑波大学に敗れ、6連覇がついえる悔しさを味わった。
スローガンに「大胆」を掲げ、リベンジを誓う今季。学生最後の締めくくりとなる全日本インカレを前に、高ぶる思いとは裏腹に、荒尾は苦悩していた。
「リベロって、ミスしても取り返せないんです。それが本当にきついです。周りをフォローして、チームを勝たせるために動かなければならないのに、自分のレシーブが返らないと、求められていることすらできず、リズムもつくれない。『自分がやらなきゃいけない』とわかっているからこそ、そう考えれば考えるほど不安で。だけどやるしかないから、とにかく練習で自信をつけなきゃ、って。今はとにかく必死ですね」
注目されるうれしさ、大学ではプレッシャーに
3歳でバレーボールを始め、22歳にしてバレーボール歴は19年。リベロに転向したのは、鎮西高校に入学してからだった。それまではアウトサイドヒッターとしてレシーブもして、攻撃もする。同学年で同郷の水町泰杜(4年、鎮西)とも「小学生の頃はお互いエースとして打ち合ってきた」と笑う。
「小中学生の頃は周りの子と比べると自分のほうができるから、当時の先生から『できない人の気持ちに寄り添ってバレーをすればもっと伸びる』と言われて、それからずっと勝てばスパイカーのおかげで、負けたら自分のせい。特にリベロになってからはずっと、そう思ってきました」
基本の練習は誰よりも手を抜かず、できるまでひたすら練習した。地元の強豪、鎮西高校で1年からレギュラーリベロとして出場し、優勝した春高ではベストリベロに選ばれた。2年時は準決勝、3年時は準々決勝で敗れたが、常に世代を代表するリベロとして注目を集め、卒業後は早稲田大に進学。注目されるうれしさが、全く別のプレッシャーに変わったのはここからだったと振り返る。
「高校は個で勝負するバレースタイルだったのに対して、大学は組織で戦う。選手として勉強になることはたくさんあるんですけど、『自分が輝けたか』と言えば僕はそうじゃなかった。むしろ1本のミスや、レシーブが返らなかっただけで『高校時代にベストリベロだったのに、その程度か』と思われているんじゃないか、とか、余計なことばかり気になってしまって。むしろバレーボールを楽しいと思うどころか、試合が来るのが怖い。結果的にどれだけ勝てていても、怖さや不安をなかなか払拭(ふっしょく)できませんでした」
前を向くきっかけになった友人の言葉
高校時代も結果が求められ、リベロとして「すべてのボールを拾え」とプレッシャーをかけられてきた。でも、やればやるだけ自信もつくし、評価にもつながる。何よりバレーボールが楽しかった。しかし高校から大学へ、一つステージが上がって壁も高くなったことで、数えきれないほど「逃げ出したい」と思った。家族や、高校時代の恩師に「もう辞めたい」と話すと、「頑張れ。大丈夫だから」と励ましてくれたが、その言葉を受け止めるのが苦しいほど、追い込まれたこともあった。
バレーボールから離れてみようか、と考えた時、友人に「自分は早稲田でプレーできるような選手ではなかったのではないか」と本音をさらけ出した。そしてその返答が、荒尾に前を向かせるきっかけになった。
「『今は苦しいかもしれないけど、でもそこで頑張って、自分が選んだ道はやっぱり正解だった、って言えるほうがカッコよくない?』って。本当にその通りだな、と思ったし、ここまで試合に出続けられてきたことも、苦しいことも、悩むことも全部運命。自分に必要なことだから、ちゃんとやるべきことをやり抜いて『これでよかった』と思えるように。ちゃんと試練は試練として向き合って、乗り越えたい、と思ったんです」
優勝にもかかわらず悔し涙を流した東日本インカレ
誰よりも練習し、その成果を自信へとつなげるため、個人賞にもこだわってきた。スパイカーならば何得点した、何本のブロックを決めた、と数字で評価できるが、リベロには明確な指針がない。チームの勝利が何よりの証しでもあるのだが、あえて荒尾は「リベロ賞をとりたい、とずっと思ってきた」と明かす。
「個人賞がすべてではないことはわかっているし、むしろ個人よりチームに目を向けるのが当然であるのもわかっています。でも、わかっていながらもやっぱりどこかで、高校の時にベストリベロをとった自分を超えたい、という思いが強くありました」
今年6月の東日本インカレでは決勝で中央大学に勝ち、前年秋季リーグのリベンジ、さらには全勝優勝を阻まれた今年春季リーグのリベンジを果たしたにもかかわらず、荒尾は泣いていた。うれし泣きではなく、悔し泣きだった。チームは優勝した一方、リベロ賞を獲得したのは中央大の主将も務める山本涼(4年、星城)。春季リーグに続いて賞を逃した。自分はリベロとして評価されない、という悔しさと情けなさ、ふがいなさから涙が出た。
様々な感情があふれると、プレーも安定しない。得意だったサーブレシーブも感覚がつかめず、どうしたらいいのかわからない。春季リーグでリベロ賞を獲得した高木啓士郎(東海大4年、崇徳)に「サーブレシーブが全然わからなくなった」とLINEでメッセージを送ると、返信が来た。
「俺はずっと、怜音のレシーブがすごいと思ってきたから、ずっとマネしてきた。今も怜音はやっぱりすごいと思っているから、そのままでいいと思うよ」
チームを勝たせるリベロであることは譲れない
同じ学年で同じポジション。ライバルであるのは間違いない。だが、チームを勝たせるために自分を犠牲にしてまで戦わなければならない苦しさを理解してくれるのは、他ならぬ、同期のライバルたちだ。
「ライバルでもあるけれど、同じ年で同じ時に戦えるリベロがこんなにいっぱいいて、みんなの存在が刺激になる。それってものすごく幸せなことだな、って心から思えました」
高木や山本だけでなく、明治大学の武田大周(4年、松本国際)、リーグ戦で上位争いを繰り広げてきた日本体育大学の森田元希(4年、大分南)、日本大学の中原脩弥(4年、正智深谷)。さらに最も近くにいるライバルであり、早稲田で一緒にリベロとして戦う布台駿(4年、早稲田実業)も荒尾にとって欠かせない存在だ。
「全カレをリベロとして戦うのは駿にとって初めて。自分が経験してきた分、助け合っていきたいし、もちろん負けたくない。苦しさは2人で半分にして、うれしいときは倍にして喜べるように頑張りたいです」
頼れる先輩についていくだけで「気づけば勝手に優勝していた」という1年時は、全日本インカレの重さなどわからなかった。あれから時が流れ、勝ち続ける難しさと負ける悔しさの両方を味わった今だからこそ、思うことは一つだけ。
「勝たせたい、と後輩から思われる4年生はどんな時も笑顔で、バレーボールを楽しんでいる人たちだと思うんです。だから『ここ一番の時はギアを上げられるように練習からやらなきゃ』と思うし、目標に届く力を持ったメンバーがそろっているから、全部出し切れるように、自分を信じる。リベロ賞は、他にもうまくてすごいリベロがいっぱいいるから、僕じゃないかもしれないけれど、でもチームを勝たせるリベロであることは譲りたくない。みんなから『やっぱり最後まで怜音を倒せなかった』と思われるように、踏ん張って、やりきれるように頑張ります」
生粋の泣き虫だからこそ、学生最後の大会は、最高の笑顔で締めくくる。自分を信じて。仲間を信じて。戦い抜くだけだ。