東海大・中道優斗「メンタルどん底」から最終戦へ、OB・後輩・家族の存在に救われた

昨年12月の全日本インカレ終了から2週間後、大阪で開催されたバレーボールの天皇杯・皇后杯ファイナルラウンド。関東ブロック代表として出場した東海大学は2回戦で東京グレートベアーズに敗れた。中道優斗主将(4年、東亜学園)は学生最後の試合を終えると、開口一番、笑顔で言った。
「あの時はすいません。いや、無理。今は絶対しゃべれない、って思うぐらい、メンタルがどん底でした」
中道が振り返る〝あの時〟。主将として、東海大の1番をつけて臨んだ最後の全日本インカレを思い出すと、今もよみがえる悔しさがある。
全日本インカレ3回戦で敗れ、後悔の念
関東大学秋季リーグは3位。2位の明治大学とは勝敗で並んだが、セット率で差がついた。中道自身もチームの主軸として活躍し、レシーブ賞を受賞した。新キャプテン就任直後の春季リーグでは「コートに立つのが後輩ばかりなので、周りを引っ張らないといけないし、自分のプレーもやらないといけないので余裕がない」と苦笑いを浮かべていたが、鍛錬期の夏を乗り越え、秋に一つ、手応えも得た。最後の全日本インカレへ話を向けると、やってやる、とばかりに笑顔で言っていた。
「先輩たちを見てきて、簡単に勝てる舞台じゃないってことはわかってます。でも去年、最後の最後に3位決定戦で勝ちきった強さ、最後に勝って終われる喜びを見てきたからこそ、苦しくても『この1年頑張ってきたことが無駄じゃなかった』って結果で証明したいです」

満を持し、少なからずの自信を持って全日本インカレに臨んだ。1回戦は大阪商業大学に、2回戦は法政大学にストレートで勝利し、3回戦を迎えた。相手の愛知学院大学は西の強豪で、攻撃力があり、勢いに乗ったら止められないチームだと熟知していた。サーブから攻めを徹底してきた愛知学院大の前にミスが続き、接戦の末に1-3で敗れた。
中道の言う「メンタルがどん底」だった時は、その直後だった。敗れた事実以上に、「キャプテンとして力を尽くせたのか」という後悔が押し寄せた。「何もする気が起こらなかった」という中道が再び前を向けたのは、自身が1年生の頃から支えてくれたOBたちと、キャプテンとしての姿を見てきた後輩たちだった。
「何のために1年間頑張ってきたんだろう、と思ったし、寮に帰ってからもずっと、何もしたくなくて。でも、試合を見たいろんな人が連絡をくれて、(山本)龍さんとか、1個上の先輩などみんなが『お疲れ』『よく頑張った』って。正直に言えば、どれだけ頑張ってきたって最後に勝てなかったら、無駄な1年だったんじゃないか、と思っていたんです。でも、いろんな人たちがキャプテンになってからの1年間を見ていてくれて、負けた後に『頑張ってきたことは無駄じゃない』と言ってくれた。わかってくれる人たちがこんなにいたんだ、と思ったらすごく救われました」

キャプテン指名に「俺でいいの?」
サレジオ中、東亜学園高とバレーボールの名門と呼ばれる中高で、技術や知恵を得てきた。東海大に入学後も抜群のテクニックを買われ、1年からベンチ入りし、春から常にユニホームを着続けてきた。実績やコート内での振る舞い、攻撃だけでなくサーブレシーブの要となる守備力も持ち合わせ、周りから見れば「4年になれば中道がキャプテンになる」と思うのが自然だった。ただ、本人だけが「自分には絶対無理だと思っていた」と笑う。
「もともとキャプテン向きの性格じゃないんです。去年まではずっと引っ張ってくれる先輩がいて、ついていくだけだったから。(3年時の)全カレが終わった時に(高木)啓士郎さんから『コートに立つ4年生が少ないときついけど、頑張れよ』と言われた時も、ほんとにどうなるんだろう、やっていけるのか、って不安で。だからキャプテンと言われた時も、『俺でいいの?』と思ったところからのスタートでした」
不安から始まった大学最後の1年は、同期や後輩だけでなく、家族にも支えられた。両親も元バレーボール選手で、4歳上の兄・紘嵩(ひろたか)さんも中学、高校と全国の舞台で活躍。「いつか自分もヒロに追いつきたい」とライバル視する存在でもあった。
「家族もみんなバレーに詳しいから、東海のキャプテンがどれほどの存在で、どれほどの重みか理解している。むしろ周りの誰よりも『優斗で大丈夫か?』と心配されましたけど(笑)、苦しい時も一番支えてくれたのが家族でした」
全日本インカレは準決勝に進めば、兄が応援に来てくれる予定で、それもモチベーションの一つだった。だが、その前に無念の敗退。中道が失意の中にいた時も、思わずクスッと笑ってしまうのが、家族からの励ましだった。
「『優斗は小学生の頃からいつも最後は恵まれない。運がないんだろうけど、そういう運命だろうね』って(笑)。そう言ってくれる両親の明るさにも救われました」

全日本インカレまで、毎日が長かった
本来ならば全日本インカレを終えれば、大学バレーも終わる。だが、天皇杯への出場が決まっていたため、引退は2週間延びた。当初は「負けたショックからなかなか気持ちが切り替わらなかった」と言うが、失意の中にいたのは中道だけでなく、他の4年生たちも同じ。やる気を出して最後の大会に臨む、それが最上級生として最後にできることだと、頭ではわかっていても心がついてこなかった。
ピリッとしない最上級生たちに、いい意味で「いい加減にしろよ」と態度で示してきたのは、これからの東海大男子バレー部を担う後輩たちだった。
「直接言葉で伝えられたわけじゃないですけど、一緒に練習していて後輩たちが『しっかりやってくださいよ、4年生』って感じて、態度に出しているのをめちゃくちゃ感じたんです。俺らは天皇杯にかけてるから、一緒に頑張ってくださいよ、ってのがすごく伝わってきた。正直に言えば、それまではいつも自分1人が後輩を引っ張っている気持ちになったこともあります。『お前らちゃんとやれよ』って思ったこともある。でも最後の最後で、むしろ後輩たちの方が僕らを引っ張ってくれた。いつの間にこんなに頼もしくなったんだろう、って思ったら、負けてられないよなと思って、またやる気が芽生えました」

高校3年時の春高で準優勝した兄のように、自分は全国で勝ってきた選手ではない。むしろ先輩も後輩も、全国制覇の経験があるすごい選手ばかりで、1年時は「春高のスターと一緒に練習して、試合ができることに感謝して、興奮していた」と、どこかで見上げていた。
だが、そこから経験を重ね、負けも味わった。最後はキャプテンとしてチームを一つに束ねていく難しさと、それでも勝利に届かない、たとえようのないような悔しさも知った。
「みんなは4年間、特に最後の1年を振り返ると、あっという間だった、って言うじゃないですか。でも、僕は全カレまで、毎日が本当に長かった。人数もギリギリだったから、『どうか誰もケガしないように、万全で臨めますように』って思っていたので、体育館に貼られたカウントダウンの日数が減っていくたびに、ホッとしていました」
小澤翔監督「キャプテンらしいキャプテンでした」
最後の最後、勝って終わることはできなかったが「やりきれた」と笑うキャプテンを、小澤翔監督がねぎらう。
「負けを無駄にせず、バレーボールに対して真摯(しんし)に取り組む。そういう代の中で、キャプテンとしてよくやった。東海のキャプテンとして、キャプテンらしいキャプテンでした。だから、その姿を見てきた後輩たちは、中道が何をしてきたのか。これからにつなげていってくれるはずです」
卒業後はSVリーグのヴォレアス北海道でプレーする。
「東海大のユニホームが着られて、めちゃくちゃ濃い4年間を過ごせて幸せでした。これからはSVリーグで中道優斗の名前を残せるように頑張ります」
最後は笑顔で、学生バレーに別れを告げた。

