野球

連載: プロが語る4years.

「あっという間」の先につかんだ新人王 中日ドラゴンズ・京田陽太3

中日の京田陽太はルーキーの2017年、141試合に出場し149安打を放った(撮影・朝日新聞社)

今回の連載「プロが語る4years.」は、中日ドラゴンズの選手会長、京田陽太内野手(26)です。応援団長の笠川真一朗さんがこれまでの野球人生に迫る4回連載の3回目は、日本大学からドラフト2位で入団、中日の新人最多安打をマークするなど活躍して新人王に輝くまでです。

今でも大切にする大学時代

「4年間、東都で野球をやれたことを誇りに思いますし、プロに入った今でも大きな財産になっています」。京田は「戦国」東都大学野球、日本大学で過ごした大学生活を振り返った。「1部も2部も両方経験しましたが差は本当にない。2部の投手の方がレベル高いなと思うことも実際にありました。1球、1死、ワンプレー。必死に食らいつく泥臭い姿勢はどのチームのどの選手もすさまじくて執念を感じました。その中で野球をやれたから、人間的に成長することができましたし、それは今の自分にもつながっています」

4年間、東都大学野球の高いレベルでもまれた(松下拓司さん提供)

そして1年春から試合に使い続けてくれた仲村恒一監督にも感謝の言葉を口にした。「オープン戦から公式戦までずっと試合に使い続けてくれました。温厚な人ですが僕には厳しかったです。自分では一生懸命やってるつもりでも『お前だけのチームじゃない』と言われることがありました。ひとりよがりだった自分を変えてくれた大きな存在です。もしかしたら『京田をプロに行かせないと』とプレッシャーもあったかもしれません。監督も大変だったと思います」。東都で、日大で野球をやれた時間を京田は心から大切にしている。それは何者でもなかった自分を大きく変えてくれた環境や人たちがいたからだ。

ドキドキのドラフト、2位指名

そして京田は2016年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから2位指名を受けた。「めちゃくちゃドキドキしてました。『上位で呼ばれて当然』みたいな声もありましたけど、待ってる僕からしたら前年に選ばれなかったすごい選手たちを見ているので。亜細亜(大学)の藤岡(裕大、トヨタ自動車-千葉ロッテマリーンズ)さんとか。そういうのもあって指名されてすごくうれしかったんですけど、あまりにもドキドキしていて表情に出なかったですね(笑)。余裕がありませんでした」と指名の瞬間を思い出して微笑んだ。

ドラフト1位の明大・柳裕也投手(左)と一緒に入寮(撮影・朝日新聞社)

工夫した打撃で球団新人最多安打、新人王を獲得

指名された時から次へのスタートは始まっている。これからのことをすぐに考えた。「うれしい半面、もたもたしている時間はまったくないと思ってひたすら練習していましたね。とにかく開幕1軍に。そういう気持ちでした」。そして1軍キャンプに参加することになった。「テレビで見ていた人たちが目の前でプレーしていて、その中に自分がいるのは不思議な感覚でした。それでも守備走塁ならすぐいけるなという自信もあって。打撃に関しては苦労するだろうなと思っていたけど、当時の首脳陣がたくさん試合に使ってくださって徐々にプロのスピードに慣れることができました」

タイミングを早く取ったり、打席の立ち位置を変えてみたり、色々と工夫しながら手探りで挑んだ初めてのプロ野球の世界。京田は開幕1軍、開幕スタメンの座をつかんだ。正遊撃手として141試合に出場し、チームの新人最多安打記録を更新する149本の安打を放つ。ルーキーイヤーから走攻守で大きな活躍を見せ、新人王を受賞した。

埼玉西武ライオンズの源田壮亮(右)と17年の新人王を獲得した(撮影・朝日新聞社)
トヨタ自動車で守備の師匠と出会い、自信持ちプロへ 埼玉西武ライオンズ源田壮亮

シーズン終了後の第1回アジアプロ野球チャンピオンシップでは日本代表に選出された。慣れない二塁手で優勝に貢献するなど、京田の存在はたった1年で全国の野球ファンに知れ渡った。「強く振る」という大学時代に取り組んだことはプロの世界でも生きた。「プロの球は手元で速く落ちたり、動いたりする。ちょうど強くたたきに行くと、人工芝の球場だと打球が跳ねる。1年目はそういう安打に助けられましたね。荒木(雅博)さん、井端(弘和)さんの後に誰が守るのかっていうタイミングで僕が入団することになり、タイミングが本当に良かったと思います」

アジアプロ野球チャンピオンシップの日本代表に選ばれた(撮影・朝日新聞社)

「来年やばいな」おごらず危機感

そして1年目が終わったときに京田が抱いた感情は危機感だった。「あっという間に1年間が終わって、終わったときに『こんな成績なのか』と思いましたね。それと同時に『来年やばいな』とも思いました。体力的にも精神的にも、きついとか思ってる余裕すらありませんでしたよ。もともと切り替えが早いタイプなので、毎日試合があるプロ野球では引きずらないことが大切だと思いました」。京田のルーキーイヤーは毎日が必死の闘いだった。

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プロが語る4years.

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