野球

連載: プロが語る4years.

育成から復活し、火の玉ストレートを再び オリックス・バファローズ黒木優太1

2018年春のキャンプで投げ込むオリックスの黒木優太(撮影・朝日新聞社)

今回の連載「プロが語る4years.」は、オリックス・バファローズの黒木優太投手(26)です。東都大学野球リーグ2部の立正大で1年生から活躍、チームを14シーズンぶりの優勝にも導き、「火の玉ストレート」と称される剛球を持つ黒木。2021年は右ひじの手術を乗り越え復活をかけるシーズンになります。立正大学の先輩でもある4years.野球応援団長の笠川真一朗さんがこれまでの野球人生に迫ります。4回連載の初回は、野球を始めたきっかけと投手に転向、プロを目指すようになったことについてです。

手術で育成選手から再び支配下登録

2016年のドラフト会議でオリックスから2位指名を受けた黒木は最速156km/hの直球とキレのある変化球で打者をねじ伏せる。そしてなんと言っても魅力は闘志溢れる投げっぷりだ。1年目から主にセットアッパーとして55試合に登板。6勝3敗2セーブ25ホールドと申し分のない成績を残した。翌年も39試合に登板したが、先発への転向を目指した19年の春季キャンプでは右ひじの炎症で離脱。一度は持ち直したが、6月に右ひじの内側側副靱帯(じんたい)再建術(通称トミー・ジョン手術)を受けた。10月には球団から支配下選手契約の解除を通告され、育成選手となった。背番号も54から124と大きくなったが、長いリハビリを経て2020年暮れに再び支配下選手登録に復帰することが決まり、背番号も54に返り咲く。

立正大時代も1年からマウンドに立ち、ひたすら腕を振り続けた。大学では一つ下の後輩。そんな彼のプロでの活躍は僕もうれしかったし、何より「自分も頑張らなければ」と刺激をもらった。それは私だけでなく、同じグラウンドでプレーした仲間全員、黒木を応援する多くの方々が思っていることだろう。今回はプロ野球の舞台をつかんだ学生時代に考えていたことや手術からの復活に向けての過程について思いを聞いた。

2019年6月、右ひじを痛めた黒木(右)を励ます筆者(提供・笠川真一朗)

黒木は小学2年生から神奈川県の少年野球チームに弟と入団、最初は親に連れられて練習に参加した。「そんなに楽しいと思わなかったけど、弟が『やる!』って言ったんで。つられて始めました(笑)」。野球に対してぼんやりとした印象を持ったまま野手として始めた。それでも徐々に野球の魅力にひき込まれる。「自分でうまいと思ったこともないし、正直あんまり興味もなかったです。やってるうちに自然と『野球選手になりたい!』という気持ちが芽生えてきましたね」。中学生になると一度は硬式野球チームに入ったが、中学校の軟式野球部に入り直した。「野球が嫌いになって硬式をやめたわけじゃないです。朝が早かったのと、グラウンドまで遠かったので。理由はそれだけです(笑)」。野球を純粋に楽しみたい。黒木は意図せずにそのような行動をとっていた。

高校2年生の途中まで野手

高校は橘学苑(神奈川)に進学。「本当は公立校に行きたかった。強いところで野球をやって自分を売るより、あえてそこに立ち向かう高校で野球をしたほうが目立てると思ったので。そのほうが楽しいと思いました」。しかし黒木は紆余曲折を経て、橘学苑に入学することになった。考え方に変わりはない。「強豪校を倒す」その気持ちは常にあった。

今では投手として活躍する黒木だが、高校2年の夏までは遊撃手としてプレー。当時、エースだった椎名潤(現・日本製鉄広畑硬式野球部)の右ひじ故障をきっかけに投手へ転向した。当時の監督、石黒滉二さんが「投げたいやつ投げてみていいぞ」と言ったのがきっかけだ。黒木は「すぐ投手をやりました。『ついに出番が来たぞ』と思いましたね。楽しみで仕方がなかったです。肩は強いと周りの人にも言われてきたので自信もありました。でも自信があるとかないとかそんなことより、とにかく楽しみが大きかったです」と投手への転向を心から楽しんだ。

「プロで飯が食っていける」監督の言葉を信じた

そして投手の練習に励んでいるときに石黒監督からかけられた言葉が大きかったと言う。「お前はプロで飯が食っていける選手になれるから」。その言葉が黒木を変えた。「監督のあの言葉が耳にずっと残っていて。それから『俺、プロいけるんじゃね?』という今思えば、半分、勘違いのような気持ちを持ったところから始まりましたね。自分に可能性を持つこともできましたし、『なりたい』から『なれる』に変わって、練習に対する姿勢も一気に変わりました」。

それからは背番号1をつけてマウンドに上がるようになった。夏まではほぼ無名だった黒木だが、ストレートは最速146km/hを計測。存在は徐々に神奈川県内で知れ渡るが、最後の夏の大会は3回戦で東海大相模に敗れた。黒木はプロ志望届を提出したが、ドラフト会議で名前を呼ばれることはなかった。「自分の何がダメだったのか、他の選手に何が負けてるのか。そういうことを思いました。悔しかったですね。でもそれで逆に燃えて『大学から絶対にプロにいってやる』とスイッチが入りました」。強豪校を倒すことも、プロに行くこともかなわなかった。それでも黒木は決してくじけることなく上だけを見据えた。

そして進路選択に悩んでいた頃、立正大の練習会に参加。「2部だったけど、色んな話を聞いたり、強豪校の選手がゾロゾロいたり、ここで野球をやったら面白いかなって思いましたね。練習も主体性を持ってできるチームだとわかったので、東都大学野球がどんなところかあまり知らなかったですけど、ここで野球をやろうと立正に決めました」と入学を決意。黒木が入部するのは僕たちにとってもうれしいニュースだった。

大学1年から主力、飽くなき向上心で投げ込んだ オリックス・バファローズ黒木優太2

プロが語る4years.

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