大学1年から主力、飽くなき向上心で投げ込んだ オリックス・バファローズ黒木優太2
今回の連載「プロが語る4years.」は、オリックス・バファローズの黒木優太投手(26)です。2021年は右ひじの手術を乗り越え復活をかけるシーズンになります。立正大学の先輩でもある4years.野球応援団長の笠川真一朗さんがこれまでの野球人生に迫る4回連載の2回目は、1年生から活躍した立正大時代です。
1年生から主力として活躍
2013年、立正大入学後すぐに黒木はリーグ戦の背番号をもらった。秋からは主戦投手として活躍。東都大学野球2部で9試合を投げ防御率2.02(リーグ4位)など、下級生ながら既にチームを引っ張る存在だったが、決して最初から順風満帆だったわけではない。試合で打たれることも当然あった。「1年生の頃はいくら打たれたところで、あと3年間あると思っていましたし、対戦する打者や投手とも圧倒的な差を感じるわけでもなかったです。だから自信はあったし、周りのレベルの高い選手と勝負し投げ合うことで、自分の立ち位置を知る良い目安になりました」と当時の心境を振り返った。1年時から投げることを背負いすぎず、自分のパフォーマンスを最大限に発揮するために腕を振った。
日大の戸根千明と息詰まる投げ合い
2年生になると春は14季ぶりの2部優勝に貢献。そして、今でも忘れない試合を経験した。秋のリーグ戦での日本大学との試合だ。相手の投手は戸根千明(4年、石見智翠館、現・読売ジャイアンツ)。投げ合いは互いに一歩も譲らない。延長11回まで続く熱戦だった。11回表に1点を与えた黒木は負け投手に。戸根は138球。黒木は150球。ふたりは最後まで投げ抜いた。「戸根さんはプロに間違いなくいくような投手。そんな人と互角に投げ合えたのは自信になりましたね。自分自身の成長を感じた試合でした。それでも試合に負けたのは本当に悔しかったですし、自分が4年生になったときはそれ以上の投手になってやろうと思いました」
黒木は諦めの悪い男だ。負ければ負けるほど強くなる。負けた悔しさで成長してきたのだ。勝っても慢心しない姿勢を強く感じた。「一言で振り返ると『あくなき向上心』ですかね。今思うと。投げれば投げるほど『もっとこうすれば良くなるんじゃないか』というのが出てくる。試行錯誤しながら成長していける過程が大学生の頃は楽しかったです」
常に変化を求めて
そう振り返る黒木は常に変化を求め続けた。フォームが変わることもあれば、練習の内容も変わる。変えるなら変えるだけの練習量を積み重ねないと身体はそれを覚えない。そのために尋常じゃない球数を投げる日もあった。ブルペンで500球も投げ込んだり、試合後にひたすら遠投をしたり、とにかく投げることに執着していた。鬼気迫る表情で投げ込む姿を何度も目の当たりにしたが、本当に声をかけられないほど真剣だった。「当時は球数をたくさん投げることを必要な過程だと思って取り組んでいました。『球数は少ないほうがいい』と言われる時代ですが、それっていっぱい投げた人が最後にたどり着ける場所。最初から最小限で投げて成長できるわけがないです」とこだわりを口にした。
黒木は続けた。「練習の100球は練習の100球でしかない。試合の100球とは別物です。疲れ方がまったく違います。だから試合で完投するには練習で200球投げておかないと試合で完投できないんです。そういうことを続けていると疲れが投球に出にくくなりますし、疲れた中での投球も覚えていけました。自分の限界を知るのも大切で。それは投げ続けた人にしかわからない。あの経験は今でも大きな財産になっています」と胸を張る。
2部が神宮第二球場を使用していた頃、球場の周りをランニングしていたら1部でプレーする選手たちとすれ違うことがあった。黒木は「僕の思い込みかもしれませんが、なんとなく見下されているような感じがすごく嫌だった」と言う。反骨心も黒木を強くした。もう負けられない、1点を取られたら負ける。「最後の1年は特に思い入れがあった。4年生の時にチームを1部に上げられたらかっこいいじゃないですか。勝ちに対しての執着心はすごくありましたし、大きなものを背負って投げられたのもすごく財産になってます」。懸命に腕を振って結果を出す。投げることに対して人一倍の貪欲(どんよく)さがあった。「どうすればもっと良くなるか」。ひたすら自分自身に問い続け、実践してきた黒木は大学4年間で20勝もの勝ち星を積み上げた。