天理大で初めて味わった葛藤、李相佰杯で得た刺激と自信 茨城ロボッツ・平尾充庸2
今回の連載「プロが語る4years.」は、2020-21シーズンにB2リーグプレーオフで2位となった茨城ロボッツの主将・平尾充庸(あつのぶ、32)です。大学時代は天理大学でプレーし、2017年から茨城ロボッツで戦い、Bリーグ開幕以来初となるB1昇格をつかみました。4回連載の2回目は天理大時代についてです。
メインガードを真似て、初めて理解した
明徳義塾高校(高知)から天理大へ進学することは、特に悩まなかった。東海大学や日本体育大学に進むことも選択肢のひとつだったが、レベルが高いと言われる関東の大学への憧れがあったわけではない。決め手は高校の監督の勧めと、「天理大に行った(ファイ)サンバ(現・熊本ヴォルターズ)とまた一緒に戦いたい」という気持ちだという。関東であろうと関西であろうと、自分が進んだ道で努力することは同じ。肝心なのはそこで成長し、しっかり結果を残すことだ。しかし、迷わず入学した天理大で平尾を待っていたのは今まで味わったことのない葛藤。選手として初めて向き合う“悩み多き日々”だった。
「中学でも高校でも入学後すぐにスタメンとして使ってもらっていました。でも、天理に入ってからはスタメンどころかプレータイムも思うようにもらえないようになって。1年、2年とそれが続いた時は本当に悩みましたね。このまま学校をやめてbjリーグのトライアウトを受けようかと考えたほどです」
当時のメインガードは1年上の先輩。だが、どう見てもその先輩より自分の方が運動能力もシュート力も勝っているように思える。それなのにどうして自分は試合に出られないのだろう。いくら考えても答えにたどり着けない。そのとき不意にひらめいたのがひとつの“実験”だった。
「チームで練習ゲームをする時は主力チームと控えチームに分かれるじゃないですか。当然僕は控えチームのガードなわけですが、ある日の練習ゲームで主力ガードと同じコールをしてみようと思ったんです。先輩のコールをそっくりそのまま真似(まね)しようと決めたんですね。100%同じコールです。その結果、なぜ先輩が使われて自分が使われないのか分かった気がしました。まず大きいと感じたのは監督からの信頼ですね。先輩は監督の指示を最優先したプレーを選択する。一方、僕はそれを無視するわけじゃないですけど自分の判断を優先するところもある。つまり監督にとっては先輩の方が信頼できるガード、言い方は悪いですけど、監督が自分のバスケットを反映させるためにも先輩の方がいいガードだったんです。どちらの能力が上かみたいなことよりいかに信頼関係を築けているか、それが自分に足りていないものだと気づきました」
以来、平尾は自分から進んで監督に話かけるようになった。話をすれば今まで耳にしなかった監督の考えを聞けるようになり、それに対する自分の意見を返すことができた。次に実行したのは選手間のコミュニケーションを図ること。例えば「こういうシチュエーションならどんなパスがほしい?」「どんなタイミングのパスが1番シュートを打ちやすい?」などと声をかける。バスケの話が趣味や遊びの話に広がることも多々あり、相手をより知ることにもつながった。「改めてコミュニケーションの大切さが分かったというか。あれは僕にとってひとつの転機だったなあと思います」。それを機にシックスマンとしての出番は確実に増えていく。
痛感したのは何が足りないか、何が必要か、自分の頭で考えることの重要性。そして、考えたことを実行に移す勇気だった。
シックスマンの自分が李相佰杯のメンバーに
「高校で地獄の練習を経験した僕にとって、大学の練習はすごく楽なものでした。まあオプションを含めると100以上あるシステムを全部覚えなきゃならないのはめちゃくちゃ大変でしたが、それ以外は全然きつくなかった。特に天理大の場合はゲームライクな練習が多いので、日によってはそれほど汗をかかないで終わってしまう時もあるほど。本当に身体的には高校とは比べものにならないぐらい楽だったと思います。でも、これはあくまでも身体的には……なんですね。大学では自分の頭で考えなきゃならないことが格段に増えます。中学や高校みたいに先生が手取り足取り教えてくれるわけではないし、先生が全ての指示を出してくれるわけでもない。受け身のままで楽をしようと思ったらどんどん楽な方へ流されます。まっいいかと妥協したらそこで終わり。つまりは高校より楽に見えて、ある意味ずっと難しい。全く違う厳しさがあるんです」
平尾が新たな自信を得たのは李相佰杯(日韓交流親善試合)の代表メンバーに選出されたことだ。毎年、日本と韓国が交互に開催地となるこの大会には、日韓それぞれ大学のトップ選手が集まる。選ばれた3年生の時、平尾はまだ天理大のシックスマンだった。
「正確に言えば代表メンバーだった日大の篠山竜青さん(現・川崎ブレイブサンダース)が出られなくなり、急きょ僕に代役が回ってきたんです。びっくりしました。俺、スタメンで出てるんとちゃうんやけどなと思って。けど、自分の何かを評価して選んでもらったということは、シックスマンとして今やってるプレーが間違っていないんだなと思えたんですね。関西でめちゃくちゃ目立ってるわけでもないのに、見ていてくれる人がいて評価してくれる人がいるってことは自信になりました。関東の大学のトップレベルの選手たちからは刺激も受けたし、ものすごくいい経験ができたと思っています」
今年の天理大を自分たちで変えていこう
平尾にとってこれが大学で2つ目の転機。そして、最終学年を迎えた時、天理大と平尾にまたひとつ大きな転機が訪れる。
「僕たちの代の前までの先輩たちがいいチームを作るために努力してきたことは、もちろん間違いないと思います。けど、僕たちの代は今まででのどの代より努力した自信があります。それを転機と呼べるのか分からないけど、あの年、確実にチームは変わったと思っています」
大黒柱と言われたサンバはもういなかった。代わりにゴール下を支えたのは身長202cmの劉瑾(リュウ・ジン、現・西宮ストークス)。3年生の劉を中心にサイズはないが機動力と精度の高いシュート力を武器とする平尾、大谷拓哉、清水陽平の4年生トリオが阿吽(あうん)の呼吸でチームを引っ張った。
「今思ってもそれほど能力の高い選手がいたわけではないんですが、スーパースターがいない代わり努力は人一倍するチームでした。それまでゲームライクな練習が多かったチームにキャプテンの濱田佳祐が基礎的な練習を取り入れ、3年に続いて選ばれた李相佰杯の合宿で学んだことを僕が持ち帰り、『こういう練習はどうだろう』『この練習はいいかもしれない』とか、みんなでメニューを考えることも多かったです。先生が木曜日からしか練習に来られないこともあり、その間はみんなの意見を出し合いながらチームを作っていった。同じベクトルというか、一体感というか、今年の天理を俺たちで変えようみたいな前向きな雰囲気があったと思います」
努力を重ねた1年を答案用紙とするならば、最後の採点が行われるのは11月末のインカレだ。大会終了後、平尾たちは予想だにしなかった高得点の答案用紙を受け取ることになる。