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連載: プロが語る4years.

「日本のオポジットと言えば清水」と言われるレジェンドに パナソニック・清水邦広4

清水はパナソニックパンサーズに入団してから13年目を迎えた(写真提供・パナソニックパンサーズ)

今回の連載「プロが語る4years.」は、バレーボール男子日本代表としても活躍するオポジットの清水邦広(34)です。2009年に東海大学卒業後、Vリーグのパナソニックパンサーズでプレーしています。4回連載の最終回は、東京大会で自身2度目のオリンピックを目指す今についていです。

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選手生命も脅かすけがを乗り越え

東海大学を卒業して、この春で12年が過ぎた。在学時に先頭を走り続けてきたように、パナソニックパンサーズに入ってからもVリーグ、天皇杯、黒鷲旗など国内でのタイトルを数多く獲得。個人としても数々の個人賞を受賞し、日本代表のエース。12年のロンドン、16年のリオデジャネイロとオリンピック出場は叶(かな)わなかったが、それでも常に清水はバレー界の中心で、トップランナーであり続けた。

大事な1点をもぎ取るべく、常にトスを託されるポジション。それこそがオポジットの宿命でもあり、点を取ることこそが役割と清水も公言する。だがそれは、単純に攻撃力が秀でているからというだけでなく、誰からも愛される人柄ゆえ、「最後の1点を清水さんに」と託す。多くのセッター、選手に尋ねればきっと皆、そう答えるはずだ。

そんな清水を見舞った、最大の危機。18年2月、清水は試合中の着地でバランスを崩し、選手生命をも脅かすような大けがを負った。診断結果は右前十字靭帯損傷で全治12カ月。1カ所ではなく複数カ所の手術、長いリハビリを余儀なくされる。それまでもけがに苦しんだ経験があっただけに「なぜまた自分なんだ」と投げやりになり、一時は「もう無理だと諦めかけたし、(けがをした直後は)誰とも話したくなかった」と塞ぎこむこともあったと振り返る。

1回目の手術を終えたころ(写真は本人提供)

だが、チームメートだけでなく、けがをした試合で対戦相手だったチームの選手、監督が「清水選手のけがができるだけ深刻なものであってほしくない」「またコートで一緒にプレーできることを願っている」などと、ときに涙を浮かべながら語ったように、皆がまた、コートに立って躍動する清水の姿を思い描き、復帰を願う。必ず復帰させるから、という医師やリハビリを担当する理学療法士、数えきれないほど送られてくるファンからのメッセージ。

それまでも日本代表やパナソニックのエースとして、華やかな光の下で戦い、多くの声援を背に受けてきた。だが、けがをして先の見えない時でも、変わらず背を押し、支えてくれる人がいる。そんな幾多もの声や思いを力に、清水は奇跡のカムバックを果たす。19年には日本代表にも復帰し、ことあるごとに清水が口にしたのは「感謝」の二文字だった。

「支えてくれる人、応援してくれる人がいること。ホント、感謝しかないです。でも思い返すとそういう気持ちを教えてもらったのは大学時代。監督、先輩、仲間、いろんな人に出会えたことが財産で、バレーボールはチームスポーツなので、チームとしてどう勝つか、と真剣に考えて、試合に出る人も試合に出られず裏方に回る人も、みんなが同じ方向を向いて戦うことの大切さを僕は東海大で学びました。どんな時も一生懸命練習する先輩の姿を見てきたから、僕も後輩へ受け継ぎたいと思ってそういう姿を見せてきたつもりだし、東海じゃなかったら今の自分はいない。決してきれいなルートじゃないかもしれないけれど、その中で出会った人、巡り合わせに感謝しているし、だから今も頑張れているんだと思います」

けがをして塞ぎ込んでしまった時もあったが、仲間やファンの心強さを知った(写真は本人提供)

人見知りで引っ込み思案な小学生がバレーに出会い、中学では厳しさも知り、同時に勝つこと、上達することの喜びも知った。そして高校時代にライバルと出会い、大学で新たな世界を知り、熱い仲間たちとともに1つになって戦う。全てを出し切るほど全力で挑める試合があることの素晴らしさ、楽しさに触れた。

「やっぱり人間、諦めちゃ駄目ですよ」

いい時ばかりでなく、苦しいことも乗り越え、今見据える目標は東京オリンピック。例え1年の延期があろうと、今できることを精いっぱい果たす。清水はブレずに突き進んできた。出場が叶(かな)えば、清水にとって2度目となるオリンピックは大学生だった13年前、北京のコートに立ちながらも何も果たせなかった悔しさを自らの手で晴らす、リベンジの舞台でもある。

とはいえ、1年の延期を余儀なくされたように、先の見えない状況は続く。そして熾烈(しれつ)を極めるチーム内でのポジション争いも、最後の最後まで、どうなるか分からない。何一つ確約されたものはないが、それでも今、進む道に迷いはない。それは自身だけでなく、これからの時代を生きる大学生たちに向けても、伝えたい思いだと清水は言う。

「どんな結果であろうと、今までやってきた過程が無駄になることは絶対にない。だから諦めずにやり続けてほしいし、僕自身も挑戦し続けたい。投げ出すのは簡単だけど、その時点で、それまで積み上げてきたものが無駄になってしまうかもしれないわけじゃないですか。だったら例え1つうまくいかないことがあっても、今までと違うことに挑戦すればいいし、僕と比べたら学生さんたちはこれから輝かしい未来しかない。すごくうらやましいですよ。だからこそもっともっといろんなことに挑戦し続けて、今の時間を大切にしてほしい。仲間、応援してくれる人、今の環境。いろんなことに感謝しながら突き進んでほしい。やっぱり人間、諦めちゃ駄目ですよ」

長く選手を続け、バレー界のレジェンドになる

今年で35歳。こんなに長くできるなんて思わなかった、と笑うが、ゴールはまだまだ先。目指す未来は、もっとずっと遠い場所にある。

「サッカーで言えばキングカズ(三浦知良 横浜FC)さんやゴン(中山雅史)さん、野球で言ったらイチローさんのように、それぞれ“レジェンド”と呼ばれる存在がいますよね。僕もまだ、できる限りバレーボールを続けたいし、長く選手であり続けたいので、バレーボール界の荻野(正二、現サントリーサンバーズアンバサダー)さんや眞鍋(政義、現ヴィクトリーナ姫路球団オーナー)さん、松本(慶彦、堺ブレイザーズ)さんたちレジェンドと呼ばれる方々に並べるように、日本のオポジットと言えば清水、と言われるようなレジェンドになれるように頑張ります。それが、これからの目標です」

「バレーをしたい」と母に言ったあの日から、清水はまっすぐにバレーを向き合っている(写真提供・パナソニックパンサーズ)

同じ1点でも、それが2点にも3点にもなるような選手がいる。紛れもなく清水はそんな選手で、かけがえのない存在だ。自らの弱さを克服し、強くなるためにと毎夜走り続けた大学時代と同じように。もっと強くと願い、これからも誰より努力を続けながら、自らの道を切り拓(ひら)いていく。

プロが語る4years.

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