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連載: プロが語る4years.

ENEOS・林咲希2 白鷗大でシューターに 「一生忘れない試合」で弱さを痛感

高校時代は主にインサイドで戦い、唯一、アウトサイドでの起用を打診してくれた白鷗大に林は興味をもった(写真提供・白鷗大学)

今回の連載「プロが語る4years.」は、バスケットボール女子日本代表としても活躍する林咲希(26)です。大学時代は白鷗大学でプレーし、2017年に卒業してからはWリーグのENEOSサンフラワーズに所属しています。4回連載の2回目は精華女子高校(福岡)時代と白鷗大入学後の日々についてです。

ENEOS・林咲希1 全国とは無縁の小中時代、走る練習も「メチャクチャ喜んで」

高校時代は主にインサイドでプレー

林は高校の進学先を決める際にいくつかの体験入部に参加した。その時、知人の紹介もありつつも一番惹(ひ)かれたのが精華女子だった。

「今までは1人でプレーしてきた感じもあって、何でもやっちゃうタイプだったんです。けど、精華女子は周りの選手も上手だし、(周りに)引っ張られる感覚がすごくありました。練習に参加した時も基礎トレーニングが多かったんですけど、きついのにみんな笑顔で声出しをしながらやっていて、こんな楽しくバスケットができるんだと思いました」

大上晴司コーチの指導法は、林いわく「自分から学んでやることを大事にしていて、選手の強みを引き出してくれる」。今でも覚えているのは「いい選手がいたら自分から近づいていくことが大事」という言葉。林も「うまくなりたい」という一心でそれを実践に移し、自分からどんどん先輩に近づいていった。

精華女子は林が1年生の時のインターハイでベスト8に進出。当時はまだ主力ではなかったものの、ベンチ入りして初の全国のコートに立ったのがこの時であった。最終学年には再びインターハイに出場し、結果はベスト16。林は3年間でウインターカップには出場できなかったが、3年生での国体では福岡県代表メンバーの一員として全国2位を経験した。

高校時代の林は、持ち前の走力とミドルシュートを得意とするプレーヤーだった。しかし、主戦場にしていたのは4番(パワーフォワード)、5番(センター)ポジションと言われるインサイド。現在のようなシューティングガード、あるいはスモールフォワードでプレーするきっかけとなったのは、白鷗大に進学してからのことだ。

林自身も、今でもつくづく思う。「白鷗に行っていなかったらシューターにはなっていないかな」

大学でのポジションアップが大きな転機に

大学進学時にも林には複数の選択肢があった。けれども、その多くは高校時代同様、引き続きインサイドでのプレーがメインになりそうな大学ばかり。だが、白鷗大だけは違った。「2番(シューティングガード)、3番(スモールフォワード)で起用したい」。佐藤智信監督からそう意図を告げられた林は、チームの走るプレースタイルにも共感を抱き、白鷗大の門をたたいた。

「1年生の時は先輩たちにもまれながら必死でしたし、4年生はほんと雲の上のような存在でした。先のことは考えていなかったですね」。林が入学した時の白鷗大は、春の関東大学選手権で初優勝を飾り、秋のリーグ戦でも優勝。インカレでも3位に入っていた。林がチームの主力としてプレーするようになったのは、その2年生になってから。ちょうどその頃、佐藤監督から新たな要望を受けた。「点を取ってほしい」と。

監督から打診を受け、林は2年生の時にシューターになる決意をした(写真提供・白鷗大学)

「2年生の時は4年生に同じポジションでシュートが得意な選手がいたんです。特に敵対心はなかったですけど、自分も先輩みたいにもっとシュートを決められるようになりたい、3ポイントも得意になりたいと思い始めて、それから毎日シュート練習に取り組みました」

指揮官の期待に応えるべく、林はこれまで以上にムービングシュートや3ポイント練習に打ち込み、自身の得点パターンを増やした。そして、2位で終えたこの年のリーグ戦では、2年生ながら優秀選手賞に選ばれるまでに成長。3年生からはエースとしてチームを牽引(けんいん)する存在となった。

優秀選手賞に得点王に3ポイント王、それでも……

3年生になり、白鷗大はリーグ戦で2年連続2位、林も再び優秀選手賞に選出された。加えて、1試合平均18.8得点、計40本の3ポイントを記録し、得点王と3ポイント王も獲得。林にとってはスコアラーとしての能力を開花させた年となったが、今でも「一生忘れない」と感じるほどの思い出深い試合がある。それは、2年連続でリーグ優勝を持っていかれた早稲田大学に55-60で敗れた一戦だ。

「相手が自分のことをボックスワンみたいな形で止めてきて、点を取れずに何もできなかった印象があります。その時に自分の力のなさを痛感させられたので、あの試合は多分、一生忘れないと思います」

その悔しさを抱えて臨んだインカレでは、早稲田大が準々決勝で筑波大学に敗れたため再戦は叶わなかった。第2シードの白鷗大は順当に1、2回戦を制し、準決勝では自らのブザービーターで愛知学泉大学を破り、日本一に王手をかけた。最後の相手は藤岡麻菜美(現・シャンソン化粧品 シャンソンVマジック)を中心に破竹の勢いで勝ち上がってきた筑波大。試合は最後までもつれる好ゲームとなったものの、64-67で筑波大に軍配が上がった。

インカレ2位の悔しさを糧に、勝負のラストイヤーへ

準決勝では両チーム最多の24得点を挙げた林だったが、決勝戦は9得点と沈黙。3点を追いかける最後の局面でボールを託された際も、思うような攻撃まで運べなかった。「筑波戦の時も本当に何もできず、4年生をサポートできなかった印象が残ってます」。この時の記憶を思い起こしても、相手にスティールされたことや大事な場面でのシュートを決めなかったことだけが浮かんでくる。

林は大学生だった時から、自ら考えて行動し、課題と向き合ってきた (c)W LEAGUE

だが、これを機に林にはもっとシュートの精度を高めることに加えて「シュートだけではダメだ」という意識が芽生え、インカレ終了後から4年生に進級までのオフ期間を利用し個別にスキルワークに励んだ。「男子の学生コーチに頼んで、ハンドリングや状況判断などをみっちり教えてもらいました。それでハンドリングも良くなりましたし、ドライブに行きつつパスも出せるようになりました」

気づけば、大学日本一をつかめるチャンスはあと一回。林は白鷗大を初の栄冠へ導く存在になるべく、迫る大学ラストイヤーへ向け着々と準備を始めた。

ENEOS・林咲希3 白鷗大ラストイヤー、関東6位から「団結力」でインカレ初優勝

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