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連載: プロが語る4years.

超攻撃型の藤枝明誠で鍛えられ、ウインターカップ史上最多79得点 川崎・藤井祐眞1

藤井は2014年に拓殖大を卒業後、川崎(当初は東芝)でプレーをしてきた(写真提供・B.LEAGUE)

今回の連載「プロが語る4years.」は、Bリーグ・2020-21シーズンにレギュラーシーズン ベストファイブ(2年連続)、ベストディフェンダー賞(2年連続)、ベストタフショット賞を受賞した川崎ブレイブサンダースの藤井祐眞(ゆうま、29)です。2014年に拓殖大学を卒業し、同年からNBL・東芝ブレイブサンダース神奈川(現・川崎ブレイブサンダース)に加入してプレーしています。4回連載の初回はバスケットボールとの出会い、藤枝明誠高校(静岡)時代についてです。

「怒られたくない」から始まったバスケ道 川崎ブレイブサンダース篠山竜青・1

なんでもいいからお兄ちゃんに勝ちたかった

試合終盤、コートに立つほとんどの選手が疲弊している中で、藤井は大抵1人だけ、今試合が始まったかのようにピンピンしている。所狭しとコートを駆け回り、マークマンにへばりつき、ボールに飛びつき、外国籍選手にぶち当たりながらシュートを決める。その無尽蔵のスタミナと運動量は、多くの選手から「人間離れしている」と称されるほど。敗色が濃くなった展開を藤井の猛ラッシュでひっくり返し、劇的な逆転勝利とした試合も少なくない。プロバスケ選手としては小柄な分類に相当する身長178cm・体重75kgの体に、一体何が詰まっているのだろうとときおり不思議になる。

拓殖大を経て、14年にチームに加入。年々ポテンシャルを開放していき、2017-18シーズンのBリーグアワードショーでは優秀な控え選手に与えられるベスト6thマン賞を受賞。2019-20シーズンには史上初のアワード三冠(レギュラーシーズン ベストファイブ、ベスト6thマン賞、ベストディフェンダー賞)に輝き、2020-21シーズンも2季連続の3冠を達成している。

これだけの実績を残しているにもかかわらず、藤井は「日本代表になりたい」「スタメンになりたい」といった類いの欲をあまり持っていない。しかし、「勝負に勝ちたい」というごくシンプルな欲求に対する執着心は、負けず嫌いぞろいのBリーガーにおいても屈指ではないだろうか。「(不利な状況に立たされて)カッとなった祐眞にディフェンスされるのが、日本一いい練習になる」とは、川崎で同ポジションの先輩・篠山竜青の証言。クラブの公式YouTubeでも、レクリエーション的なミニゲームで1人本気を出す藤井の姿を見ることができる。

なぜこれほどに負けず嫌いなのか。本人に聞くと、その根源は4歳上の兄の存在にあるようだ。

「ちょっとからかわれただけで、すぐガチになっちゃう子どもでしたけど、それでもケンカもヒーローごっこも兄には全く勝てなかった。『なんでもいいからお兄ちゃんに勝ちたい』って気持ちはありましたね。テレビゲームなんかも勝つまで絶対にやめようとしなかったので、兄がわざと負けるか、親に怒られて強制終了になった記憶しかありません。『勝てないから面白くない』とは思わず、とにかく勝てるまでやろうというタイプです」

藤井(左)の負けず嫌いな性格は、兄に挑み続けてきた幼少期からのものだ(写真提供・B.LEAGUE)

藤井が高校から実家を離れたこともあって、待望の初勝利までには随分時間がかかった。「大学時代、帰省した時にやった腕相撲だったかな。大学までサッカーをやっていた兄は社会人になって運動から離れていたし、僕はバリバリ鍛えてたから、負ける気はしませんでしたけどね」と得意げに笑った。

ルーキーの時からチーム屈指の点取り屋

小学4年生でバスケを始め、松江市立湖東中学校で3年生の時に全国ベスト16。3年生が2人というチームを突出した得点力で牽引(けんいん)した藤井だったが、「高校では日本一になる」「強豪校でエースになる」といった欲はなく、「家から近い高校でいいか、くらいの気持ちでした」と振り返る。全国的な強豪校の練習に参加する機会もあったが、1つはその高校に通う中学の先輩から「上下関係が厳しいからお前には合わない」と言われ、もう1つは練習の雰囲気が怖くていい印象を持たなかった。

そんな折に、静岡の藤枝明誠高校から声がかかった。その年に初のインターハイ出場を果たしたばかりの藤枝明誠は、当時の指導者いわく「練習の内容は8割オフェンス」、藤井に言わせると「ディフェンス練習なんかした覚えがない」というくらいの超攻撃型チーム。自身のプレースタイルによく合う藤枝明誠への進学を決めた藤井は、1年生の夏前から主力となり、冬のウインターカップではチーム屈指の点取り屋に台頭。2年生でのウインターカップでは2回戦の海部高戦で79点をあげ、大会の歴代個人最多得点記録を21点も更新。3年生の時には同大会でエースとしてチームを初のベスト8に導いた。

最後のウインターカップでの藤井の姿は、今も強く印象に残っている。準々決勝の福岡大学附属大濠高戦、序盤から自慢の得点力でチームを引っ張り、敗戦が濃厚になった場面でも、前向きな声かけで仲間たちを鼓舞していた。その姿は、“最後まで勝負を捨てない”という意欲と意志にあふれていた。

藤井の“最後まで勝負を捨てない”姿勢は学生の時から変わらない(写真提供・B.LEAGUE)

テストのクラス順位の分だけランニング

初めて練習に訪れた時の藤枝明誠の印象は「ただただ楽しそう」。入学後もその認識に大きなズレはなかったと話す藤井だが、1つだけ誤算があったという。

「朝練だけはまじできつかったです……。最初にコート3面分のランニングをしなきゃいけないんですけど、テストのクラス順位で周数が変わるんです。1位だったら1周。37位だったら37周。僕、いつも下から3、4番目だったので、4時半くらいに起きて、毎日『無理だ!』と思いながら走ってました」

話しぶりから推測するに、藤井は3年間を通して、毎朝30周以上のペナルティーを与えられていたようだ。コート3面分の距離を単純に30周したとして4km超。コート間のスペースなども加えると、毎朝5km前後の距離を走っていたことになる。藤井の驚異的なスタミナを形成した一端は、もしかしたらこのペナルティー走にあったのかもしれない。

プロが語る4years.

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