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連載: プロが語る4years.

拓殖大で鈴木達也に魅せられた恐ろしいディフェンスの力 川崎・藤井祐眞2

藤井はバスケができて教員免許がとれる大学を考え、拓殖大に進んだ(撮影・青木美帆)

今回の連載「プロが語る4years.」は、Bリーグ・2020-21シーズンにレギュラーシーズン ベストファイブ(2年連続)、ベストディフェンダー賞(2年連続)、ベストタフショット賞を受賞した川崎ブレイブサンダースの藤井祐眞(ゆうま、29)です。2014年に拓殖大学を卒業し、同年からNBL・東芝ブレイブサンダース神奈川(現・川崎ブレイブサンダース)に加入してプレーしています。4回連載の2回目は拓殖大学に入学してからの日々についてです。

「怒られたくない」から始まったバスケ道 川崎ブレイブサンダース篠山竜青・1

大学でも「俺が日本一になってやる」はなかった

「当時はBリーグもないし、どこの大学が強いとかも知らなかったので、普通にバスケをやりながら教員免許がとれればいいかなくらいの気持ち。いくつか候補を絞った中で、監督さんが学校まで来て話をしてくれた拓殖大に決めました」

前回でも少し触れたが、藤井はいわゆる「大志」をあまり持たないタイプだ。中学全国ベスト16を経て藤枝明誠高校(静岡)への進学を決めたころも、「日本一」というような大きな目標はなし。高校2年生の時の“ウインターカップ歴代最多得点更新(79点)”で注目され、全国屈指のプレーヤーとして認められた先の、大学バスケでも同様だった。

「高3の終盤、めっちゃ腰が痛かったんですよ。ウインターカップも直前まで『今日の練習、無理』みたいな日が続いていたくらい。ウインターカップは普通にプレーできたけど、引退してバスケから離れている間にまた痛くなって、大学の練習に参加し始めてからも、いつも腰のことを考えながらプレーしていました。ウェートトレーニングとかもめちゃくちゃきつくて、ついていくのがやっとみたいなところもあったので、『俺が日本一になってやる』みたいな気持ちは正直あまりなかったかもしれないですね」

力を入れたのは「ディフェンス?」疑問符付きの答え

大学で、高校までとのトレーニング量との差に面食らうのは「大学バスケあるある」の1つだが、藤井も同様の洗礼を受けた。拓殖大が特に力を入れていたのが、瞬発系や持久力系を高めるランニングトレーニング。Bリーグ随一の“運動量お化け”の藤井ですら「今、毎日やれと言われたら多分無理っす」と即答するほどハードなトレーニングと腰痛とで、自身のバスケのパフォーマンスをどうこう考える余裕などなかったのだ。

藤井は1年生のころからスタメンとして活躍していたが、高校の時のようにオフェンスを第一にはしていなかった(撮影・青木美帆)

プレーのたびに悩まされていた腰痛は、トレーナーの献身によりいつの間にか消え、藤井は1年生の夏ごろより少しずつ主力として出場機会を得始めていた。軸に据えたのは、やはり高校時代に培った攻撃力だったのかと聞くと、「1、2年の時はそんなにオフェンスをガツガツやるマインドはなかったですね」と意外な返答。では何だったのかと再び問うと「ディフェンス?」と、なぜか疑問符付きの答えを得た。

「あれをディフェンスって言っていいのか……自由な感性? オフェンス側が『なんでこいつ、今こんなところにいるんだよ』って思う時ってあるじゃないですか。ああいうところだったと思います」

マークマンにしっかり貼り付いてプレッシャーをかけ、思うようにプレーさせない。多くのチームで基本とされるディフェンスへの意識を、藤井は大学に入るまでほとんど持っていなかったという。「中学も高校も、本当に感覚だけでディフェンスしてましたね。特に高校時代は、とにかくスティールを狙って、コースに入ったら相手がファウルするのを狙うだけ。それで(抜かれて)点を取られても取り返せばいいっていう感じでした」

鈴木達也先輩の脅威のディフェンス

藤井のボールに対する嗅覚は、プロになった今もそのプレーを支える素晴らしいギフトだが、勘だけでBリーグ屈指のディフェンスマンになったわけではない。ディフェンスを本気で追求しだしたのは東芝(現・川崎)に入ってからだと藤井は振り返るが、その前段階にある“ディフェンスの重要性”を思い知らされる出会いが、大学時代にあった。拓殖大の1学年上に所属していた鈴木達也(現・京都ハンナリーズ)の存在だ。身長169cmと小柄ながら、フィジカルと脚力を武器に主軸を努めていた鈴木について、藤井は言う。

「練習でオールコートの1対1があるんですけど、あの人のディフェンスはマジでやばい。恐ろしい。大学に入っての一番の衝撃でした。あの人とやると誰もボールが運べないんですよ。僕はそれを見て『無理無理無理! 絶対やりたくない』って思って、ペアになるのをずっと避けてました(笑)」

1学年上の鈴木に藤井はディフェンスの面白さを知らされた(撮影・青木美帆)

とは言っても、実際に相対してみるといろんなことが分かった。「ずっと低い姿勢で、ずっと足を動かして、ずっと相手のコースに入ってるんです。かつ、正面からバンとぶつかられても押され負けないフィジカルがあるし、手の使い方もうまくて、相手がボールを運びづらいようにしていました。大学の時に達也さんを見て、『ディフェンスの力ってすげえな』って感じました」

以前、川崎で藤井とコンビを組む篠山竜青が、藤井と初めてマッチアップした時のことを話してくれたことがある。篠山が日本大学4年生、藤井が1年生の時の秋のリーグ戦、日大が拓殖大に4点差で辛勝した試合について、篠山は「鈴木達也と祐眞がガッチガチのディフェンスをしてきて、全然ボールを前に運べなかったんですよね。心は折れるは、骨は折れるは(この試合で篠山は骨折を負った)……散々でした」と話していた。

オフェンス一辺倒だった中高時代を経て、藤井は鈴木の背中を見ながら少しずつ“ディフェンス?”の語尾を削り、その奥深さに魅せられていくようになる。

プロが語る4years.

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