今村は2年連続でレギュラーシーズンの全試合に出場した ©琉球ゴールデンキングス
新潟県長岡市。今夏、この街では日本三大花火大会の一つとされる「長岡まつり大花火大会」が3年ぶりに開催される。「全国的に大きい花火大会なんですけど、僕としては実家からすごく近いので、すぐそこで当たり前のようにやってる花火っていう感覚ですね」。そう笑って話す長岡出身の琉球ゴールデンキングス・今村佳太(26)は、新たなシーズンに向けて再始動した今、何を見据えているのだろうか。
あまりの悔しさに、大好きなバスケと距離を置いた
「今までの人生にないくらい引きずりました。本当に悔しくて、ファイナルの試合を見返すことができなかったです」
大好きな地元を離れて2年目の2021-22シーズン。その決断が見事に実り、今村は琉球の一員として初めて「B.LEAGUE FINALS」の舞台に立った。コロナ禍の影響や主力選手のケガに悩まされた中でも、今村はコートに立ち続け、レギュラーシーズンは2年連続となる全試合に出場。チャンピオンシップ(CS)では、島根スサノオマジックとのセミファイナルGAME2であげた25得点を筆頭に、計6試合で平均16得点をマークするなど、まさに日本人エースと呼ぶにふさわしい活躍ぶりだった。
だが、悲願の優勝には届かず。彼がファイナルの舞台で味わった悔しさ、ショックは想像以上のものだった。映像を見返し、反省や分析をして今後に生かさなければいけないことは分かっている。バスケットボールが大好きで、それまでのシーズン終了後は1週間以上の間隔を空けることなく来シーズンの準備を始めてきた。ユーロリーグもNBAの試合も頻繁にチェックするタイプだが、それを見てしまうとどうしてもファイナルのことが頭をよぎる。
「とにかくバスケから離れる時間を作らないと切り替えができないな」。そう思った今村は、自分の心に素直になり、思い切ってバスケから距離を置いた。その間、約1カ月。人生で初めての出来事だったが、このリフレッシュがいい方向に向いた。
「初めてやってみたんですけど、バスケ以外のものに触れることですごくフラットな気持ちになれました。まだ始まったばかりですけど、僕としてはすごくいい感触、状態で始められているなと感じています」
6月の中旬にはファイナルの映像も見返し、ふつふつとモチベーションも湧き上がってきた。7月初旬、琉球の背番号30はプロ生活6シーズン目へと歩み始めた。
すべてを注いだ大学時代が転機に
兄と姉がいる3人きょうだいの末っ子。両親も競技経験者というバスケ一家で育った今村は、物心がつく前からバスケットボールに触れていた少年だった。だが学生時代は県内の強豪校からの誘いはなく、帝京長岡高校(新潟)のトライアウトに参加した際も、結果は「ノー」。今村は当時の自分を「箸にも棒にもかからないような選手」と例える。
そんな今村が「人生を変えてくれた場所であり、僕にとっての青春の場所」とターニングポイントにあげるのが、新潟経営大学での日々だ。「すべてをバスケのために注いだ」という4年間は、食事にも気を遣い、時間があれば常に体育館で汗を流し、深夜まで練習に明け暮れることもざらにあった。2年生でのインカレでは初めて全国大会というものを肌で感じ、「衝撃」を受けたという。
「対戦相手が日本体育大学さんで、自分がどこまで通用するのかなという感覚でプレーしました。得点こそ20点くらい(実際は22得点)とれましたけど、改めてフィジカルの差を感じましたし、何もさせてもらえなかったという感覚がすごかったです。僕の中で初めてのインカレは衝撃しかなくて、その時に『今よりももっと上に行きたい』という思いがさらに強くなった大会でした」
今、こうして第一線で活躍できているのは、彼の可能性を信じ、新潟経営大に誘い入れた田巻信吾コーチの存在が大きい。「自分を見出してもらった存在」と話す恩師との思い出は、初のインカレを経験し、プロを意識し始めた頃のエピソードが印象に残っている。
「信吾さんとしては僕を4番ポジション(パワーフォワード)で使いたかったと思うんですけど、プロでは外のポジションでプレーしないと通用しないと思っていました。どうしても3番(スモールフォワード)で勝負がしたかったので、確か信吾さんには『やりたくないです!』ってはっきり言ったんです(笑)。そしたら僕のわがままを聞いてくれて、『お前がそう言うなら』と言ってくれましたし、そういう話し合いをフランクにできる方でした」
今村の代名詞とも言える3ポイントシュートは、このポジションの確立を機に本格的に磨き始め、徐々に自分のものにしていったのだ。
ちなみに、今季から琉球に加入した山下恵次スキルコーチは、今村と同じ新潟経営大の出身。今村が1、2年生の時には同大学のアシスタントコーチを務めており、かつて苦楽をともにした頼もしい先輩の加入は、後輩にとっても大きなプラスになりそうだ。
「恵次さんにはいろいろ教えてもらいましたし、今までも連絡を通じてアドバイスをもらっていました。これからはもっと細かく聞くことができますし、一緒にワークアウトもたくさんできるのでとても楽しみです」
沖縄開催のW杯出場へ「チャレンジできること自体が幸せ」
来る2022-23シーズン、今村は「よりハードな1年になる」と気を引き締める。琉球としては再びBリーグの頂を目指すだけでなく、10月からはアジアの強豪クラブが集う「東アジアスーパーリーグ(EASL)」への参戦も決定。日本代表に目を向ければ、世界最大の祭典「FIBAバスケットボールワールドカップ2023」が沖縄にやってくる。
トム・ホーバスヘッドコーチ就任後、今村は2月末に行われた「FIBAバスケットボールワールドカップ2023 アジア地区予選」のWindow2で最終ロスターに残り、沖縄アリーナのコートに立った。出場した2試合で平均15分のプレータイムを得たが、得点は合計8得点にとどまり「内容としては納得いってない」。しかし、今村はこう続ける。
「代表でも3ポイントとディフェンス力は世界でも通用するなと感じて、そこは自分としても自信につながりました。あとは、もっと引き出しが増えれば自分は上に行けると確信できたことも大きかったです。そう考えた時に、ペイントアタックを自分の中で意識したことで、2月以降のレギュラーシーズンでも手応えをつかんだものがありました」
沖縄アリーナでワールドカップが開催されるということもあり、琉球に所属する選手のメンバー入りを期待する声はすでに多い。無論、今村もその1人であり、本人は「僕自身、プレッシャーというよりは、そこに対してチャレンジしたい」とポジティブに捉えている。
「キングスの選手が沖縄アリーナで、日本代表として戦うことは、キングスが掲げる『沖縄をもっと元気に!』という理念にもつながると思います。そこにチャレンジできること自体が幸せなことなので、自分の中ではすごく楽しみですし、ありがたいなと思っています」
今村が代表の座を争うウイングポジションには、上を見れば渡邊雄太や馬場雄大がおり、若手にも西田優大、富永啓生らが台頭してきている。それでも今村は「自分も負けてられないですし、いい刺激になってます」と、熾烈(しれつ)なサバイバルレースを勝ち抜く覚悟だ。
エースではなく、絶大な影響力を持った選手へ
選手としてさらなる進化を遂げるために、次こそは琉球を頂点へ導くために、今村は「もっと個人で打開する力を身に付けたい」と目下の課題を口にする。けれど、それ以上になりたい選手像があることも事実だ。それは、「チームを救えるような選手」になること。
つまるところ、これまでのように主に得点面でチームを引っ張り、自身の活躍でチームを救うということだろうか? いや、そうではない。今村が考える「活躍」と「救う」の間には、自分なりの線を引いているようだ。
「もちろん、これからも得点をとって、ディフェンス面でも貢献していきたいとは思っていますけど、それ以上に僕がコートにいれば周りの選手が伸び伸びとプレーできて、流れが悪いチームがいい方向に進む存在に最終的にはなっていきたいという思いがあります」
活躍できなくてもいい。エースじゃなくてもいい。自分がいるだけでみんなが喜んでくれれば、それでいい。それはまるで、自らの光で暗闇を明るく彩る、故郷の花火のように。(文・小沼克年)