バスケ

琉球・岸本隆一 大東大時代に学んだ「規律」、自分のプレーで地元・沖縄を盛り上げる

沖縄で生まれ育った岸本は、大東大を卒業した後、沖縄に帰ってきた(写真提供・全て琉球ゴールデンキングス)

5月17日に31歳の誕生日を迎えた岸本隆一は、沖縄県出身のプロバスケットボール選手だ。北中城高校(沖縄)時代にインターハイを経験し、沖縄を飛び出して大東文化大学に進学。2013年から琉球ゴールデンキングスに所属している。チームのキャプテンも担うなど、故郷を背負い戦い抜く姿はまさに“金の上り竜”。西地区優勝を果たし、チャンピオンシップ優勝に向け、Bリーグの“西の竜”は暴れ回る。

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最強の新人から、最強のリーダーへ

大卒でキングスに加入し、ルーキーイヤーに新人王とプレイオフ最優秀選手を獲得。岸本の活躍もあり、キングスはbjリーグを制覇した。17、19年にはBリーグオールスターに選出され、19年にはスキルズチャレンジにも出場した。受賞歴から分かるように、長年キングスを引っ張ってきたリーダーだ。19年のオールスターはSNS投票枠で選出されているように、多くの人々に愛されている選手でもある。

バスケにはフランチャイズプレーヤーという言葉がある。ひとつのチームで長期にわたって活躍し続ける選手を指し、フランチャイズプレーヤーはチームの象徴となる。岸本のプレーからは、沖縄を代表している誇りのようなものを感じる。

チームでの役割

前述した通り、キングスのリーダーとしてプレーする岸本は、自身のチーム内での役割について、「年齢を重ね、中堅、ベテランの域に入ってきた。先頭に立ってチームを引っ張るよりも一番後ろでチームを支えることを意識している。改善点を見つけ補えるような存在になりたい」と語った。彼のこのリーダーシップは大学時代に培われた。

大東大バスケ部では「我慢」することを学んだ。1年生の時はベンチから外れることもあり、投げ出したくなることもあったが、結果が出ない時こそ忍耐強く自分を信じると決めた。高校のエースたちがそろう大学で、それぞれ実績やプライドがある中で協調してやってきたことが、今の自分にも生きている。

大東大に入学してすぐはなかなかプレータイムを得られず、我慢する日々が続いた

背が小さかったからこそ鍛えられた

得意の3Pシュートを生かして北中城高時代はインターハイに出場し、大東大時代には関東1部リーグ昇格も果たした。シューターとしてプレーし始めたきっかけを聞いたところ、「昔から背が小さく、ビッグマンが多いゴール下より、ゴールから離れてプレーすることが多かった。何より、遠くからプレーすることが昔から好きで自然とそういうプレースタイルになった」と言う。

大東大での思い出を聞いたところ、「初めての寮生活で自分のペースで過ごせないことが大変だったが、徐々に気遣いなどができるようになった。オフの日にチームメートと過ごしたことがプレーに現れた。今思えば扱いにくい選手だったと思うが、西尾(吉弘)監督は選手の意見を尊重してくれた。年齢が近いこともあって話しやすく、フレンドリーな監督だった。今でもチームのことを思い出すし、チームメートとも付き合いがある。一生付き合えるような仲間と出会えたことが財産」だという。

大東大で異文化交流

岸本は4年生になる前にほとんどの単位を取り終え、ラストイヤーは自分の将来のことを考える時間に使った。大学生活について「学生はプロではない分、生活の中で規律と、規律の中での自由を理解する場所」と考えている。大学は高校と違ってしかってくれる人がいない。その中で自分を律することが、勉強でも部活でも大事になってくる。「厳しく大学生活を送ると今後の人生の糧になる」と語り、バスケに関しては「部活を通し自分を律することを学んだ。プレーは当時から人より考えてプレーすることを意識していた」と振り返る。

バスケに限らず、大東大から学ぶことも多かったという。「当時は中国人留学生もいたし、今はセネガル人留学生もいる。学校の風土なのか留学生が多かった。異文化と触れ合える大学だと思う。文学部にも色々な先生がいるので、日本の文化も知ることができる大学」だと感じている。

留学生の多い大学で、改めて日本の文化を知ることもできた

在籍していた時から陸上部やラグビー部は強豪として知られ、バスケ部も結果を残し始めていた。「後輩たちがリーグ戦やインカレで優勝している。先輩としてはもちろんうれしいし、後輩たちはすごいなと思う。後輩の活躍は刺激になるし、これからも強い大東文化大学を作っていってほしい」と後輩たちに期待している。

後輩たちへ「変化を恐れるな」

プロとして長年活躍する岸本に、プロを目指す後輩に向けてアドバイスを送ってもらった。「大学は高校とはフィジカルが違う。トレーナーに教えてもらうことも大事だけど、自分の体を自分で理解することも大事。自分の体を理解し、日々の生活からしっかり節制し、練習に励むべき」。また、難病指定されている潰瘍性大腸炎から復帰した経験がある岸本は、けがで出場できない選手に向け、「何かの理由でプレーできないのはすごくつらいと思う。だけど、その時期には必ず終わりがくる。終わりがくることを信じ、自分を高めていくことが大事」と話す。

今順調にプレーできている選手にも自分の経験から思うことがある。「僕がどうしても言いたいのは、普通にプレーできるのは当たり前じゃないということ。コロナもあるし、明日大好きなバスケが奪われるかもしれない中で、周りの支えがあって今が成り立っている。感謝を忘れずにプレーしてほしい」

Bリーグでプレーするのは大学のトップ選手でも一握り。ずっとプレーするのは更に一握りの選手だ。だからこそ岸本は「変化を恐れるな」と後輩たちにアドバイスをする。

「高校からポジションが変わり、役割を変えないと試合に出ることのできないこともある。信念をもって役割を変えないことも大事だけど、状況を読んでいろんなことに気づき、行動を起こしてほしい。自分の体を大事にして取り組めば、自分の夢や目標はかなうと思う。応援しています」

一握りの人間しかプロとして活躍できないからこそ、岸本自身も変化を受け入れてきた

新しい「沖縄アリーナ」にワクワク感と責任感

キングスの本拠地となる「沖縄アリーナ」が4月10日にプレオープンした。県内最大となる1万人の観客を収容できる施設で、そのネーミングも含め、キングスと沖縄の絆(きずな)となる場所だ。岸本はそのアリーナでプレーできることに喜びと責任を感じている。「キングスが先駆けて誕生させた素晴らしいアリーナを使っていく。これからはよりプロフェッショナルにプレーすることが要求される。お客さんにも多くのことを求められると思う。変化を恐れず、バスケに向上心をもって厳しく精進していく。素晴らしい場所でプレーできる楽しさと、危機意識は大きいです」

新型コロナウイルスが猛威を振るう中、岸本は自分たちが元気にパフォーマンスをすることで、誰かにいい影響を与えられたらと考えている。「沖縄県民として、キングスの選手として、Bリーガーとして、周りに影響を与えられるようにプレーしたいですね」

沖縄に育ててもらったひとりとして、キングスのフランチャイズプレーやとして、日本一のタイトルを目指す。

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