兄のキーファー・ラベナ(左)と弟のサーディ・ラベナ ©︎B.LEAGUE
Bリーグが、中国、韓国、チャイニーズ・タイペイ、フィリピン、インドネシアの5カ国・地域の選手を対象に「アジア特別枠」を設けたのは2020-21シーズンのことだ。その第1号としてやって来たのが、サーディ・ラベナ(三遠ネオフェニックス)、1年後に来日したのが、兄のキーファー・ラベナ(滋賀レイクス)である。ともにフィリピンを代表する有力選手として知られ、日本の舞台に立った今もそれぞれのクラブの柱として勝利に大きく貢献している。
ほぼ毎日連絡を取り合う仲良し兄弟
今シーズンは滋賀がB2に降格したことで、2人の直接対決はかなわなかったが、それでもお互いのスタッツは常にチェックして、ほぼ毎日電話で連絡を取り合っているそうだ。「なんてことはない他愛(たあい)のない話をするだけなんですけどね」と笑うキーファーの言葉からも兄弟の仲の良さが伝わってきた。
2人が生まれ育ったのはフィリピンの首都マニラ。父は元プロバスケットボール選手、母は元バレーボールフィリピン代表選手、24歳の妹は現在フィリピンのリーグで活躍するバレーボール選手と、誰もが認めるスポーツ一家だ。
「スポーツがすごく身近にありました。僕が本格的にバスケを始めたのは12歳だけど、バスケをする父にくっついて、ボールには4歳ぐらいから触れていたと思う」とキーファー。3歳下のサーディが兄の背中を追うようにバスケを始めたのも自然な流れと言えるだろう。
弟の変化を一番近くで見守った兄
ところが、サーディ本人によるとその経緯はちょっと違っていたようだ。
「実は僕が最初に始めたスポーツはバスケじゃなくて野球だったんですよ。だけど、太陽の下で長時間プレーしていると体に不調が見られるようになって屋内競技のバスケに変更したんです。そのせいもあってか最初は兄弟でも(バスケに対する熱量に)少し差があったような気がします」
その“温度差”は同じくキーファーも感じていた。
「もともとサーディと僕は性格が真逆なんですよ。時間があれば僕は家でゆっくり過ごしたいタイプだけど、サーディは友だちと一日中外で遊んでいたいタイプ。バスケに関しても僕はいつも真剣なのに、サーディにはそれが足りていない気がして時々いらだつことがありました」
では、サーディはどんなふうに私たちが知る“今のサーディ”にたどり着いたのだろう。
「僕の意識は高校2年生のときに大きく変わりました。フィリピンにはクラブに所属する選手の個人ランキングがあるんですが、その年のチャートで僕は下から2番目だったんです。愕然(がくぜん)としました。大学でプレーを続けるならこのままじゃ絶対ダメだと思って、それからは本当に毎日必死で練習しました」。その甲斐(かい)あって、翌年の個人ランキングは一気に2位まで駆け上がる。
「そのとき感じたのは、優れた選手になるための近道はないんだということです。もちろん選手によって身体能力などに差はあるけど、最も必要なものは何か、最も大事なものは何か、高校2年で僕はそれを学びました。自分の人生のターニングポイントだったと思います」
そんな弟の変化を一番近くで見守っていたのは兄だったに違いない。「よし、よし」とうなずきながら、かつて弟に覚えたいらだちが消えていくのを感じていたのではなかろうか。
日本でチャレンジする道を選んだ2人
「僕たちの性格は正反対」と口をそろえる2人だが、その真偽を確かめたくて、別々に同じ質問をしてみた。
ーー好きな日本の食べ物は?
じっくり考えて「親子丼かな」(キーファー)
即答で「すしと焼き肉!」(サーディ)
ーー日本でお気に入りの場所は?
「京都の清水寺です。そこから見る夕日は本当に美しくて、眺めていると心が安らぐのを感じます」(キーファー)
「フィリピンに似ている沖縄が好き! もう一つは沖縄とは真逆の北海道かな」(サーディ)
ーー将来の夢は?
「日本、フィリピンを問わず若いバスケ選手を育てる仕事がしたい。同時にいつかできるであろう自分の家族と楽しく過ごしたいです」(キーファー)
「何かバスケ界にインパクトを与えることがしたいと思っているけど、それとは別にビーチに近い場所でカフェを開くことが夢。毎日サーフィンができたら最高です」(サーディ)
なるほど、短い回答の中にも、それぞれのキャラクターが垣間見られておもしろい。しかし、さらにおもしろいと感じたのは、質問がバスケに関することになったとたん2人の回答がシンクロしていったことだ。
たとえば、日本でプレーしようと決めた理由について語る2人に共通していた言葉は『チャレンジ』。
「自分はステータスとか人気とかはあまり気にしない性格で、それより日本で得られるものついて考えました。一足先に日本に来ていたサーディから日本のレベルはとても高いと聞いていたし、日本でプレーすることは必ず自分のキャリアのプラスになる。チャレンジする価値があると思いました」(キーファー)
「大学4年のときにオファーをもらったのがきっかけです。そのときBリーグでプレーしているフィリピン選手はいなかったのですが、だからこそチャレンジしてみたいと思いました。今も人生で一番良い決断をしたと思っています」(サーディ)
ちなみに2人ともチームのすべての仲間たち、すべてのファンのことが「ほんとに大好き!」だそうだ。
後に続く若い選手たちのために
現在B1、B2を合わせて16人(内12人がフィリピン出身)の選手が活躍するアジア特別枠について尋ねたときも、2人の思いは重なった。
「フィリピンのタレントレベルは高いと思っています。彼らのその能力が日本で発揮できるのはすごくうれしいこと。運営面も含めてクオリティーの高さはトップレベルだと感じているBリーグが、我々を受け入れる場を作ってくれたことに心から感謝しています。僕がやるべきことは全力を尽くすこと。後に続く選手のためにもリーグに貢献できる選手でありたいです」(キーファー)
「アジア特別枠のパイオニアになれたことは光栄ですが、同時に責任も感じています。プロになるにはどうしたらいいか、プロとはどういうものかと、(母国の選手たちから)よく聞かれますが、自分がそれをコートで示さなければならない。これから日本にやって来る選手たちの『良い例』になれるよう頑張っていくつもりです」(サーディ)
覚悟を持って挑戦し続ける新しい道は、後に続く者の道だ。そのことを2人は知っている。
互いに掲げた目標に向かって走り抜く
2023-24シーズンもいよいよ終盤に差し掛かった。3月14日時点で三遠は34勝8敗でB1中地区トップに位置し、B2で46試合を終えた滋賀は34勝13敗で西地区首位につける。
いずれもチャンピオンシップ(CS)進出は濃厚。三遠は悲願の初優勝を目指して、滋賀はB1への返り咲きを見据えて最後まで気が抜けない戦いが続く。
「僕は1つのことに突出した選手ではないけれど、フィジカル、スピード、パワーをバランスよく兼ね備えていることが強みだと思っています」と言うサーディと、「自分の強みはリーダーシップ。プレーはもちろんですが、努力、責任感といった人間的な部分でチームを牽引(けんいん)していきたい」と言うキーファーが、それぞれがチームの浮沈の鍵を握るのは間違いないだろう。注目度はますます高まりそうだ。
最後に一番聞きたかった質問をしてみた。
――あなたにとって兄弟はどんな存在ですか?
「サーディは2023年のワールドカップに出られなかったけれど、その悔しさをバネに努力を重ねてきたのを僕は知っています。三遠の快進撃の要因にもなっている彼が本当に誇らしいです」(キーファー)
「みんなは兄のことを賢い選手だね、リーダーシップがすごいねとよく言うけど、そんなこと僕はとっくの昔に知ってます。兄は子どものころから賢くて、強くて、僕の誇りでした。それは今も変わりません」(サーディ)
2人が口にした最後の回答はシンクロ率100%。とても深く、そして、尊い「誇り」という言葉だった。(文・松原貴実)