河村(中央)は持ち前のスピードとテクニックを生かし、ルーキーイヤーから東海大学の戦力として活躍している ©青木美帆
河村勇輝。身長173cmの小柄なポイントガードは、19歳にして八村塁(ワシントン・ウィザーズ)や田臥勇太(宇都宮ブレックス)と並ぶ知名度を誇るバスケットボール選手になった。
圧倒的なスピードとテクニックで、見る者の視線を釘付けに。福岡第一高校を3度の全国制覇に導いた後、2019-20シーズンに特別指定選手として三遠ネオフェニックスへ加入。屈強なプロ選手たちをも翻弄(ほんろう)してみせ、新人賞ベストファイブにも選ばれた。その衝撃はバスケ界だけでなく、お茶の間にまで広く知れ渡った。
東海大学でのルーキーイヤーでも、圧巻の存在感を放つ。初の公式戦となった10~11月のオータムカップ2020(関東大学男子リーグ戦代替大会)ではシックスマンとして起用され、チームの優勝に貢献。11月27日には楽天とマネジメント契約を締結し、大きな話題を呼んだ。
身長170cm、バスケで戦えるとは思っていなかった
今となってはあまりに意外な話だが、河村は中学生の頃まで、プロ選手は言わずもがな、高校・大学でもトップレベルでプレーするイメージすら持っていなかったという。
2012年、広島で行われたウインターカップ。地元・山口の高校を応援するために会場を訪れた河村は、会場の熱気やハイレベルな攻防に興奮しつつも、シビアな現実に直面した。「高校バスケって、体格や身長が有利なんだなって改めて感じました。僕は当時から身長が低かったですし、気持ち的に落ち込んだところはあったかもしれません」
日本バスケの最高峰は、身長の低い自分が立てる場所ではない。そんな思いがあったからか、全中ベスト16入り、U16日本代表候補選出という万人が与えられるものではない結果を手にしても、河村は自らの可能性に蓋(ふた)をしていた。当時170cmに満たなかった身長がネックになったのか、強豪校と呼ばれるチームからの誘いもなかった。
しかし今、河村はその頃には考えられなかったような場所に立っている。河村に身長以上のポテンシャルを認めた、井手口孝コーチの誘いで福岡第一高に入学したことで、その才能が一気に引き出されたからだ。1年生の時のウインターカップでスタメンデビューを果たし、ベスト4入りの原動力として大活躍。2~3年生の時には同大会を連覇し、U16、U18日本代表として国際大会も経験した。“サイズに恵まれなくても高い場所で戦える”という確かな自信を手に入れたのが、福岡第一高で過ごした日々だった。
高校バスケで得たものを問うと、河村は言った。
「高校の最初の頃まで、バスケで生きていくという選択肢は全くありませんでした。けれど、井手口先生のもとでバスケを学び、試合に負けて悔しい思いをし、優勝の幸せをチームメートと共有したことで、将来もバスケをやっていきたいという夢を持つことができたんだと思います」
福大大濠に敗北、そこから「ゲームコントロール」を学び
そんな河村が「あれがなかったら今の自分はいない」と振り返る試合がある。17年、河村が高校1年生だった時のウインターカップ準決勝、福岡大学附属大濠高校戦だ。
福岡第一高と福大大濠高は、言わずと知れた高校バスケ界屈指の強豪校であり、それぞれが強烈に意識し合う同県のライバル。互いが「絶対に負けられない」と火花を散らした福岡対決に、福岡第一高は58-61で敗れた。河村は39分30秒の出場で、10得点6リバウンド、2アシストというスタッツ。ターンオーバーは10、スリーポイントシュートは0/10本だった。
今年2月、河村はこの試合を以下のように話していた。
「敗因は、とにかく自分のゲームコントロールが悪かったことです。ターンオーバー、シュートの判断、味方の鼓舞の仕方……本当に悲惨でした。先生からは『1年生はがむしゃらにやることが大事』と言われていて、準決勝まではそれでうまくいっていたんですが、この試合は初めてそれが通用しなくて。何がなんでも速攻でいくのではなく、状況や時間帯に応じた攻め方が必要なんだと学びました」
様々な要素が含まれる「ゲームコントロール」という命題に挑むため、河村はひたすら実戦からそのエッセンスを吸収した。場面場面で井手口コーチから受けるアドバイスを真摯(しんし)に受け止め、次回のゲームに生かす。それを積み重ねていくうちに、頭で考えずとも体が自然に判断を下すようになった。
「2年生の始めまでは、先生にうまくコントロールされていた感じなんですけど、少しずつ言われなくても分かるようになってきて、高校3年生の時のウインターカップではほとんど戦術的なことは何も言われませんでした。任せられるガードに成長できたんじゃないかと思っています」。0/10本という惨憺(さんたん)たる結果だったスリーポイントシュートも、猛練習で克服した。
主力を務めるようになったこのウインターカップ以降、河村は高校生相手に一度も負けていない。裏を返せば、この1度の敗北を猛烈に悔しがり、これを覆そうと必死に努力を重ねたからこそ、河村はその後の戦いに勝ち続けられたと言えるかもしれない。
悔しい思いをした人たちの気持ちも背負って
新型コロナウイルスの影響は、高校バスケ界にも大きな影響をもたらした。インターハイ、国体は中止となり、ラストゲームを戦うことすらかなわぬまま引退を迎えた高校生も数え切れないほどいる。河村も、インターハイ中止を受けて落胆した福岡第一高の後輩たちに「バスケはまだウインターカップがあるかもしれない。最後の大会がなくなってしまった他の部活の友達のことを思ってプレーするんだよ」というメッセージを伝えたという。
「出場する120校のプレーヤーのみなさんは、ぜひ、悔しい思いをした人たちの気持ちも背負って、今年最初で最後の全国大会を戦ってほしいです。これが人生最後のバスケの大会になる人もいると思いますが、とにかくプレーを楽しんで、学んで、いい思い出にしてほしい。僕も白熱した試合が見られることを楽しみにしていますし、応援しています」
前例のない状況だからこそ、全国の舞台で戦える喜びをかみしめ、楽しんでほしい。河村はそうエールを送った。(文・青木美帆)