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米須は東山の主将として自身最後のウインターカップを戦い、決勝で仙台大学附属明成に敗れた ©JBA

米須玲音「パスは誰にも負けない」 高校生Bリーガーとして川崎へ、日大で狙う日本一

2021.01.20

悲願の初優勝とはならなかった。

第73回全国高等学校バスケットボール選手権大会(SoftBank ウインターカップ2020)の男子決勝戦、東山高校(京都)は仙台大学附属明成高校(宮城)に最大17点あったリードを覆され、無念の逆転負け。最終スコアは70−72での準優勝だった。

今大会No.1ポイントガードと呼ばれた東山の主将・米須玲音(よねす・れおと、3年)は、試合終了のブザーが鳴った瞬間、ひと目をはばからず泣いた。それでも、高校生活最後の大会を経て新年を迎えてからは、少しずつ前へと歩み始めた。

無念の準優勝も、ウインターカップ開催には感謝しかない

「試合が終わった直後はすごく悔しくて……。あれから京都に帰って何日かしたら落ち着きましたけど、まだ試合を見返すと悔しい気持ちが込み上げてきますね。でも、準優勝は素晴らしい結果だなと思っています」

2020年は新型コロナウイルスという見えない敵との戦いでもあった。今回のウインターカップでも男女計7チームが欠場を余儀なくされ、トーナメントを勝ち上がっていく中でも、選手たちは「明日は試合ができるのか……」という不安にかられながら過ごしていたことだろう。

それはバスケに限らず、他の競技に関しても同じことが言える。東山高校バスケ部は、届かなかった日本一の夢をバレー部へ託した。同部は昨年の第72回全日本バレーボール高等学校選手権大会(ジャパネット杯春の高校バレー)で初優勝を成し遂げ、今年1月5日に開幕した今大会でも優勝を目標に掲げていた。いつもバスケ部の隣のコートで練習しており、「同じクラスの人も何人かいて仲がいい」と米須も言う。

しかし、今大会は3回戦を前にチームに発熱者が確認され、そのまま春高バレーを終えた。これには米須もショックを隠しきれなかった。

「自分たちのウインターカップが終わって次は春高バレーだったので、大会前は『お互い日本一をとって東山を有名にさせよう』と言っていました。自分たちは準優勝でしたけど、いい形でバレー部にバトンタッチしたつもりでしたし、『絶対日本一になるから』と言ってくれました。何でこういうことが起こってしまったんだろうってすごくショックでしたね」

厳しい状況の中でも、ウインターカップという舞台で戦えたことに感謝をしている ©JBA

ウインターカップを思う存分戦えなかったライバル、そして同じ体育館で過ごした仲間の悔しさは計り知れないが、だからこそ米須は最後の最後までコートに立てた喜びをしみじみとかみしめる。

「コロナ禍でもこうして大会をやれたことと、最終日まで楽しくバスケットをやること。目標としていた日本一にはあと一歩で届かなかったですけど、目標の3つのうち2つは達成できました。今回の経験を通して、多少無理をしてまでウインターカップを開催してくださった関係者や、これまで自分たちを支えてくれた方々に感謝することが一番大事だと思いました」

届かなかった「あと2点」は、今後の大きな糧となり、いつしかかけがえのない思い出に変わるだろう。

「パス」で伝える・魅了する、これまでも、これからも

米須は姉と兄がいる3兄弟の末っ子。5つ上の兄にあこがれ、小学校1年からバスケを始めた。小・中学時代から全国の舞台に立ち、高校進学の際は地元の長崎か、声をかけてくれた大澤徹也コーチが指揮する東山かで悩んだが、「プロになりたいなら、地元より東山に行った方がいい」と家族が背中を押してくれた。

「パスは誰にも負けない」。3年間、東山の司令塔として全国で名を馳(は)せた背番号11は、パスに絶対的な自信を持っている。それは以前、大澤コーチに米須の魅力を聞いた際も「あいつの魅力は絶対的なアシスト」と開口一番に言うほど自他ともに認める部分でもあり、高校最後のウインターカップでは6試合で計58本(1試合平均9.7本)ものアシストを記録した。

「いつからパスが得意なのか?」と単刀直入に聞けば、「小学校の頃からですかね。その時から結構うまかったんですよ」と、米須は満足げに話し始めた。

「誰かのプレーを真似するというよりかは、やっていくうちにパスが好きになりましたね。小学校の頃はただ、どフリーのところにカッコつけたビハインドパスとかを出していたんですけど、中学校からは魅せるパスをしつつも『そこしかない』というところに出す正確性も意識するようになりました」

洛南との京都対決となった準決勝、米須(右)は22得点を決めているが、味方を生かすプレーにこそ米須のうまさが光る ©JBA

「変幻自在」「美しすぎる」などと表現される米須のパス。では、それを可能にさせる日々の練習はどのように行っているのか。パスとなれば受け手が必要なだけに、壁に向かってひとりで黙々とするわけにもいかないだろう。米須の答えはこうだ。

「4対4とか5対5の練習で、自分がパスを出していくうちに周りが気づいて、慣れるという感じです。『自分はそこに出すからそこに飛び込めよ』という“メッセージ付きのパス”って言うんですかね。最初はやっぱり取れなくてミスになるんですけど、やっていくうちに味方が分かってくれるようになります」

相手の意表を突くトリッキーなパスも繰り出せる。だが本人が求めるのは、「いかに普通のパスをそこしかないところへ出せるか」。相手がスティールできそうだが、ギリギリで届かず味方の胸にスッと収まる。そんなパスだ。

「発想力は周りに比べたらあると思います。言葉ではあまり説明できないですけど、感覚ですね」と自身のパスセンスを語る米須には、勝つことと同じくらい大事にしていることがある。それは試合を楽しみ、観客に勇気と感動を与えること、そして自らのプレーで会場を沸かせることだ。

「会場を沸かせたいという気持ちは常に持っていますね。やっぱり来てくれたお客さんに楽しんでもらいたいですし、これから上のレベルになればなるほど読まれやすくなると思うんですけど、シンプルなパスでもなぜか会場が『オー!!』となるようなパスを出していきたいです」

ライバル・河村勇輝に続き、日大進学前にB1へ挑戦

昨年1月に河村勇輝(当時・福岡第一高、現・東海大1年)がB1リーグのコートに立ったように、米須も今年、高校生Bリーガーとして国内最高峰の舞台に立とうとしている。オファーがかかったのは川崎ブレイブサンダース。1月13日には川崎主催の記者会見が開かれ、米須が特別指定選手として加入したことが発表された。

米須は高校ラストイヤーとなった昨年、チームでの日本一を最大目標としながらも、ライバルでもある河村と同じ道を歩みたいと心に秘めていたという。

「河村さんみたいに自分も大学入学前にBリーグでやりたいという思いがあって、それを目指してこの1年頑張ってきた部分もありました。正直、川崎さんのようなトップチームでやれるとは思っていなかったです。これからのバスケ人生ですごく勉強になりますし、日本代表の選手や自分のお手本となる選手もいっぱいいて、トップレベルを間近で感じられるので本当にありがたいです」

米須は高校生Bリーガーになることも意識しながら、この1年、バスケに向き合ってきた ©KAWASAKI BRAVE THUNDERS

会見では川崎の伝統であるブレイブレッドのユニフォームを身にまとって登場した米須。個人的な感想だが、予想以上に似合っていた。ひとまず、川崎での活動期間は今春進学予定の日本大学での活動が始まるまでとなる。

それでも、米須とともに会見に出席した川崎の北卓也ゼネラルマネージャーは、「先を見据えてプロに必要ないろんな要素を伝えながら育成していきたい。最終的には川崎ブレイブサンダースのフランチャイズプレーヤーへ、そして日本を代表するプレーヤーになってほしいと思っています」と大きな期待を寄せた。

3年間、バスケだけでなく担任の先生としても米須を育て上げた大澤コーチは、緊急事態宣言の影響を受け、会見に同席できなかった。だが、「君にしかできない経験です。この経験ができることに感謝してください。たくさんの人に見ていて楽しいバスケットボールを見せてください。楽しむことを忘れずに」と、書面を通じてエールを送った。

「まず自分が最も得意としているパスが、このプロの舞台でどれくらい通用するのかを試したい。大学では個人の成長もそうですし、チームとしてまだ達成できていない日本一を目指して頑張りたいなと思います」

休む間もなく、新年早々にスタートした米須玲音の第2章。この先、どんな壁にぶち当たろうとも、自分にしかできないパスで切り開き、我々さえも“翻弄”してほしい。(文・小沼克年)