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奥山は高校生だった時に初めてA代表合宿に招集され、今は東京オリンピックの代表候補選手としても活動している © ENEOSサンフラワーズ

ENEOS・奥山理々嘉 シューターとして世界に挑戦、誰かを笑顔にさせられる選手になる

2021.05.21

八雲学園高校(東京)時代からA代表合宿に招集され、ジャカルタアジア大会3x3バスケットボールでは準優勝。高2のウインターカップで記録した1試合62点は、現在も1試合最多得点記録となっている。学生の時から全国トップレベルのスコアラーとして名を馳(は)せてきた奥山理々嘉(りりか、21)の胸にあるのは、「もっと強くなりたい」という思い。強豪・ENEOSサンフラワーズでもまれ、5人制女子バスケで東京オリンピックを見据えている。

全中準々決勝、ベンチで大泣き

バスケを始めたのは2つの上の兄の影響だった。「小3だった兄と一緒に小学校のグラウンドでバスケをしたのが始まりです。遊び感覚で自主練をしていて、それが楽しそうで、実際に楽しかったんです」。奥山も小3になった時に地域のミニバスチームに入り、バスケにのめり込んだ。

小4のある日、監督から「日本代表になりなさい。あなたはそういう選手になれるよ」と言われたことをきっかけに、将来の夢が明確にバスケ選手になっていった。小6の時には身長が168cmもあった奥山に対しても、監督は「大きくても走れるのは絶対武器になる」と、センターだけでなくあえてポイントガードも指名。様々なプレーをする楽しさも、奥山の向上心につながった。

校区内の中から坂本中学校(神奈川)を選んだのも、バスケの環境がよかったことが理由だった。チームメートにはミニバス時代の神奈川県選抜メンバーも多く、先生も先輩も同級生も、皆が気持ちひとつで戦う雰囲気の良さを感じた。「みんなバスケットが好きで、みんなで勝つために練習していて、もう、楽しかった!という思い出しかないです」

今でもよく覚えている試合がある。最後の全中準々決勝、相模女子大学中学部(神奈川)を追いかける展開の第4クオーター(Q)で奥山が5ファウルで退場。ベンチで仲間を信じ、応援することしかできなかった。エースを失った苦しい展開の中、チームは団結して戦い抜き、51-50で逆転勝利をつかんだ。「勝った瞬間、大泣きしてしまいました。みんなが駆けつけてくれて、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだったんですけど、本当にこの仲間とバスケットをやってきてよかったって改めて思いました」

準決勝の相手は、以前に5点差で敗れた所沢市立山口中学校(埼玉)。リベンジをかけて挑んだが、57-61で敗れた。結局、所沢山口が優勝し、坂本は3位だった。「今度こそはと思っていたんですけど……。今でも悔しいです」。全国制覇を掲げて挑んできた3年間。その悔しさがあったからこそ、八雲学園高校進学前、奥山は高木優子監督に「絶対、私はこの3年間で日本一になりたいです」とまず打ち明けた。

日本一になる。奥山がバスケをする上で常に思い描いてきたことだ © W LEAGUE

バスケのために高木監督の家に下宿

八雲学園にはオフがなく、朝練もあった。更に自主練をしようとすると時間が足りない。そこで奥山は高木監督に相談し、2年生になってからは高木監督の家に下宿させてもらえるようになった。高木監督はコート上では厳しかったが、一歩コートを出ると温かく迎え入れてくれ、毎日のご飯やお弁当も高木監督が作ってくれた。奥山にとっては今も母親のように慕う存在だ。

そんな下宿時代からの奥山の趣味は「スイーツ作り」。高木監督や友達や家族が自分の誕生日会を開いてくれたことがうれしく、誰かの誕生日に自分は何をできるかを考えた。「高校生だからプレゼントを買うのはちょっと違うなと思い、だったらケーキを作ってみるのもいいかなと思ったんです」。思いを込めて作ったイチゴのショートケーキは好評で、みんなが喜んでくれるのが本当にうれしかった。

今もオフの時には自分でアレンジしてスイーツを作っている。「食べることが大好きなんですけど、やっぱりスイーツを食べるのに罪悪感がありますよね。だから砂糖の代わりにはちみつを使ったり、チーズを減らしてヨーグルトを使ったりと、自分でアレンジするのも楽しいです」。よく作るのはチーズケーキ。作ったスイーツはチームメートにお裾分けし、ときには家族に送ることもある。友達の誕生日プレゼントには、「理々嘉が作ったケーキがいいな」とリクエストされることもあるそうだ。管理栄養士の本を読んで勉強しており、近いうちに資格も取りたいと考えている。

思いを込めて作ったケーキを人が喜んでくれるのが本当にうれしい(左が奥山) © ENEOSサンフラワーズ

62点という記録は「仲間のおかげです」

八雲学園のバスケを奥山は「動くバスケでシュートのチーム」と言う。「ポジションに縛られることなく、大きくても外からシュートを打つし、みんながオールラウンドで走るチーム。あと、バスケは点数をとるスポーツだからシュートを大事にしています。ただうまいだけじゃなくて、相手が予測しづらいタイミングでも打つ。それは他のチームにはないカラーだと思っています」。高木監督は一人ひとりの役割を限定せず、可能性を広げる指導をしてくれた。その経験はフォワードになった今に生きており、徹底的に鍛えられたシュート力は奥山の武器になっている。

冒頭の通り、高2のウインターカップ3回戦で奥山は62点をあげている。しかし奥山は「あの試合は仲間がいいパスをくれました。仲間のおかげです」と強調する。高2の時から主将としてチームを牽引(けんいん)してきた奥山は、自分に矢印を向け、みんなの当たり前の基準を上げようと心がけてきた。その日々を通じてチームからの信頼感が高まり、奥山のたゆまぬ努力の末、62点という記録が生まれた。

最後のウインターカップは準々決勝で大阪薫英女学院高校に敗れた。オールコートプレスの前に攻めきれず、一度は4-20まで点差が開いた。そこから盛り返して3Qで追いついたが、最後は離された。目標としていた日本一には届かなかった。それでも真っ先に浮かんだのは感謝の気持ち。この仲間と監督とともに最後まで戦うことができた。悔しさはあっても、後悔はなかった。

Wリーグ12連覇を逃した悔しさ

高校生ながらA代表合宿に招集された自分に対し、メディアから「次世代を担うエース」などと取り上げられることもあったが、奥山自身は「このままではダメだ!」という思いが強かったという。だからこそ強豪チームで自分を鍛えたいと考え、2019年春にENEOSサンフラワーズへ加入した。

その最初の練習で圧倒された。「一人ひとりの練習の姿勢や考え方、熱量に触れて、これがプロなんだなって思い知らされました。こういうレベルで毎日練習できたら、そりゃ何連覇もできるだろうなと」。それまではきついメニューでも、ときには笑顔を見せながら、穏やかな雰囲気の中で練習をしてきた。しかしENEOSは練習開始の円陣を組んだ瞬間、ピリッとした緊張感のある雰囲気に変わる。オンとオフがしっかりある環境の中、奥山も先輩たちに負けていられないという思いを強くした。

チームの強さにあぐらをかくことなく練習を積んでいく先輩の姿に刺激を受けた © W LEAGUE

ENEOSにとって昨シーズンはWリーグ12連覇がかかっていた。前半シーズンは奥山も活躍できていたが、後半シーズンはなかなかプレータイムを得られず、トヨタ自動車アンテロープスとのプレーオフファイナルはベンチから見守った。初優勝の歓喜に沸くトヨタ自動車。「チームが負けた悔しさ、チームに貢献できなかった歯がゆさでいっぱいでした。試合のために毎日頑張ってきて、それを発揮できないまま終わってしまいました……」。だからこそ自分の武器であるシュート力をもっと鍛え、リベンジの舞台を心待ちにしている。

自分の頑張る姿で誰かを勇気づけたい

今年4月に東京オリンピック代表候補に選ばれた時、最初の感想は「え、私?」だった。「後半シーズンは試合に出られていなかったので。でも前半シーズンのプレーを評価してもらったんだと思いました。試合に出ていなくて不安だなというのではなく、これはチャンスだ、やってやろう!と思いました」。強化合宿では細かい戦略も要求され、やらなければいけないことがたくさん見つかった。その上で、シューターとして活躍していけるか。強化合宿を重ねる中で、改めて自分の強みを見つめ直している。

「強さもそうですけど、楽しそうにバスケをしている姿も見せていきたい」と奥山 © ENEOSサンフラワーズ

新型コロナウイルスで日常生活が一変し、スポーツができることが当たり前ではないと痛感している。そんな中、バスケ選手としてできることを奥山も考えるようになったという。

「自分の姿を見てもらって、何かに必死になること、熱中することはすごいことなんだよ、ということを少しでも伝えていきたいです。別にバスケットやスポーツに限らず、自分も何かをやってみよう、挑戦しよう、という勇気を与えられたらいいなと思っています。スイーツ作りでもそうですけど、私は誰かに喜んでもらえるのが好きで、やりがいを感じています」

今こうしてバスケットボールができるのは自分一人の力ではなく、色々な人の支えがあってのこと。だからこそ感謝の気持ちを胸に、自分のプレーで多くの人々を笑顔にさせたい。(文・松永早弥香)