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三遠ネオフェニックス・津屋一球 ©B.LEAGUE

三遠ネオフェニックス・津屋一球 デフバスケとの出会いが人生を変えた

2021.07.30

昨年12月、東海大在学中に特別指定選手として三遠ネオフェニックスに加入した津屋一球(つや・かずま、23歳)。ルーキーながら2021-22シーズンの副キャプテンに任命された期待の新星は、両耳が難聴で普段は補聴器をつけてプレーしている。彼がB.LEAGUEでのプレーとともに力をいれるのが、聴覚障がい者による「デフバスケ」と、NPOを通じての社会貢献活動だ。

津屋に宿るキャプテンシー

昨年12月のB.LEAGUEデビュー後、すぐにローテーション入りした津屋。得意の3Pシュートに加え、ドライブにも磨きがかかり、今年1月の琉球ゴールデンキングス戦ではチーム最多の20得点の活躍を見せ、先発出場の機会も増えている。即戦力としてチームに貢献しながら、2021-22シーズンは副キャプテンにも選ばれた。

「東海大でキャプテンをやっていたこともありチーム全体のことを考えるのが癖になっているので、その部分も認められたのかなと思います。選手もスタッフも含めて一体となるためにコミュニケーションをもっと意識して、勝ちにつながるチーム力に貢献できたらと思います。副キャプテンですが、気持ちとしてはキャプテンくらいの気持ちで頑張ります」

そう話す津屋は、東海大4年生のときも抜群のキャプテンシーを発揮し、東海大をオータムカップとインカレ優勝の2冠に導いた。大学時代もコミュニケーションを大切に、練習中も途中でプレーをとめて話し合い、少しでも思うところがあればコーチや選手たちと対話を重ね、コート内外でチームを支えてきた。三遠ネオフェニックスに加入したばかりのときも、積極的にチームメイトやスタッフに話を聞きにいくなど、コミュニケーションを大切にする中でチームにとけ込んでいった。

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バスケにかけた、学生時代

バスケとの出会いは小学4年生のとき。それまで野球少年だったが、幼なじみに誘われてバスケを始めた。バスケ漫画『SLAM DUNK(スラムダンク)』を読みふけり、登場人物の流川楓に憧れていた少年だったので、バスケにのめり込んだのは必然だ。5年生からバスケ一筋になり中学生では日本代表に入ることを目指し、親に頼み込んでバスケの強豪校だった青森県弘前市立津軽中学に転校した。

「自宅から車で1時間くらいかかるので親にはすごく迷惑をかけました。練習で朝早いときや夜遅いときは友人の家に泊めてもらったり。それでもバスケにかける思いと、自分が日本代表に入りたいという理想像が強くて」

中学生時代から、田中大貴(現・アルバルク東京)らがいた東海大に入りたいという思いを持っていた。高校はバスケ強豪校の洛南高校(京都)に進学し、アンダー世代の日本代表にも選ばれた。

そして高校3年生の頃、いまにつながる『コミュニケーションの大切さ』を意識し始めるできことが起こる。「デフバスケ」との出会いだ。

デフバスケとの出会いが人生を変える

デフバスケは聴覚障がい者によるバスケットボール。一般のバスケと同じで、特別なルールはない。ひとつ特徴的なのは、審判やテーブル・オフィシャルズ(試合の進行補佐)のブザーの⾳にあわせて⽬⽴つ⾊の旗が振られることだ。これにより視覚的に状況を理解できるようになっている。そして、プレーヤーの公平性を保つために補聴器や人工内耳などの装用は禁止されている。

普段、補聴器をつけてプレーする津屋にとって、補聴器を外してプレーすることは衝撃だった。
「僕は生まれつき耳が悪いのですが、同じ聴覚障がい者とバスケをするのは初めての経験でした。プレー中に伝えたいことがあっても、チームメイトに声は届かない。コミュニケーションが本当に取れなくて。どうしたら意思疎通ができるのだろうか。デフバスケでなく普通のバスケしかやってなかったら考えられない経験でした」

高校生で知ったデフバスケの世界。それはその後の人生に大きな影響を与えることになる。東海大2年生のときに出場したU21デフバスケットボール世界選手権では、最優秀選手賞を受賞し、得点王にもなり、日本代表を準優勝に導いた。

U21デフバスケットボール世界選手権で準優勝に輝いたメンバー。中央下が津屋(提供:津屋一球)

現在はB.LEAGUEの合間をぬって、大阪と和歌山を中心に活動するデフバスケのクラブチーム「誠family」の一員として練習や試合に出場するとともに、デフバスケがきっかけで関わるようになった認定NPO法人「one-s future(ワンズ・フューチャー)」の理事として、障がい者スポーツの支援活動などもおこなっている。

「児童養護施設に訪問させていただいて子どもたちの話を聞いたり、チャリティーイベントを開いたり。発達障がいに関する勉強をして、子どもたちと触れ合う活動もしています」

子どもたちからの「一緒に写真を撮って」という言葉だったり、折り紙をつくって渡してくれることだったり、笑顔を見せてくれることが何よりうれしい。

「NPOの活動でいろいろな施設に行くのですが、訪問すると皆さんの苦労や悩みがわかるんですよね。そういうことを含めて、『知らないといけないことはいっぱいある』と、より思うようになりました」

社会貢献活動をとくに意識し始めたのは大学4年生のときだ。
「コロナでいろいろな活動ができなくなったときに『バスケしかやってこなかったから、他に何もできることがない』と無力感に苛(さいな)まれていたんです。そのときに、僕をデフバスケに誘ってくれたデフバスケ日本代表監督の上田頼飛さんに相談したら『バスケ以外のことにも取り組んだほうがいい』と言われて。そこから社会貢献などの勉強を始めて、より人のためになることをやりたいと思い始めたんです」

one-s futureの理事長も務めている上田さんとは、津屋が高校3年生のときに出会った。「僕は覚えてないんですけど初めて上田さんと会ったときに、『もっと人の目標や人のためになるように自分はなりたい』と言ったらしいんですよね」と津屋は笑う。

津屋は子どもたちとの触れ合いの時間を大切にする

有言実行の一つとしてプロになってまず取り組んだのが、コロナ禍でアピールのチャンスを失った中学生や高校生の支援だ。プロ入り初のオフシーズンにSNSで学生のプレー動画を募集し、アピールの場をつくった。優れたプレーや気持ちを感じる動画を送ってくれた学生に景品も送った。「いきなり大きくできなかったのでSNSのみですが、こつこつとでも人のためにできることをやりたいと思ったんです」

オンコートでもオフコートでも貢献する

活躍したときや得点を決めたときには“津屋ってる”というフレーズがSNSでバズるなど親しまれている津屋は、自身の経験をもとに社会貢献していきたいと考えている。

“津屋ってる”は、津屋もお気に入りのフレーズだ ©B.LEAGUE

「自分も小学生のときは普通じゃないと思って、悩んだり壁に何度もぶつかりました。でも障がいを持っているからこそできることがあるし、その人にしかできないこともたくさんある。つい最近も、耳が悪い子どもから『津屋さんが子どものときはどうだったか』という相談を受けました。アスリートの僕が発信することで耳を傾けてくれる人もいると思うので、もっと活動の幅を広げていきたいです」

そして、同世代をはじめとしたアスリートにも、この活動の輪を広げたい。「アスリートが誰かのためになる活動を始めたいと思っても、いざ動くのは難しいと思います。2、3年先になるかもしれませんが、僕はそう思っているアスリートの思いを広げられる活動をしたいと思っています」

オフコートでもオンコートでも叶(かな)えたい思いが、言葉からあふれてくる。「オフコートでは引き続きいろいろな施設を訪問させていただいて、誰かのためになることをやりたいと思いますし、子どもたちを三遠の試合に招待したいとも思っています。オンコートでは、まずは副キャプテンとして『三遠はいいクラブだね』と言われるようにしたいです。個人的には、新人賞を狙いたいと思っています」

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3x3のU23日本代表候補にも選ばれた津屋は、少年時代からの夢である5人制バスケの日本代表入りも視野にいれる。「日本のA代表に入りたい気持ちは、中学生から変わりません。中学生でアンダー世代の代表に入って試合に出たけど、高校生のときは代表で試合に出られなかったのが本当に悔しかった。そのときの悔しさは今もノートに残しています。まずは5人制のU23日本代表に選ばれるようしっかり頑張りたい。デフバスケの活動も2025年には聴覚障がい者のための『デフリンピック』の日本開催を招致する動きがあるので、NPOの活動としてしっかり普及や広報活動をしつつ、プレーでも世界で結果を残していきたいですね」