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西田は今春に東海大を卒業し、シーホース三河でルーキーシーズンを迎える ©SeaHorses MIKAWA co.,LTD.

西田優大、日本代表候補のその先へ 3Pの精度を上げて三河の新たな攻撃力に

2021.08.23

西田優大(22)はエリートコースを歩んできた1人だ。全国での早期敗退やけがに悩まされた時期があったものの、高校、大学は誰もが憧れる強豪校に進み、各カテゴリーの日本代表にも選ばれ続けている。日本期待のサウスポーシューターはどのように生まれ、新天地・シーホース三河で迎えるプロ1年目をどのように描いているのだろうか。

三河の「おでんくん」として、オフコートでもプロらしく

7月19日と20日、Bリーグはこの日までにクラブとの2021-22シーズンの契約締結を完了している選手を対象に、新人選手研修を実施した。大学3年生の時からBリーグに足を踏み入れている西田も、新人研修に参加するのは今回が初。2日間に及んだオンライン研修はさすがに疲れたようだが、今季ルーキーイヤーを迎える22歳のプロ意識は少なからず高まった。

「オンコートで頑張るのはもちろんですけど、オフコートでもプロとしてどうあるべきかをすごく学ばせてもらいましたし、個人的にはSNSをもう少しうまく使えたらなと思いました。僕は頻繁に投稿する方ではないですけど、SNSは自分をアピールする1つの場でもありますし、プロは良くも悪くも見られている立場なのでこれからしっかりした情報を発信できればいいなと感じました」

現在、西田のTwitterとInstagramのアカウント名は、東海大学時代から身につける背番号19と、同じく大学時代につけられたニックネーム「おでんくん」にちなんだものになっている。三河では「おでんくん」という愛称を生かし、オフコートでもこれまで以上に自身の価値を高めようとしている。

「やっぱり『おでんくん』という愛称があるので、そういった意味ではファンの皆さんも親しみやすいのかなと。三河のファンの方とも早く馴染んで、会場でお会いできればなと思っています」

7月にシーホース三河に合流。「早くブースターの皆さんの前でプレーがしたい」と言う ©SeaHorses MIKAWA co.,LTD.

西田三兄弟の長男は「ちょっと抜けている」

「とにかく自然豊かで、それ以外は何もない。田舎です(笑)」。故郷について、西田が笑って話す徳島県海陽町は、調べてみると思わず独り占めしたくなるような青く雄大な太平洋と、緑豊かな山々が広がっている。一度は訪れてみたい場所だった。

本格的にバスケを始めたのは小学校3年生の時。それ以前にも「父が社会人バスケのチームに所属していたので、小さい頃からチームの練習に行ってボールを触っていた記憶はあります」と、西田は当時を回顧する。バスケにのめり込む前までは、少林寺拳法も習っていたという。

3つ下の公陽と4つ違いの陽成の弟2人は、現在ともに東海大でプレーしており、兄・優大と同じように海陽中学校、福岡大学附属大濠高校を経て東海大へ進んだ。学生時代から西田を知るバスケファンであれば、一度は“西田三兄弟”という言葉を聞いたことがあるかもしれない。

「僕がちょっと抜けているところがあるので、次男は割としっかりしてます。三男は兄2人を見ているのでその間というか、2人をうまくかわしながら育った感じです」

仲良く同じ道を歩んでいる三兄弟だが、長男によれば3人の性格は「バラバラ」とのことだ。

3Pという武器を手に入れるまで

西田の最大の魅力は、サウスポーから放たれる高精度の3Pシュートと言える。3Pが自らの武器になった経緯や理由については、「これと言ってないです」と首をかしげたが、「昔からアウトサイドのシュートはたくさん打っていて、それなりに入ってもいました。あとは小学校の時から父の見学に行っては7号ボールでシュートを打っていました」と続け、その土台になったであろうエピソードを明かした。

また、福大大濠時代には西田にとって1つの転機と呼べる出来事があった。シュートフォームの改善だ。

「高2の時に片峯(聡太)先生にシュートフォームを直してもらいました。そこから安定してシュートが入るようになったので、そういった意味では自分の中で強く印象に残っています」と西田は言う。加えてこうも話した。

「それまではシュートを打つ際に体が流れてしまっていたのをまっすぐ飛んで打ったり、振りかぶるように打っていたのをしっかり頭の上で正面に構えて打ったりと、結構細かく指導していただきました。今までは自分が打ちやすいように打っていたので、最初は練習が必要でしたけど、慣れてくるとかなり安定したのですごくいい経験になりました」

「ものすごく濃かった」大学生活、日本代表での葛藤

小学生の時から自慢のシュート力を武器に点取り屋を担ってきた。東海大では1年生の春からプレータイムを勝ち取ると、学年が上がるにつれピック&ロールでの駆け引きやアシスト力も向上。チームに2度のインカレ優勝をもたらすとともに、自身も2度にわたって優秀選手賞を受賞している。大学4年間で最も上達したプレーを聞くと、西田は「やっぱりディフェンスですね」と言い切った。

強固なディフェンスをアイデンティティーとする東海大で徹底的に鍛えられた(撮影・松永早弥香)

「高校の時はディフェンスが大嫌いだったので入学当時は不安もありましたけど、今は自分でも得意と言えるくらい身についています。ディフェンスに対する考え方もそうですし、ディフェンスができるようになるだけの脚力もつきました」

徳島が生んだシューターはU15から年代別の代表メンバーに名を連ね、大学1年生の時には八村塁(現ワシントン・ウィザーズ)らとともに「FIBA U19バスケットボールワールドカップ2017」に出場。この大会では平均10.3得点を挙げて八村に次ぐスコアラーとして活躍し、世界10位の成績を残す原動力にもなった。

その後はフリオ・ラマスヘッドコーチが指揮を執る日本代表の候補選手にもコンスタントに選ばれ続け、代表活動でも順調なプロセスを踏んでいるようにも見える。しかし、日本代表では最終メンバーに残ったことはなく、「ずっと呼んでいただいているのに……」と、もどかしい思いを抱えているようだ。

更に話を聞いていくと、西田はいまだにU19ワールドカップの残像を払拭しきれていないと心の内を打ち明けた。

「個人的にもあの大会はシュートが良く入りましたし、ドライブでも切り込めたイメージがありました。そういった意味では、あのイメージのままずっと過ごしてしまっているというか、頼ってしまっている部分が僕の中にはあります。それ以降、僕が何かをやり遂げたかと言われると、自信を持ってイエスとは言えないですね」

大学2、3年生の頃はけがに苦しみ、昨年は新型コロナウイルスという未知の敵に道をふさがれることもあった。西田は4年間の大学生活を「ものすごく濃かった」と振り返ったが、もしかするとその濃度は苦しみの方が濃いのかもしれない。このモヤモヤを晴らすのは、これから本格的に踏み入れるプロの舞台だ。

卒業を待たずに進んだ新潟アルビレックスBBでの日々は、プロの世界で自分の今の力を測るきっかけとなった ©B.LEAGUE

再建を図る三河への加入は「ある意味チャンス」

大学3年生のインカレ後、西田は名古屋ダイヤモンドドルフィンズの特別指定選手となり、昨年12月には卒業を待たずに新潟アルビレックスBBとプロ契約を結んだ。新潟での平均プレータイムは20.4分、出場した28試合中9試合で先発も務めた背番号19は今季、シーホース三河でルーキーシーズンを迎える。

過去2シーズンの経験を経て、Bリーグでも自分のディフェンスが通用することは分かった。課題は攻撃面。代名詞である3Pの精度を上げ、得点においてもチームを勢いづけることが目下の目標だ。

Bリーグ開幕以降、三河は日本一から遠ざかっており、昨季終了後にはシーズンMVPを獲得したエース・金丸晃輔(現・島根スサノオマジック)もチームを去った。「タレントがそろっている強豪。ビッグクラブ」。幼い頃、西田少年はそんなイメージを抱いていた。そのチームの変革期に加入したということは、自らがチームを動かしていく存在にもなれるということだ。西田は言葉に力を込める。

シーホース三河の変革期にプレーできることを西田は前向きに捉えている ©SeaHorses MIKAWA co.,LTD.

「選手が入れ替わったタイミングなので、ある意味チャンスだと思っています。同世代で東京オリンピックにも出場したアヴィ(シェーファーアヴィ幸樹)もこれから一緒にプレーするので、チームメートと切磋琢磨(せっさたくま)しながら高め合っていきたいです」

Bリーグの頂点、個人としては日本代表のコートに立つことを志し、来る2021-22シーズンの開幕へ向け、着々と準備を進めている。(文・小沼克年)