高橋は2021-22シーズンからSR渋谷で戦っている © SUNROCKERS SHIBUYA
サンロッカーズ渋谷の高橋耕陽(27)はよく友だちから「おまえの目って笑うと糸みたいに細くなるなあ」と言われるらしい。その細くて優しい目を見たのは10月23日のことだ。SR渋谷はホームで宇都宮ブレックスに逆転勝利し、チームハイとなる20得点を稼いだ高橋は、移籍加入後初のヒーローインタビューを受けた。「今シーズン渋谷に来て、やっとチームに貢献できた気がします」の言葉に大きな拍手が沸き上がる。「耕陽! 耕陽!」の声が響く会場の真ん中で、高橋の目が一層細くなったように見えた。
札幌日大で得たのは負けない体力とエースの自覚
北海道旭川市出身。下に1歳、3歳、9歳離れた弟がいる4人兄弟の長男として育った。「でも、たいていの人から長男に見えないと言われます。なんスかね。僕に長男のしっかりしたイメージがないってことですかね」と本人は笑うが、小3でミニバスのチームに入った高橋の背中を追って3人の弟がバスケットボールを始めたところを見ると、少なくともバスケに関してはなかなか影響力のある兄貴だったのではないか。
得点能力に長(た)けたオールラウンダーとして中学から頭角を現し、いくつもの高校から誘いの声がかかったとも聞く。その中で札幌日大高校(北海道)を選択する決め手となったのは長野雅男監督の一言だった。「長野先生はまっすぐ自分を見て開口一番『お前を日本代表の選手にしてやる』と言われたんです。それから2時間ぐらい話をされたんですけど、自分の中では最初の一言のインパクトが強すぎて、頭の中がずっとおおおーっとなってて(笑)。実は別に行きたいと思う高校があったんですが、長野先生の話が終わる頃には札幌日大に進む気持ちに変わっていました」
しかし、当然のことながら“日本代表を目指す道”が平坦であるはずはない。入学してすぐ思い知らされたのは自分の体力のなさだ。「当時はものすごく細かった」という高橋は、1周300mのコースを毎日20周するランニングで常にビリ争い。そこから徐々に順位を上げ、3年生になる頃には堂々トップを走るようになったのは重ねた体力トレーニングの成果だろう。体力と比例するようにプレー面でも着実な成長を見せ、長野監督の公約通りU-18日本代表にも選出された。
今も強く記憶に残るのは、エースとしての自覚を持って臨んだ高校最後のウインターカップだ。「メインコートに立つ」という目標を掲げ、3回戦で前年度3位の沼津中央(静岡)と対戦。「気合が入りました」という高橋は先陣を切ってコートを駆け抜け、30得点、13リバウンドをマークすると札幌日大を大会初のベスト8に牽引(けんいん)した。「結果的には次の北陸(福井)に負けてベスト4には進めなかったんですが、念願のメインコートに立てた喜びはめちゃくちゃ大きかったです。メインコートはやっぱり特別でした。1年生の時はランニングについていくのもやっとで、先生はめっちゃ怖かったし、色々大変なこともあったけど、最後にあのコートに立てたのは最高の思い出です。高校3年間で1番ドキドキして1番ワクワクしたあの時の気持ちは、これから先も忘れることはないと思います」
大3で迎えた選手としてのターニングポイント
日本大学に進学した高橋は春の新人戦(1、2年生のみで戦う大会)でベスト5に選出され、幸先のいいタートを切った。翌年の新人戦でも同じくベスト5を受賞。大学界をリードする選手としての期待度は更に高まっていったと言えるだろう。
だが、いいことばかりではなかった。関東大学リーグ1部に所属していた日大は高橋が入学する前年の秋に2部に降格。「1部でやれると思っていたのに」という気持ちがなかったと言えばうそになる。1年生の時からスタメンに抜擢(ばってき)され、2年連続2部リーグの3ポイント王に選ばれても、どこか手放しで喜べない自分がいた。「そのせいではないですけど、今思えばチャランポランのところがあったと思います。3年になって網野(友雄・現白鷗大学監督)さんがコーチとして来てくれなかったらバスケをやめていた可能性もありました」。高橋が口にした「バスケをやめていた可能性」とはどういうことか。そんなにチャランポランの一面があったのだろか。「ありましたねぇ」。笑いながらそう答えてくれたのは他ならぬ網野さんだ。
「当時の耕陽はスキルにせよ身体能力にせよ、バスケット選手としてとても秀でたものを持っていました。不足していたのはメンタルの部分。例えば地味なドリルを一生懸命やるとか、毎日の練習を100%の力を出して頑張るとか、苦しい時に声を出して仲間を鼓舞するとか、そういったことが足りていませんでした。心がバスケ以外の方を向くこともあって、ちょっと嫌なことがあると『自分がいるとチームに迷惑をかけるのでやめます』と言う。でも、バスケが嫌いなわけじゃないのは分かるんです。だから、いつも『俺はぜってーお前をやめさせないぞ!』と怒鳴る。そんな風に何があっても諦めずにぶつかり合っていくうちにだんだん変わっていきました。最後の1年は1部でプレーできたし、確実に成長したなあと思いますよ。キャプテンの門馬圭二郎(青森ワッツ)をはじめ、仲間に恵まれたことも大きかったんじゃないでしょうか」
高橋自身そのことは十分に分かっている。真剣に向き合ってくれたコーチと辛抱強くサポートしてくれた仲間たち。「間違いなく自分のターニングポイントは大学3年の時だと思っています。自分を変えるあの時間があったからこそ今の自分がいる。プロとしてプレーできているのもみんなのおかげです」
SR渋谷で自分に何ができるかを考え、みんなで優勝を
「自分を変えた」という意味では、特別指定選手の期間を含めて4シーズンプレーした滋賀レイクスターズでの経験も大きいと感じている。「2年目にヘッドコーチ(HC)にショーン・デニスさん(現名古屋ダイヤモンドドルフィンズHC)が就任されて、ディフェンスをとにかく絞られました。自分の役目は点をとることというか、それまでまともにディフェンスに向き合ってこなかったので、できないことがいっぱいあって本当に大変でした。でも、ディフェンスができないと試合に出してもらえない。毎日必死でしたね。デニスさんは辛抱強く指導してくれて必死に食らいついていくうちに、ディフェンスに対する自分の考え方も変わっていきました。ディフェンス力に劣る自分を我慢して、我慢して使い続け、育ててくれたデニスさんには今もすごく感謝しています」
2020-21シーズン、シーホース三河で“違うバスケットスタイル”を経験したこともまた新たなワンステップとなった。そして2021-22シーズン、SR渋谷のユニホームを身に付けた高橋は自分がコートに立った時だけではなく、ベンチでも声を張り上げ、仲間のナイスプレーには立ち上がって手をたたき、ポジティブなオーラを発散している。すごく楽しそうですね、と声をかけると「楽しいですよ」と即答した。「普段からチームの雰囲気がすごくいいんです。優勝を狙えるチームだと思っているので、自分のモチベーションも上がります」
伊佐勉HCからは得点力を求められているというが、もちろんその前提にはチームのアイデンティティと言われるハードなディフェンスがある。「渋谷はディフェンスのチームなので、ほんとにもうそこは一切手が抜けません。今はチームのために何ができるかを自分なりに一生懸命考えてプレーしています」
高橋がヒーローとなった宇都宮戦を観戦したという網野さんは「いやぁ、頑張ってますね」と声を弾ませる。「精神的にも大きく成長したのを感じました。伊佐さんに信頼されているのも伝わってきてすごくうれしかったです。これから先がもっと楽しみになりました」
高橋は「耕陽」という自分の名が好きだという。“耕した土地に陽が射す”という意味を持つ名前。自分の手で耕した場所に陽が射し込むような生き方。「そうですね。バスケ選手としても人としても頑張りたいですね」と言った後、「名前負けしてると言われないように」と笑って付け加えた。笑顔の中の目はやっぱり細く優しく、なんだかとても楽しげだ。(文・松原貴実)