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小酒部は当初、大学では部活としてのバスケからは離れる予定だった ©ALVARK TOKYO

A東京・小酒部泰暉 見いだされた原石、類いまれな身体能力に武器を加えて日本代表へ

2022.04.22

神奈川大学3年生だった2019年12月に、アルバルク東京に加入した小酒部泰暉(おさかべ・たいき、23)は、2年を少し超えたプロキャリアの中で、確実な成長を遂げている。

本格的なデビューとなった2020-21シーズンから(2019-20シーズンは3月でシーズン中止)、経験豊富な実力者がそろうA東京で平均20分近いプレータイムを獲得し、その年のアワードでは「新人賞ベスト5」を受賞。今季はほぼすべての試合でベンチ入りを果たした上で、昨季以上にプレータイムを増やしている。

田中大貴とのマッチアップで日々学び

武器は突出した身体能力。スタンディングジャンプ最高到達点が345cm(学生時、※リングの高さは305cm)という跳躍力や、187cmの身長に似つかわしくないクイックネスを生かしたオフェンスが目を引く選手だが、現在、A東京ではディフェンス面を大きく評価されている。

マッチアップの相手は、アウトサイドプレーヤー全般。身長170cm台のポイントガードから190cm超のポイントゲッターまで、対戦チームのカギとなる選手とのマッチアップを指示されることが増えたという。一昨季オフの取材で「守れる気がしない」と苦笑していた金丸晃輔(島根スサノオマジック)とは今季初マッチアップを果たし、大量得点を稼ぐ金丸を第1戦は2得点、第2戦は10得点と抑え込んだ。

「チームで守った側面も多かったですが、簡単にボールを渡さないことと、1つでも多くドリブルさせることをイメージして守って、それがうまくいったと思います」と、島根戦で得た手応えを語る小酒部。日本屈指のオールラウンダー・田中大貴と練習でマッチアップできる環境は大きいようで、「5対5をやると、3分の2くらいはやられてます。大貴さんには本当に勉強させてもらっています」と笑った。

学生時代から小酒部は爆発的なオフェンス力を発揮してきた ©B.LEAGUE

入団当時は、何度も相手のスクリーンに吹っ飛ばされた。ルカ・パヴィチェヴィッチヘッドコーチの緻密(ちみつ)なディフェンスシステムを遂行しきれず、ミスもたくさんした。元々備えていた身体能力にフィジカルと戦術理解度が追いついてきた今季は、小酒部にとって大きな実りを感じさせるシーズンとなっているようだ。

人口1万人弱の町で生まれ育ち

B1の上位クラブに所属している選手や、個人ランキングで上位につけるような選手は、そのほとんどが学生時代の全国大会への出場経験や、アンダーカテゴリー日本代表候補の選出経験を備えている。その中にあって小酒部は、高校までの最高成績が県大会2回戦進出、アンダーカテゴリー代表どころか県代表にもかすりもしなかったという異例中の異例だ。

神奈川県の最西端に位置する山北町出身。面積の大半を山が占める人口1万人弱の町で小学3年生からバスケを始め、町内唯一の公立高校である山北高校に進学。「県大会で上の方に行くような私立も考えたんですが、あまり試合に出られなかったら嫌だなあと。山北のバスケ部はいい選手がたくさん集まるような環境ではなかったけど、お姉ちゃんがマネージャーをやっていたし先生がいい方だったので、やりやすさ重視で選んだ感じです」と小酒部は話す。

小酒部は高校時代、全国大会に出場していない ©ALVARK TOKYO

女子バスケ部と体育館を分け合い、体育館が使えない時はひたすら山道を走り、部活終わりにスーパーで友だちとカップラーメンを食べて自転車で帰る日々。全国レベルの強豪校と戦えばダブルスコアで負けたが、それでも「部活をやってるか寝ているかしかなかった」と振り返るくらいバスケ漬けの高校生活だった。

神奈川大・幸嶋謙二監督と出会って変わった

高校3年生の6月、小酒部は部を引退した。大学では部活としてのバスケからは離れ、就職に向けた準備に切り替えようと考えていた小酒部のもとに、運命を変える人物が現れた。関東大学リーグ3部(当時)に所属する神奈川大学男子バスケ部の幸嶋謙二監督。ふらりと足を運んだ県大会で山北高校の試合を観戦し、小酒部の身体能力やシュートタッチに光るものを感じたのだという。請われて練習に参加してみると、すぐに入部のオファーを受けた。「そんなレベルじゃないと思ったのでびっくりしたというのが一番でしたけど、顧問の先生に『行った方がいいよ』と薦められて、入部を決めました」

幸嶋監督のもと、高校時代にはほとんど教わってこなかったチームプレーや攻守のメソッドを身につけるにつれて、掘り出された原石は内包された輝きを放ちだした。1年生の秋頃からプレータイムを獲得、2年生になってからはチームで最も得点を取れる選手になり、3年生の夏に開催された李相佰杯(学生日本代表の日韓戦)でダンクシュート2本を叩(たた)き込む強烈なプレーを見せ、秋には国内最高峰の関東大学リーグ1部で得点王を受賞。いくつものBリーグクラブのオファーの中からA東京を選択し、12月のインカレ終了後に活躍の場所をプロへと移した。

「高校を引退した時は、大学の体育会でバスケをやるつもりはなかったし、サークルかクラブチームでプレーしながら銀行に就職できたらいいな、としか考えてなかったので、当時は今のような未来はまったく想像していませんでした」

幸嶋監督は小酒部の将来を見据えた指導をしてくれた(撮影・松永早弥香)

小酒部はいくばくかの感慨深さを感じさせる様子でそう話し、まだ見ぬ“小酒部二世”たちに「一番大切なのはバスケを楽しむこと」とエールを送る。確かに、小酒部は真剣勝負のコートであっても、いいプレーが決まれば子供のようにうれしそうな表情で笑っている。

A東京に3度目の優勝を、その先に日本代表を見据え

年を重ねるごとに輝きを増す小酒部だが、まだまだ荒削りな原石。本格的なデビューとなった昨季を「試合を経験できたのは良かったけれど、頭を使ったプレーが全然できなかった」と振り返った。加えて、「リバウンドでファールをしたり、ゴール下で外国籍選手にカウントワンスローを与えたり、ゲームクロックが少ないのに急いで攻めて相手にチャンスを与えたり……根本的にバスケIQが低いと思います」と厳しい自己評価を下す。

残り少なくなってきた今シーズンのフォーカスは、上記のような状況に気を配りながらプレーしつつ、アグレッシブなディフェンスから自身の持ち味を発揮し、クラブにとって3度目となるチャンピオンリングをもたらすこと。そして、その先にはプロになってから生まれた「日本代表入り」という大きな夢が待っている。

自身初のBリーグチャンピオンに向けて ©B.LEAGUE

小酒部はオフになると必ず、大学3年生まで過ごした故郷の山北町に帰るという。「サインなどを求められたことはありますか?」と尋ねると、「おじいちゃんおばあちゃんばかりなので、僕がプロバスケ選手になったことも知らないと思います」と笑った。さて、原石がピカピカのスターになった時、町の人々はどのような驚きで“小酒部さんちの泰暉くん”を見つめるのだろうか。(文・青木美帆)