バスケ

特集:駆け抜けた4years.2021

大阪学院大・吉井裕鷹 インカレを戦えなかった悔しさも、アルバルク東京で輝くために

吉井はアルバルク東京へ、3年生の時に練習生として、昨年12月のインカレ辞退後に特別指定選手として加入した(写真提供・アルバルク東京)

196cmの長身で、ボール運び、ドライブ、3Pシュートと何でもござれ。“関西きっての怪物”として注目を浴び、特別指定選手としてBリーグ・アルバルク東京に加入した大阪学院大学の吉井裕鷹(4年、大阪学院)だが、そのポテンシャルやスケールとは正反対に、スタンスは堅実だ。

「昔からなるべく目の前のことに集中して取り組んできました。何かを目指そうと思うと、1本のシュートが入らないとか、そういう些細(ささい)なことでもしんどくなりそうなので。アルバルクに加入した今でもそれは変わっていません。毎日練習して、勉強して、成長していくだけです」

インタビューに同席したアルバルク東京の広報担当者は、吉井の人柄を「よく考えて言葉を発するタイプ」と説明したが、それは先に紹介した言葉やインタビューの受け答えでもよく感じ取ることができた。分からないことや不確かなことは口にしない。芯の強い青年という印象だ。

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「打倒関東」の最右翼として

バスケットボールを始めたのは小学校4年生。中学校時代に大阪府選抜の一員となり、高校進学時は県外からも誘いがあったが、「色々な高校の練習に参加してみた中で一番魅力的だと感じた」との理由で大阪学院大学高校に進学した。近畿大学附属高校のエースだった西野曜(専修大4年=サンロッカーズ渋谷所属)と同府の好敵手として切磋琢磨(せっさたくま)し、U19世界選手権の代表候補にも選出されている。

日本の大学バスケ界は、長らく関東学連の一強状態。他地域の強豪はそろって「打倒関東」を掲げ、関西勢はそれを達成する最右翼とされているが、吉井の思いももちろん同じだった。「『関西に残るからには関東を倒したい』という思いは当然持っていましたし、もしチームで難しかったとしても、個人として通用するレベルに持っていきたいとずっと思っていました」と振り返る。

「関西に残るからには関東を倒したい」という思いはチームにも、吉井(右)にもあった(写真提供・FASTBREAKS)

そのような意識で大学バスケをスタートさせた吉井は、1年生の春から主力に名を連ね、得点ランキング3位、優秀選手賞&新人王受賞と文句のつけようのない活躍。秋のリーグ戦ではすでに厳しいマークを受ける存在となったが、この大会でも新人王とリバウンド王のダブル受賞、そして得点ランキング4位。インカレでは早稲田大学に敗れ2回戦敗退だったが、関東の大学と対等に戦えるという確信も手に入れた。

Bリーグの経験もチームに還元

高校まではインサイド一辺倒だった吉井を、アウトサイドプレーヤーとして育てようと考えたのは行広伸太郎監督だ。身長の伸びが止まるのを待ち、体作りと並行しながら徐々にアウトサイドの技術を授ける予定だったが、吉井は3年生の時から3Pシュートが打てるようになり、4年生になってからはボール運びを担えるほどまでに成長した。その大きな因子となったのがBリーグでの経験だろう。

2年生の時に特別指定選手として加入した大阪エヴェッサでは、平均出場時間14.8分、平均得点5.2得点という立派なスタッツを残しつつ、3Pシュートを始めとするアウトサイドのプレーの素地を磨いた。3年生でのインカレ後には、当時リーグ2連覇中だったアルバルクに練習生として加入した。日本トップクラスのレベルと環境が備わったアルバルクでの経験を、吉井は「全てが新鮮だった」と振り返り、そこで得た様々な経験を大阪学院大のチームメートに伝えようとした。

「それまではずっと、自分の『いい/悪い』のことばかりでチームのことはあまり考えていなかったけれど、アルバルクから帰ってきた時に、『自分ひとりが変わっても意味がない。教えてもらったものを全てチームに取り入れよう』って思いました。4年生になってやっと、そういう意識が芽生えました」

もちろん技術的なことも伝えたが、特に力を注いだのが“考える意識”を根付かせることだ。「高校の時に、監督に言われるがままやっていて成長があまり感じられなかった経験をしているので、監督や僕が言ったことに対して『なんでそういうプレーになるのか』と常に考えながらバスケットをしようと言い続けていました」

ラストイヤーはコロナ禍で思うように試合も練習もできなかったが、吉井はチームのために考え、行動した(写真提供・FASTBREAKS)

新型コロナウイルスの影響で活動期間や試合数が激減した2020年度は、大都市にある多くのチームがチームビルディングに苦労した。吉井も「全員の意識を変えるのは難しかった」と悔しさをのぞかせたが、「周りのとらえ方は多少違うかもしれませんが、僕自身は、チームのいろんなことを変えたのは間違いなく僕やと思っています」と言い切った。

インカレ辞退「どうしようもない」「しょうがない」

昨年12月のインカレを大阪学院大は辞退した。宿願の「打倒関東」を果たすラストチャンスの舞台に、吉井は立つことすらできなかった。心境を尋ねると、長らくの沈黙の後にゆっくり、ゆっくりと言葉を発した。

「インカレで関東を倒すためにやってきたので、結果論ではありますが『大学に戻るべきだったのかな』って考えてしまった時期もありましたね。卒業に必要な単位はほぼ取り終えていたので、ずっとアルバルクに残るという選択肢もあった中で、それでもインカレのために大学に戻ると決心したのに……。正直、全てに対して投げやりになっていたかもしれないです」

この原稿の取材をしたのは2月の中旬。アルバルクでの本格的なキャリアもスタートし、そろそろ新たな目標にフォーカスしているのではと思い、「気持ちはいくらか整理されましたか?」と問うた。しかし、その見立ては大はずれだった。

「そのことを思い出せば、もうどういう言葉で表せばいいか分からないから。もうどうしようもないと言ってしまえば、どうしようもなくてしょうがない。こういった事態になってしまったことがどうしようもない。どうしようもないですねもう。どう頑張っても出られなかったので、しょうがないです。整理……。完璧に整理はできないです。もうしょうがないで終わらす以外ないと思います」

吉井はたったひとつの質問に対する回答に、何度も何度も「どうしようもない」「しょうがない」という言葉を使った。これまでに一体どれほど同じ言葉を、自分自身に言い聞かせてきたのだろう。

今年のインカレは、大阪学院大だけでなく広島大学男女、富山大学男子の4チームが辞退した。彼らは多かれ少なかれ、吉井と同じように消化できない痛みを背負い、それでも前へと進んでいこうとしている。痛みがいつか、かさぶたのように消えてなくなるかは分からない。ただ、その傷を自身の一部として受け入れられる日がいつかきてほしいと思う。

集大成となる舞台に立てなかった悔しさは消化できない。それでも今は、ただひたすら前へ(写真提供・アルバルク東京)

高く飛び立つため、アルバルクで課題に向き合う

リーグ屈指の強豪で、吉井はまだ試合に出場するチャンスを得られていない。しかしそれも覚悟の上で、多数のオファーの中から、最も厳しい競争が強いられるアルバルクに飛び込んだのだ。今は足元を固め、高く飛び立つための準備中。スモールフォワードとしての技術や考え方を学び、数え切れない課題に必死に向き合っている。

冒頭でも紹介した通り、吉井は大きな夢を抱かない。しかし、「パリオリンピックに出られる選手になってほしい」と話す行広監督を筆頭に、彼の背中に夢を描かずにいられない人がたくさんいる。一回りも二回りも大きくなった姿でコートに立つ日を、楽しみに待っていたい。



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