安藤は2021-22シーズン、レギュラーシーズンのベスト5に初めて選ばれた ©B.LEAGUE
多くの熱戦、激戦の記憶を残してBリーグ2021-22シーズンが終了した。「自分にとってすごく充実した1年だった」と振り返るのは、大躍進した島根スサノオマジックの安藤誓哉(29)だ。「4年間在籍したアルバルク東京から移籍して新しい仲間たちの中でとにかくガムシャラに頑張ったシーズンでした」の言葉どおり、ニューフェイスでありながら主将を務め、低迷が続いた島根を西地区2位に押し上げると初となるチャンピオンシップの扉をこじ開けた。
島根にもたらした“諦めないメンタリティ”
レギュラーシーズン54試合すべてにスタメン出場し、残した数字は平均出場時間32.45分、平均15.7得点、5.7アシスト。いずれも前シーズンを大きく上回るが、何より彼が島根にもたらした最大のものは「勝ちに行こう!というメンタリティです」とチームメートの阿部諒は言う。「昨シーズンまでうちは途中までいいゲームができていても最後までそれが遂行できず、自滅してしまうようなところがありました。でも、勝ち方を知る安藤さんはどこが踏ん張りどころなのかが分かっている。苦しい場面だからこそ気持ちを切らさず我慢しようという“諦めないメンタリティ”を身をもって示してくれたと思います」
阿部が口にした“諦めないメンタリティ”は島根への移籍を決めた安藤が真っ先に意識したことでもあった。2019-20シーズンに2度目のB1昇格を果たした島根は以後、2年間下位争いに甘んじている。安藤はそこに「優勝」という目標を掲げて乗り込んだ。
「正直、僕が入った当初優勝を目指している選手は少なかったと思います。けど、戦う以上目指すのはまずCS(チャンピオンシップ)進出。CSに出たからには狙うのは優勝。自分たちの目標はあくまで優勝であり、1年間それを目指して戦う、『俺たち優勝できるんじゃないか』と思えるチームになる。シーズンを通してみんなのメンタルをそこまで持っていくのが一番大変でした」
だが、自分はその覚悟を持って島根に来たのだ。ポール・ヘナレ新ヘッドコーチ(HC)を迎えた島根で新しいチームメートたちとどんなチームをつくっていくか。練習の初日から安藤の胸にあったのは「全力で挑もう」という思いだった。
ポイントガードへの挑戦を胸に明治大へ
思えば安藤のこれまでのバスケ人生は「全力で挑もう」の連続だったような気がする。
出身は東京都江戸川区。小学1年生からバスケを始めた安藤の最初の挑戦は東北の名門・明成高校(現・仙台大附属明成、宮城)の門をたたいたことだった。佐藤久夫監督の「おまえはシュートがうまいのだからもっとシュートを打て」の言葉に従い、「これまで得意としていたドライブよりシュートを打つことを意識するようになった」という。精度が増したシュートを武器に2年生の時にはウインターカップ優勝、3年生ではインターハイ準優勝に貢献。U-18の日本代表として臨んだアジア選手権大会では平均23.4得点を記録し、大会ベスト5に選出された。
明治大学に入学してスタートしたのはポイントガードへの挑戦だ。当初はゲームコントロールの意味さえよく分からず自分の攻め気と周りを生かすことの兼ね合いに、「毎日悩んでいた」と言うが、チーム事情から2年生で主将を任された頃には「得点力がある自分の持ち味を生かしながらゲームをクリエイトするポイントガード像」にたどりついた。2年生でのインカレ3位と3年生でのインカレ準優勝は、挑戦した先にあった答えだと言っていいだろう。
だが、満足はしていなかった。2014年、大学の最後のシーズンを迎える前に決断したのは、バスケ部を退部して海を渡るという挑戦だ。きっかけはプロとアマが参加できるアメリカのドリューリーグ(Dリーグ)に出場したこと。そこで安藤のプレーを見たカナダのプロチーム(ハリファックス・レインメン)から誘いの声がかかったのだ。安藤は「大学の最終学年を残してチームを去ることはチームメートや関係者に迷惑をかけることになる」という葛藤と戦いながらも、最後は「ステップアップするチャンスを無駄にしたくない」と心を決めた。
海外に出たことで得た「人間力」
退路を断ち、言葉も通じない新しい環境に飛び込むには相当の覚悟が必要だったに違いない。が、「毎日が挑戦だった」という安藤はすぐにスタメンの座を勝ち取り、2014-15オールルーキーチームに選出されるという快挙も成し遂げる。さらに翌年にはアジア枠の選手を探していたメラルコボルツでプレーするためにフィリピンに飛び、着いた2日後にはコートに立っていたというのだから恐れ入る。自分を成長させてくれる場所を求めて挑み続けるバイタリティーはどこから生まれるのだろう。
「いや、普通に疲れますよ(笑)。特に1年間カナダにいた時はいろいろ大変過ぎて、大変だということも分からなかったほどです。だけど、知らない国で知らない人たちとコミュニケーションを取りながら新しい自分を見つけるのは大変だけど楽しいです」
ならばそれも含め海外挑戦を通じて得たものはなんだったのだろうか。「うーん」としばし考えた後ゆっくり口を開く。
「自分が海外に出た時のことを改めて考えると、行ってからもそうですが、行くまでの過程でもいろんな人にお世話になって、人とのつながりの大切さ、ありがたさを痛感しました。単に海外でプレーしたというだけじゃなくて人として生きる上で大切なことを知ったというか……。うーん。そうですね。僕が海外に出たことで得た一番大きなものは『人間力』だったと思います」
「『自分は大丈夫』と思ってる暇なんてないんです」
帰国後、宇都宮ブレックス、秋田ノーザンハピネッツを経て在籍したアルバルク東京では、これまでのバスケ人生で最も長い4年間を過ごした。ルカ・パヴィチェヴィッチHCから綿密なバスケを学び、リーグ2連覇を経験できたことは「間違いなく自分の財産。あの4年間があったからこそ今の自分がいます」と語る。
それだけに、今シーズンのチャンピオンシップ(CS)クォーターファイナルでアルバルク東京と対戦した時は、何かしら特別な感情もあったのではないか。元チームメートの執拗(しつよう)なディフェンスを振り切り、次々と得点を重ねる姿からは「新天地で頑張る俺を見てくれ」と言わんばかりの濃厚で、抑えきれないような“熱”が伝わってきた。
しかし、セミファイナルで琉球ゴールデンキングスに敗れた時は冷静だったという。残り52秒、自分の3ポイントシュートで追いつきながら、ブザービーターで敗れる死闘だったにもかかわらずだ。「もちろん悔しさはありましたが、うちは(ファイナルに行くのは)まだ早いと思いました。泣くこともなかったし、落ち込むこともなかったです」
「うちはまだ早い」――それはこの1年島根を牽引(けんいん)し続けてきた安藤だからこそ言える言葉だろう。
「今シーズンはとにかくガムシャラにやってきて、その中で自分の新たな力の発見や可能性を感じることができました。肝心なのは結果どうこうより後悔があるかどうかということで、その意味でも充実した1年だったと言えます。だけど、1日過ぎればもう過去なんですね。初めてのCSでセミファイナルの舞台に上がったことも、自分がBリーグAWARDでベスト5を受賞できたことも、すべてがもう過去の出来事です。うちはまだ早いと感じたチームがまた一段上に行けるためにはどうしたらいいか、自分が今考えているのはそのことだけ。自分の中の優先順位筆頭の目標は来シーズン、島根を優勝させることです」
残した結果が大きかっただけに期待は高まるだろう。牽引する安藤への熱視線の数はさらに増えるに違いない。
「だから『自分は大丈夫』と思ってる暇なんてないんです。絶対に戦い続けるんだというメンタリティでまた挑戦しないと」
その言葉を聞きながら、ああ、この人は変わることのないチャレンジャーなのだなと思う。そして、このチャレンジャーは強く、たくましく、とてつもなく頼もしい。(文・松原貴実)