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今回インタビューにこたえてくれた熊本ヴォルターズ・小林慎太郎 ©B.LEAGUE

熊本地震から5年 熊本ヴォルターズ小林慎太郎が語る「地域と歩むアスリートの価値」

2021.04.30

2016年4月に起こった熊本地震から5年。被害の大きかった熊本県益城町(ましきまち)にある総合体育館をホームアリーナのひとつにしていたB.LEAGUE熊本ヴォルターズ(以下、ヴォルターズ)は、震災直後から支援活動に連日奔走し、いまも変わらず熊本を支援している。その支援活動の中心を担っていたのが、“Mr.ヴォルターズ”こと小林慎太郎(35)だ。これまでの復興支援活動や地元への思いについて聞いた。

熊本を支え、熊本に支えられてきたヴォルターズ

2016年4月14日と16日に震度7の大きな揺れを観測した熊本地震。ヴォルターズは震災直後から支援物資の運び込みや住民のケア、また「復興支援マッチ」「くまもと元気祭~熊本応援プロジェクト~」など、クラブ一丸となり「復興のシンボル」として熊本を支え、また地域から温かく支えられてきたクラブだ。

熊本とともに歩むヴォルターズ。写真は復興支援マッチにて ©️KUMAMOTO VOLTERS

そのなかでも復興支援活動の中心にいつもいたのが、熊本出身で “Mr.ヴォルターズ”と地元のファンから愛をもって呼ばれる小林慎太郎だ。2013年のヴォルターズ発足時よりシューティングガードとして活躍し、クラブの精神的な柱でもある。

支援活動のはじまり

地震当日、ヴォルターズはリーグ戦のため神奈川に滞在していたが16日未明の本震により試合を急遽中止にしてもらい、すぐに航空券を手配。宿泊先近くのスーパーで選手やスタッフそれぞれが被災者のために持ち運べるだけの飲み物や食べ物、生活用品などを買い込んで夕方の便に乗った。ホームアリーナのひとつで避難所にもなっていた益城町総合体育館に戻ってこられたのは夜も更けた頃だった。

「空港から体育館までの道路は隆起して、全壊した住宅も多くありました。益城の体育館に避難している多くの方の顔を見たときに涙が止まらなかったことをいまでもはっきり覚えています」と小林は話す。「震災当時は実家暮らしだったので実家のことは弟にまかせて、地震翌日は体育館へ行き『何が必要か』を聞き取りしたり、被災したエリアを見て回ったり、被害状況を確認していました」

小林は熊本復興支援活動の中心になった ©B.LEAGUE

そして、本震から二日後。自宅の片付けや安全を確保したヴォルターズの選手が集まった。ここからヴォルターズの震災支援活動がはじまった。小林を中心に、選手全員が「自分がいまできること」を考え、支援物資を運び、またSNSを活用して全国のファンに支援物資の協力を呼びかけた。

「水やタオル、インスタント食品、衣服やおむつ、生理用品、ペット用品……。自分たちの資金力には限界があるので、避難所でヒアリングした必要なものを選手それぞれの言葉をSNSでつぶやいてもらい全国に協力を呼びかけました」

選手たちの言葉に共感した全国のバスケットファンから多くの支援物資が集まった。支援物資の届け先は、物資を保管できるスペースがあった祖父の土地を使わせてもらった。毎日10トンもの物資が届き、荷降ろしも避難所に届けることもヴォルターズの選手たちで行った。当時は道路が寸断されていたところも多く、渋滞が発生して夜中に支援物資が届くことも多々あった。

「夜中の2時とかに物資が届くと他の選手を呼ぶわけにはいかないので、届けてくれた運転手の方に手伝っていただきふたりで荷降ろしをしていました」と振り返る。

個人での支援活動には限界があるが、「全国の方に協力していただくことで、もっと大きな支援ができる」ということを実際に助けてもらったことでより実感したという。「親族が亡くなったり自宅が崩壊したりしていたら、自分も動けなかったかもしれません。ただ幸いにもそのようなことがなかった。だからこそ、『自分ができることをやらなければ』『動ける人が動けない人を助けなければ』という思いが強くなったと思います」

支援活動のフェーズの変化

ヴォルターズの仲間とともに震災後2カ月間、支援物資を被災者に届け続けた。炊き出し支援も行った。「炊き出しでは選手たちが被災した方への配膳を行ったり、子どもたちと一緒に食べたりしていました」。選手とご飯を食べることで子どもたちが喜ぶこともアスリートの価値のひとつだ。実際に大人たちから多くの言葉をもらった。「あなたたちが支援活動をしていると子どもたちも喜ぶし、何より知っている顔なので安心する」。地域に根付いたクラブだからこその信頼感からだった。

選手が炊き出しを行うことで、地域との絆がより深くなる ©️KUMAMOTO VOLTERS

この支援活動を行うなかで、支援のフェーズが変化していくことに小林は気づいたという。「体育館裏にバスケットボールのリングを寄贈したのですが、支援物資に関する活動が少し落ち着いてきたところで炊き出しの合間などに子どもたちにバスケを教えたり一緒にプレーをしたりしていたら、子どもたちに笑顔がうまれて、親御さんからも『バスケの後は久しぶりに息子がぐっすり寝る姿を見られて嬉(うれ)しかった』というようなことを言われるんですよね。『プロアスリートは社会貢献すべき、まわりに元気を与えるべき』ということは頭ではわかっていたんですが、実際に行動を起こすことでその価値をあらためて実感しました」

支援活動により、子どもにも大人にも笑顔が生まれてきた ©️KUMAMOTO VOLTERS

熊本最大の繁華街「下通りアーケード」での3on3

ここから小林は、熊本に活気を取り戻すという新たな支援の形をはじめる。「バスケ選手が最もできることは、やはりバスケでまわりを元気にしていくこと」。そして熊本最大の繁華街「下通りアーケード」での復興イベントを企画した。2016年からはじめたこのイベントは、現在はコロナ禍で中止しているが、震災後毎年継続した。

2016年夏に、飲食店やデパートが立ち並ぶアーケードで、はじめて3on3の大会が行われた。企画者の小林は自ら警察に道路使用許可を申請し、商店会に企画の意義を伝え進めた。「イベント主催の経験がなかったので、イベント会社さんに声をかけて協力していただき、アーケードにゴールも設置しました。午前中は子どもたちとヴォルターズの選手が試合をしたり、時間が遅くなってくると大人たちと対戦したり。飲み屋も多くあるエリアなので、3on3のまわりを飲んだ後の帰宅途中の方が笑顔で見ていたり(笑)。大人たちもテンションが上がり楽しそうにしていたのが印象的です」。このイベントは小林の口癖「俺、やるよ!」から「やるよカップ」と名付けられ、人が集まる“場”となり、熊本に活気が生まれる“場”となった。

下通りアーケードで開催した「やるよカップ」の一コマ ©️がまだせ熊本

ヴォルターズに息づく魂

地震から5年たったいま、震災当時からヴォルターズに在籍していたのは、小林のみだ。ただ、ヴォルターズには熊本に寄り添う気持ちと、熊本を支える魂が根付いている。

「熊本地震復興支援マッチ」でも、小林が「熊本への思い、復興への思い」を話せば各選手に共鳴し、若手選手たちからも「スピーチに心打たれて感動しました」「プレーだけでなく気持ちで一丸となり頑張りましょう」「地元の方のためにも絶対に勝ちます」と熱い言葉が返ってくる。「クラブは支援活動の気持ちもふくめて一致団結する」という。熊本は2019年と2020年と連続して記録的な豪雨被害にも襲われたが、2016年の熊本地震のときとメンバーは違えど、皆が個々でできる支援を探し活動を行っている。

B.LEAGUEのB.Hopeプロジェクトでも各クラブの選手が熊本支援に訪れた ©B.LEAGUE

小林は支援活動を通じて自分たちにできること、また期待されていることに気づいたという。「災害の直後は物資支援などを行なうのは当たり前ですが、そのあとにアスリートである自分たちができるのは“場”を提供すること。アーケードで開催した3on3やバスケット教室など笑顔が生まれる場所をつくることが自分たちにできる復興支援のひとつの形だと思います。この“場”を毎年つくることは、災害の記憶を風化させないことにもつながり、今後災害が起きたときの備えにもつながっていくと思います」

小林は最後に自分なりのアスリート像を言う。「“一流のプレー”を目指すことはアスリートとして大事ですが、まず“一流の選手”であること。“一流の選手”とはバスケの価値を高められる選手であり、地域とのつながりをつくれる選手であり、心のある選手。ヴォルターズの選手をふくめBリーグに“一流の選手”が増えることで、子どもたちにもいい影響が出てくる。前に地元を歩いていたら突然、『慎太郎と会ったことで、うちの子どもがバスケはじめたんよ』と言われたんですね。ほんと嬉しかったし、地域とともに歩むアスリートであることの大切さを感じましたね(笑)」