バスケ

千葉ジェッツ広報・三浦一世さん「今が一番楽しい」 趣味が仕事になって見えたもの

千葉ジェッツの広報になってから5年、三浦さんは今の仕事が一番楽しいと話す(撮影・松永早弥香)

ブースターからも「イケメン広報」として知られ、Twitterでは「#メガネカマラ」という言葉も行き交う。Bリーグ屈指の実力と人気を誇るチーム・千葉ジェッツふなばしの広報・PRチームリーダーを担う三浦一世さん(39)は、人生で最も情熱を捧げてきたものはバスケットボールと言い切る。しかし仕事としてバスケと向き合ったのは30歳を過ぎてからだった。

中学で晴れてバスケデビュー

三浦さんが本格的にバスケを始めたのは中学生の時。本当は小学校でもバスケ部に入ろうとしていたが、人気だったバスケ部には定員が設けられており、「大きい子が入るとバランスが崩れてしまう」という理由で、身長167cmと背が高かった三浦さんは入部を認められなかった。

逆に中学校ではバスケ部の先輩に声をかけられ、三浦さんはふたつ返事で入部を決めた。「小学校の時にクラブ活動としてはやっていませんでしたけど、バスケが楽しいことは分かっていましたから」と三浦さん。バスケへの情熱は一気に高まり、中学校では東京都大会でベスト8入りを果たした。

都立駒場高校に進学後も迷わずバスケ部へ。根本正幸監督(当時)の下で徹底的に鍛えられ、都大会でベスト4入りを果たす。ただウインターカップに通じる関東地区予選は3点差で敗れ、全国の舞台には立てなかった。三浦さんたちの代の活躍もあって次第に選手が集まるようになり、駒場は2004年に都立校として初となるウインターカップ出場を果たしている。

バスケを基準に大学を選び、生活もバスケ中心

大学進学にあたって三浦さんが重視したのは、やはりバスケだった。自分が選手として全力で頑張れそうなところで受験が早く終わりそうなところ、そして自分が学びたいことがある大学、という基準で進学先を選んだ。

三浦さん(中央)は1部や2部の強豪大学ではなく、上を目指して頑張っているバスケ部があることが、大学を選ぶひとつの基準だった

「あまり大学進学というものを深く考えていなくて、早く受験を終わらせてバスケがしたかったんです。先生には『もうちょっと上にいってくれ』とめちゃくちゃ言われました。推薦で法政にいけるという話もあったんですけど、バスケ部が強いから自分では貢献できるか厳しいだろうなと思ってやめました。実力はわきまえていましたので。今思えば、バスケ中心じゃなくてもうちょっと人生の選択を考えろよって感じなんですが(笑)」

大学では心理学部を専攻。家から大学までは片道2時間程度だった。親からは一人暮らしの許可も出ていたが、「全部自分で稼ぐこと」という条件がついていたため、片道2時間の通学時間にバイトと部活の両立は無理だと判断し、結局4年間家から通った。部活が終わるのが夜9時。そこからご飯を食べて家に帰れるころにはもう深夜になっていた。翌日、1限から授業がある日などは下宿している友だちの家にみんなで泊まり込んだ。

当時リーグ戦では4、5部を行き来し、選手はみな3年生で引退していた。部には顧問はいたものの、チームを指導してくれる監督がおらず、部の運営はほぼ学生に任されていた。3年生になってから三浦さんは主将になり、高校時代のメニューも参考にしながら練習を組み立てた。最後の試合が終わり、涙の引退を迎え、バスケから離れるためにバイトも始めた。しかし不完全燃焼だったことや、後輩から請われたことなどから三浦さんは部に戻り、たったひとりの4年生として後輩たちをサポート。実質2度引退をすることになったが、「同じ目標に向かって死ぬほど頑張った仲間は、なかなか社会に出てからはできないと思う」と思えるほど、バスケ部の仲間とは強い絆を感じている。

ともに戦い抜いたバスケ部の仲間は、三浦さん(最前列左から2人目)にとってかけがえのない存在になっている

広告制作会社や広告代理店を経て、16年に千葉ジェッツへ

学生時代にこれだけバスケに打ち込んできたものの、三浦さんの頭にはバスケを仕事にするという考えはなかったという。「オフの時に友だちとバスケをしていましたし、別に仕事じゃなくてもいっかなと思っていました。例えばデザインの仕事をしてバスケのポスターを作るという仕事もあるかもしれない、というくらいにしか当時は考えていませんでした」。大学を卒業してからは塾の先生となり、その後は広告制作会社や広告代理店など数社を経験。父は広告プロダクションでアートディレクターをしており、母は絵本作家をしていた。親戚にも広告デザイン関係で働いている人が多かったため、三浦さんは自然とデザインや広告に興味を持つようになったという。

輸入販売のWEBサイトを運営していた会社ではWEB制作やカスタマーサービスなどを担い、広告代理店ではコピーライティングや営業も任された。その営業の成績が評価され、年次的に早いタイミングで昇格の話をもらうこともあった。結局、その昇格は固辞し、同じタイミングで叔父が経営する広告プロダクションから誘いを受けて転職。しかしその後、叔父の会社の親会社へ出向する話を受けることになった。

叔父を助けるという思いから転職した三浦さんは悩み、何とはなしに転職サイトを眺めていた。そこで見つけたのが千葉ジェッツの広報募集だった。2016年、Bリーグ開幕を前にし、事業強化のための募集だった。このタイミングで出会うのは縁かもしれない。三浦さんはこれで駄目だったら親会社へ出向しようと考え、千葉ジェッツの中途採用に応募した。

三浦さんはあくまでもバスケをすることが好きだったため、当時はあまりバスケを見ていなかった。実のところBリーグが開幕することも、よく理解していなかったという。だからこそ、これまでの広告業界での経験を「自分のようにバスケを見てこなかった人へバスケの面白さを伝える視点」に生かせられるのではないか。当時代表取締役社長だった島田慎二さんのインタビュー記事を読みあさり、千葉ジェッツがどんなチームなのかを調べ、この会社で自分ができること・果たすべきことのイメージを広げた。

最終的には島田さんの面接で採用が決まったが、その決定は早かった。島田さんとの二次面接で話が盛り上がり、その後、取材が入っていた島田さんから「後日、また連絡をするよ」と言われて面接を終えた。しかし三浦さんが会社を出ようとしたところで島田さんに呼び止められ、「君をとろうと思っている。よろしく!」と握手を求められた。「あの決定の早さが千葉ジェッツの成長にあるんだろうなと思いましたね」と三浦さんは振り返る。後日、改めて自分が採用された理由を島田さんに聞いたところ、千葉ジェッツのことを知らず、ビジネス的なマインドで考えているところが評価されたそうだ。

船橋のオフィスでは公式マスコットキャラクター「ジャンボくん」に見守られながら(撮影・松永早弥香)

「仮に、単純にジェッツが好きで、あの選手に会いたいからというような志望理由だったとすると、入った後の温度差があると思うんです。でも僕はビジネス的にバスケという商品を広めるにはどうしたらいいかと考えていました。バスケが面白いのは知っていましたが、その面白さがまだ日本では広まっていないな、もっと広めたいな、とは感じていましたし。そこにバスケが好きという気持ちもあって、僕のように見ていなかった人たちを取り込むにはどうしたらいいのか、そのためにこういうことをやりたい、という話を当時社長だった島田に熱弁しました。もちろんチームを知らないよりは知っていた方が自分の武器になりますけど、そのチームのためにどうするかを考えることの方が重要じゃないですかね」

あったかいブースターに触れ、SNS運用を一新

新卒から13年目にして、三浦さんは初めてバスケ業界に飛び込んだ。改めてバスケを見ると素直に面白いと感じられたという。「年齢が上がって思うようにプレーできなくなったからということもあったと思うんですけど、見ていて面白いなと気づけるようになりました。だからこそ、バスケを見ていない人にどのようにSNSで発信していこうか、島田と話しながらやっていました」

三浦さんが広報に就任した際、Twitterのフォロワーは2万人程度だったが今では15万人を超えている。当初はですます調が基本で、発信する情報も限られていた。しかし今は真面目な情報を発信をする一方で、選手の柔らかい表情を狙った写真と親しみを感じる口調&顔文字での発信もしている。またコメントに対しても公式アカウントからリアクション。距離の近さを感じるSNSを展開している。

「ジェッツのファンってとってもあったかいんですよ。負けた試合の時でも『次頑張ろう!』『応援してるよ!』というコメントがあって、これにリアクションしないのは担当として無理だなって思ったんです。だから島田に『コミュニケーションをとっていきたいです』と相談しました。あっちでやってこっちではやらないということはできないでしょうから、一度始めたらもう覚悟してやらないといけないなと思っていました。そしたら島田も『よし、自分のアカウントでもやるから一緒にやろう』と言ってくれたので、少しずつ“人感”を出していく方針に変えていきました。当時ジェッツにいた伊藤俊亮選手も力になってくれました」

知名度が上がっていくと、ファンと比例してよくない評価をするアンチの人も増えていくもの。三浦さんは広報としてチームのエゴサーチをしながら、時には批判的な意見をしている人に踏み込んで話を聞くこともあるという。「互いを理解することで、もしかしたらジェッツを好きになってくれるかもしれないですし、もちろん慎重にはなりますが、批判をしてくれる方の意見ってものすごく勉強になるんですよね。そういう見方もあるのか……と。そこから次はこうしていこうと日々学ばせてもらっています。心が痛むことはないと言ったら嘘(うそ)になりますが、かなり鍛えられました(笑)」

試合中、三浦さん(右端)はカメラマンとしても活躍 (c)CHIBA JETS FUNABASHI/PHOTO:AtsushiSasaki

三浦さんは千葉ジェッツのブースターから「イケメン広報」として親しまれている。そのきっかけはある雑誌の取材だった。「広報に聞く」というコーナーで三浦さんが取材を受け、できあがった原稿を見ると、そこには「イケメン広報」と記されていた。「『イケメン広報』は修正できないでしょうか?」と三浦さんはお願いしたが、「これは譲れません」と断られてしまったという。

後日、その雑誌を目にして面白がった島田さんから声をかけられ、「自分のTwitterで『イケメン広報』をネタにつぶやくから、ジェッツの公式でリツイートするように」と三浦さんは指示を受け、公式アカウントで渋々リツイート。それを見た千葉ジェッツの選手やブースターが反応し、「イケメン広報」が定着した。試合中に選手の写真を撮る三浦さんをブースターが撮影し、その写真は「#イケメン広報」という言葉とともにTwitterにあげられている。

もうひとつ、三浦さんが写った写真には「#メガネカマラ」という言葉も添えられていることがある。これはギャビン・エドワーズが眼鏡をして写真を撮る三浦さんに対し、「メガネカメラ」と言おうとしたところ「メガネカマラ」になってしまったためだとか。そうした言葉もブースターに広まっているあたり、いかにチームへの愛が深いかが分かる。ちなみに今はマスクをしながらだと眼鏡がくもってしまうため、コンタクトをしてカメラを構えているそうだ。

バスケ文化を醸成し、愛されるチームになるために

新型コロナウイルスの影響で2019-20シーズンは途中で中止となり、20-21シーズンも観客の入場制限を設けて実施している。チームとしては経費削減をしながらの運営ではあるが、試合会場では昨シーズン同様、プロジェクションマッピングを用いた演出を継続するなど、非日常を味わえる環境づくりを続けている。「やっぱり見に来てくださった方にはここでしか味わえないものを提供したいですし、『楽しかったね』『来て良かったね』と思って帰ってもらいたいです」

また千葉ジェッツは現在、1万人収容のアリーナ建設プロジェクトを掲げている。新型コロナの影響を受けるまで、会場来場者数は1試合平均約5200人とBリーグ内で最多の観客動員数を誇っていた。もちろんただ観客席を増やせばいいだけではない。

「1万人の席を常に埋めるには実質、3~4万人ほどの見込み顧客をつくらないといけません。ジェッツには地元・千葉をバスケット王国にするというビジョンがあります。県内の保育園や学校にゴールや練習着を寄附することで子どもたちがバスケに親しみ、バスケを見たいと思い、その子どもたちが大きくなった時には自分の子どもを連れてきてくれるようなカルチャーをつくりたいと考えています。もちろんそんな子どもたちの中から実際に選手としてプレーしてくれる子が出てきたら、こんなうれしいことはないですね。そんな“地域愛着”のビジョンを通じてバスケ文化を醸成していけたらと思っています」

試合前のふとした瞬間も見逃さず、広報として選手たちの魅力を伝えていく (c)CHIBA JETS FUNABASHI/PHOTO:AtsushiSasaki

プロモーションの一環として千葉ジェッツは様々なコラボを展開しており、昨年12月にはアニメ「ちびまる子ちゃん」とのコラボで限定グッズやパフォーマンス、限定プログラムの配布などを実施した。「良くも悪くもちょっととがったことをしたいというのは、公式Twitterからも伝わっているんじゃないかなと思っています。とがったゆえにしくじることもありますが(苦笑)。レスポンスが早くありたいと思っていますし、フラッシュアイデア的な企画も割と多いんです」。例えば昨年12月に販売された原修太の「OMGパーカー」は、三浦さんが試合先で撮影した写真が元になっている。「何か使えるんじゃないかな」という発想が次の企画につながっている。

学生時代に「突き抜けるくらい好きなもの」を

社会人になって17年目。様々な仕事を経て、最も情熱を注いできたバスケを仕事にして働く今が一番楽しいという。「『今日仕事に行きたくないなと思った日が1回もないです。楽しいという気持ちは日に日に大きくなっています。コロナで先行きが見えない不安はありますけど、組織が大きくなってやれることは増えていますし、ジェッツを応援してくださる声も大きくなっているのを感じています。日々、一喜一憂しながらですね」

新卒当時にバスケを仕事に選ばなかった理由のひとつに、趣味を仕事にしてもいいのかという思いがあった。改めて考えてみると「“ちょっと好き”じゃなくて、“突き抜けるくらい好き”なものだったら仕事にしても燃えられるんじゃないかな」と三浦さんは言う。だからこそ学生には、そんな夢中になれるものを見つけてほしいとアドバイスを送る。

 「自分が好きなことに突き詰める努力をするのは無駄にならないと思うんです。例え直接仕事に役立たなくても、人生を豊かにしてくれるかもしれない。もし自分が夢中になれることがないなら、これから探すでも大学生ならまだ間に合う。大学生活を楽しみながら、自分の武器を磨く期間として過ごしていくでもいいんじゃないかと思います」

バスケが好き。その思いを原動力として、三浦さんは千葉ジェッツの広報としてチームの、日本のバスケ界の未来をつくっていく。



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