JBA公認プロフェッショナルレフェリーの漆間大吾 ©︎B.LEAGUE
選手とともにコートに立ち、的確かつ冷静にジャッジをしながら試合をコントロールするレフェリー。多くの責任とプレッシャーのある立場であるがゆえ、精神的にも体力的にもタフさが必要とされる。今回は、日本で2人しかいないJBA(日本バスケットボール協会)公認プロレフェリーの漆間大吾(うるしま・だいご)さんの話から、普段あまり知られていないレフェリーの世界に迫る。
B.LEAGUEのレフェリーは狭き門
B.LEAGUEの笛を吹けるレフェリーは限られている。JBA公認の審判ライセンスはS級をトップにA級からE級まで5万人以上のライセンス保持者がいるが、A級以上で、さらに普段のパフォーマンスの評価を加味して選ばれた120人ほどがB.LEAGUEの試合を担当することができる厳しい世界だ。
審判ライセンス取得条件は級によって違いはあるが、基本的には実技テストとルールブックに則したルールテスト、フィットネステストや実戦を通しての評価などさまざまな項目をもとにライセンスが発行される。
JBA公認S級ライセンスと、すべての国際試合でレフェリーを担当できるFIBA(国際バスケット連盟)レフェリーブラックライセンスをもち、JBA公認プロフェッショナルレフェリー(以下プロレフェリー)として活躍するのが、漆間だ。
東京2020オリンピックも担当した加藤誉樹(かとう・たかき)が、2017年に日本の審判として初めてプロ契約、そして2019年に二人目のプロレフェリーとして漆間が契約した。
プロとしてB.LEAGUEのシーズン中は月の半分ほど全国各地を飛び回ることもあり、また、レフェリーの技術や注意点をまとめた映像や文書も制作し、日本の審判技術向上を担っている。B.LEAGUE以外では国際試合も多く担当し、最近では女子日本代表が5連覇を飾ったFIBA女子アジアカップ2021 や、FIBA U19バスケットボールワールドカップ2021の笛も吹いている。
プロレフェリー漆間が誕生するまで
漆間がバスケと出会ったのは小学校1年のとき。以来、仙台大学1年までプレーヤーとして活躍した後、2年でマネージャーに転身。練習でも審判をする機会が増えたことから、2005年に宮城県協会公認ライセンス(現JBA公認C級ライセンス)を取得した。
そして2005年11月、テーブル・オフィシャルズ(記録員)を担当したbjリーグの仙台89ERS開幕戦が、その後の人生に大きな影響を与える。
「仙台市体育館がほぼ満席になり、歌手のAIさんが歌うオープニングセレモニーがあり、会場が熱気に包まれて。バスケの華やかな試合を目の当たりにして、『このコートに立ちたい』『選手としては難しいけれどレフェリーとしてなら同じコートに立つことができるかも』と思ったのがはじまりです」
大学卒業後は、bjリーグのレフェリーをしながら、バスケウェアのメーカーで会社勤めをした。ただ、「もっと多くの試合を担当してスキルを磨きたい」という思いから2年半ほどで会社を辞め、時間に融通のきくアルバイト生活を送りながらレフェリーを突き詰めた。
「本業を持たずにフリーターでレフェリーをやっている人はあまり聞いたことがありません。昔も今も、レフェリーは本業を持たれている方がほとんどです。平日開催の試合だと本業があると動きづらいこともあるので、そういう試合をひとつでも回してもらえるようにフリーターを選びました」
そして、B 級、A 級と着実にステップアップし、2016年に開幕したB.LEAGUEでも笛を吹く漆間に転機が訪れたのは2017年。S級ライセンスを取得した半年後に、日本初のプロレフェリーが誕生したのだ。
漆間は思った。「bjリーグの頃からの自分の夢だったプロレフェリーを目指そう」。
そこからB.LEAGUEをはじめ、国際試合でも経験を重ね、2019年9月にプロの条件であったFIBAレフェリーブラックライセンスを取得した後、JBA 公認プロフェッショナルレフェリーとして契約を結んだ。
レフェリーは選手の良きパートナー
大学卒業後から目指していたプロレフェリーとしての活動がはじまった漆間に、とくにレフェリーとしての才覚を感じるのが、メンタルのタフさと整え方、そして強い心だ。
「bjリーグでもB.LEAGUEでも初めて担当した試合は、緊張せずに落ち着いていました。国際大会もふくめて、どの試合でも試合は試合。感情の変化で自分のパフォーマンスが左右されないように、心がけるようにしています」
レフェリーはともすれば、その判定を巡り選手から詰め寄られることもある。
「僕もプレーヤーだったので気持ちはすごくわかるんです。限度を超えた行動や言葉はコントロールしますが、ある程度はコミュニケーションだと思っています。僕らが絶対的に押さえつけてしまえば見ている方もつまらないですし、プレーヤーも力を発揮できずに終わってしまう。僕らも未然に防げるファウルは防ぎたいですし、できればファウルは吹きたくない。例えば、開始数分でファウルを2回吹かれたら、その選手はその試合、ベンチにいる時間が長くなってしまうでしょう。そうなると、その選手のプレーを見るために会場に来たお客様はがっかりしてしまいます。だからファウルがなるべく起こらないようにその前にコミュニケーションを取ったり、悪い方向にいかないように修正したりしています。レフェリーは決して選手の敵ではないですが、一方で友達でもない、選手に寄り添いながら一緒にゲームを良くするパートナーというイメージを大事にしています」
選手の良きパートナーでいるためにも日々の努力と検証を怠らない。漆間にとって試合は終了のブザーが鳴って終わりではない。試合後に映像で試合を繰り返し見直すまでがワンセットだ。
「ひねくれているのかもしれませんが、『完璧だ!』とか『何も問題ない!』みたいな感情を抱いた試合があったらレフェリーを引退しようと思っています。それは、ただ自分の悪いところが見えていないから良く感じるだけ。それは結局一人よがりの笛になってゲームそっちのけで自分が気持ちよくなるための笛になってしまっているのだと思います。いままで満足した試合はひとつもありません。基本的にレフェリーはみな同じ感覚だと思います」
レフェリーにとって大切なのは、「アクティブマインドセットといって常に気持ちを切り替える技術」と言う。
「例えば、一度ファウルの判定を宣したら取り消すことはできません。その判定でプレーヤーだけでなく、会場からブーイングをあびることもある職業です。その際にメンタルが揺らぎ、パフォーマンスが落ちてしまうと試合のためにならないので、メンタルを整えるこのスキルが重要です。普段の生活では考えられないくらい試合中は激しく詰められることもあるので(笑)。これが出来る、出来ないで大きく違ってきますね」
漆間の日本バスケ界への思い
選手たちをコート内の一番近い場所から見てきた漆間は、日本バスケの成長も見てきた。
「それぞれのレフェリーが行うスカウティングやJBAからの判定基準を統一するための映像配信によるサポートもあることからレフェリーの目を盗む“ずるい”プレーに対して適切な判定を下すケースが増えてきています。その効果も一つの要因となり、よりバスケに真摯に向き合うプレーが増えています。それに、以前と比べて選手同士がコンタクトしてよろけることがだいぶ減ってきています。世界はフィジカルの強さは当たり前ですが、日本もワールドスタンダードに近づいてきているのを感じます」
プロレフェリーとしても日本バスケ界の発展に少しでも貢献していきたいと思っている。
「当然僕らが正しい判定をして試合のクオリティをあげることが大切です。それに、レフェリーがどういう判断でファウルを取るかなどコーチやプレーヤーをはじめ、いろいろな方に発信していくことで、少しでもギャップを埋めることもしなければと思っています。プロレフェリーももっと増えていかないといけないですし、2023年に沖縄も共同開催地となっているFIBAワールドカップでも、2024年パリオリンピックでも、日本人レフェリーが2人以上選ばれるようにプロレフェリーとしても自覚をもって頑張ります」
小学生からバスケ一筋だった漆間。試合中に「アリウープとかすごいプレーを間近で見ると、実は心のなかで『うぉー!』と叫んでいます(笑)」と根っからのバスケ好き。選手ではなく、コーチでもなく、プロのレフェリーという立場で、日本バスケ界をこれからも支えていく。