大石慎之介と加納誠也「子どもたちに元気を届ける」、ベルテックス静岡で戦う意義
ベルテックス静岡は2019-20シーズンからB3リーグに参入し、昨シーズンは4位。3シーズン目となる2021-22シーズンは「チームとして言い訳ができない年。1枚岩になって結果にこだわりたい」とバイスキャプテン(副将)の加納誠也(32)は言い、初年度から静岡で戦う大石慎之介(33)も「もちろん優勝が目標です」と言い切る。2人はプロ選手としてバスケで結果を求める一方で、スポーツギフティング「Unlim(アンリム)」を通じて、病気やけがと戦う子どもたちに元気を届ける活動をしている。
静岡で生まれ育ち、浜松大で関東リーグ4連覇
チーム最年長の大石に対し、チームメートは皆、親しみを込めて「しんさん」と呼ぶが、加納だけは「大石さん」と呼んでいる。「今更『しんさん』と呼べないですよ! 高校の時からもう、大石さんは大石さんとして君臨していましたから」
大石は静岡県出身、加納は愛知県出身。東海地区同士ゆえ、大石は飛龍高校(静岡)3年生の時に安城学園高校(愛知)1年生だった加納と対戦したこともある。「ルーキーだったのでプレータイムこそ長くはなかったけど、大きくて器用で、すごい選手がいるなと思いました」と大石は当時の加納を振り返る。一方、加納は「PGの大石さんはパスをさばいて自分でも点もとり、止めようにも止められなかった」と大石の存在感が強く刻まれた。
その後、大石は地元の浜松大学(現・常葉大学)に進学。当時はJBLに所属していたオーエスジーフェニックス東三河(現・三遠フェニックス)と練習試合をする機会もあり、そのチームがプロリーグのbjリーグに参入するのを見て、自分もプロ選手として生きていけたらと思うようになったという。「小学生の時からバスケ選手になりたいという思いはあったんですが、周りには実業団しかありませんでした。でも身近で見てきた選手たちの姿を見て、もちろん彼らも努力した結果ですし、自分も大学で頑張らないといけないなと思うようになりました」
同級生にはインターハイ覇者の延岡学園の選手や、ウインターカップ覇者の福岡第一の選手などもおり、「僕は仲間に恵まれました」と大石は当時を振り返る。1年生の時に東海リーグ初優勝を成し遂げ、新人王を獲得。2年生の時には西日本大会で初優勝。4年生の時には東海リーグ4連覇ののちに最後のインカレに挑んだが、2回戦で中央大学に敗れ、“関東越え”を果たせなかった。
同期でエースの坂本ジェイ(当時はママドゥ・ジェイ、現・ヴィアティン三重)がインカレ前に肩を脱臼してしまい、大会には経験が浅い1年生の留学生が出場した。「まだ体作りが十分にできていない中で戦わなければならず、彼も悔しい思いをしたと思います。チームとしては不本意な結果でしたが、個人としては全部の力を発揮できたかな」。悔しさはあれど、大学4年間は仲間とともに高め合い、充実した日々が過ごせたと感じている。
在籍時に当時bjリーグだった仙台89ERSとアーリーチャレンジ契約を結び、バスケ選手として生きていく道をつかんだ。宮崎シャイニングサンズ、浜松・東三河フェニックス(現・三遠ネオフェニックス)を経験し、地元の静岡がBリーグ参入を目指していることを知り、18年に静岡に移籍。チームの初年度から主力して戦い、昨シーズンはキャプテンを務め、今シーズンはオフコートキャプテンとしてチームを支えている。
愛知から筑波大へ「諦めない心」を学んだ
一方、加納は安城学園バスケ部の先生の姿を見て体育教師を志し、その先生の出身校である筑波大学に進学した。加納は1年生の時からメンバー入りを果たし、チームは2部から1部に昇格。加納は李相佰杯(日韓学生大会)や関東学生選抜に選ばれるなど活躍し、元バスケ選手の両親からも「上でもやれるんじゃないか?」と言われ、プロ選手としての将来を思い描き始めた。
しかしそんな2年生の時に前十字靭帯(じんたい)を切ってしまい、復帰できたのは3年生の春になってからだった。Bチームからスタートとなり、加納自身、何度もくじけそうになったという。「その意味では大学時代は諦めない心とか、継続して何かを成し遂げることを学んだ日々だったかもしれません」
ラストイヤーは再びAチームでプレーし、主力としてチームを牽引(けんいん)。しかし最後のインカレの3日前に捻挫をしてしまい、ガチガチにテーピングをして大会に臨んだ。2回戦で天理大学と対戦し、68-76で敗れた。その時の天理大には茨城ロボッツの主将・平尾充庸がおり、天理大はその年にインカレ準優勝を果たしている。
加納はその後、父と同じく三菱電機ダイヤモンドドルフィンズに進み、いくつかのクラブを経験。16年からはライジングゼファーフクオカでプレーし、4年目を終えて自由交渉選手リストに公示された際、真っ先に声をかけてくれた静岡に移籍を決めた。
その移籍を決める際、加納には家族の問題もあった。長男・大誠くんは生まれつき重い心臓病を抱えており、これまでも何度も大きな手術をしている。「僕は単身赴任ではなく家族と一緒に過ごしたくて、静岡には県立こども病院という大きな病院があったので、だったら大丈夫かなと思いました」
静岡にとって初年度だった2019-20シーズンはコロナ禍で途中で中止となり、チームは10位という結果で終わった。「2年目を迎えるタイミングに自分が加入することで、チームも自分もステップアップできるかなと思いました」と加納は言い、一緒に取材を受けた大石の方を見て、「でも大石さんがいたというのも大きかったです」と笑いながら明かした。
ダンスDVDを子どもたちへ「逆に元気をもらっている」
大石と加納は同じチームになった今は一緒に県立こども病院への活動をしているが、加納は自分の子供をきっかけにして19年から、大石は12年から、それぞれ活動をしてきた。大石が活動を始めたのは母校のミニバスチームのある小学生がきっかけだった。その小学生は将来を有望視された選手だったが、脳の病気で寝たきりになったことを恩師から聞かされた。「それまではどこか遠くのことのように感じていたんですけど、その時からプロ選手の自分ができることはないかと考えるようになりました」
コロナ禍になる前は病院を訪れ、子供たちと触れ合っていたが、今はそれができない。そこで昨年から活動をDVD制作に切り替えた。「病院の中で体を動かせるように、みんなが少しでも笑顔になってくれたらいいなと考え、座りながらでも寝っ転がりながらでもできるダンスを考えて作っています」と大石。子どもたちが親しみやすいように、テレビ番組「ピタゴラスイッチ」や漫画「鬼滅の刃」、韓国の7人組グループ「BTS」などを参考にしてダンスを考え、月1回くらいのペースでDVDを作っている。
今は県立こども病院を対象にしているが、今後、他のこども病院にも届けられればと構想している。「汗だくになりながらやってて、結構クオリティーも高いんですよ」と加納。きっとブースターにとっても貴重な映像だと思われるが、「恥ずかしいんで見せられないっす」と一般公開はまだ難しそうだ。加納は長男にも見せているようで、「自分たちが踊っているBTSのDVDなんて3日間ずっと見てたのに、今は本家のBTSの方ばっかりで……」と少し寂しい思いもしているようだ。
こども病院には「ご意見ボックス」を置いてもらい、子どもたちの声を募った。そのボックスには「バスケ選手のプレーが見たい」「体操をしてみたい」というものもあったという。そのためこの秋には、バスケシーンを集めたDVDがこども病院に届けられる予定だ。
こうした活動を通じて、改めて感じたことがある。「元気とか勇気とか笑顔を与えられたらいいなと言いつつ、でも逆に自分がもらっているなと毎回思うんです」。そう大石が言うと、加納もうなずきながら「今は直接会えなくなったけど、会えていた時は僕らが自然と笑顔になっちゃうし、元気をもらって帰ってました。DVD制作などの活動をしている時からワクワクしてるし、楽しみながらやってますよ」と笑顔で明かす。
10月1日にB3が開幕し、大石も加納も断固たる決意で1試合1試合に情熱を燃やしている。東海地区で生まれ育った2人はここ静岡で戦う意義を強く感じている。