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山本は桜花学園で1年生の時からウインターカップに出場し、卒業後はトヨタ自動車 アンテロープに進んだ ©toyota_antelopes

トヨタ自動車・山本麻衣、3度のウインターカップで流した涙 これからも成長し続ける

2021.12.10

東京オリンピック3x3(3人制バスケットボール)日本代表でトヨタ自動車 アンテロープスの山本麻衣(22)はこれまで、小学校・中学校・高校、そしてWリーグと全てで日本一を経験している。特に桜花学園高校(愛知)では1年生の時からスターターとして全国高等学校バスケットボール選手権大会(ウインターカップ)に出場し、3度の大会で準優勝、優勝、3位という輝かしい成績を残している。うれし涙も悔し涙を流した大会。「最後はやり切ることができたかな」と山本は笑顔で振り返る。

ミニバス強豪チームで芽生えた夢

父・健之さんはバレーボールの元日本代表で、母・貴美子さんはバスケの実業団・三菱電機の選手だったこともあり、山本は小さい頃からバレーにもバスケにも親しみを感じていたという。小1でクラブに入る際、当初はバレーのクラブに入ったが、「楽しそう」という思いからバスケのクラブに変更。結局、姉も弟も他のスポーツを選び、「父は何も言いませんでしたが、きょうだい3人ともバレーをしなかったので寂しがっていたのかもしれませんね」と申し訳なさそうに話してくれた。

2つ上の姉・加奈子(現・TOKYO DIME)が「バスケが強いチームでやりたい」と思い立って藤浪中学校(愛知)に進んだ際、山本も一緒に広島県から愛知県の小学校に転校。ミニバスの強豪クラブで全国優勝を果たした。「ほめてもらえることが一番うれしくて、自分が成長しているのを肌で感じられたのもうれしかったです。最初はできないことばかりだったんですが、負けず嫌いで悔しがり屋なので、絶対できるようにしたいという思いが強かったですし、それができるようになった時の達成感がモチベーションになっていました」。思えばその時から、山本はバスケ選手になる未来を思い描き始めたという。

山本は今でも、バスケを通じて自分の成長を実感している ©toyota_antelopes

「もっと得点に絡んでこい」と言われ、三冠に貢献

中学校は姉と同じ藤浪に進んだが、高校は姉が通っていた昭和学院高校(千葉)ではなく、「世界に通用する選手を育てること」を理念に掲げる井上眞一先生が指導する桜花学園に進んだ。「タレントぞろいの強豪校で、自分がどこまで通用するか分からなかったんですけど、できないことに挑戦したいと思ったんです」。実際、中学校では公式戦で3ポイントシュートを1本も決められず、入学当初はシュートに不安を感じていた。しかし桜花学園で徹底的に鍛えられ、苦手だったシュートを自分の武器にまですることができたという。「先輩たちに連れて行ってもらった」と山本が話す1年目のウインターカップでは決勝で岐阜女子高校に敗れ、「絶望感じゃないですけど、本当に、そんな簡単なものではないんだな」と思い知らされた。

2年生になるにあたり、井上先生からは「山本が指示を出して、全部やるんだぞ。もっと得点に絡んでこい」とことあるごとに言われ、スターターに3年生が4人の中、山本はたった1人の2年生としてゲームを作る役目を担った。その時の3年生には、後にトヨタ自動車と東京オリンピックで一緒に戦うことになる馬瓜ステファニーもいた。実は山本のコートネーム「リム」をつけてくれたのもステファニーだ。「私は人に夢を与えられる選手になることを目指していて、それで、夢→ドリーム→リムと決まったんです」と山本は言う。そんなステファニーら3年生はコミュニケーションを大切にし、山本も意見をしやすい環境を作ってくれた。日頃の練習から選手たちが意見を交わし、選手自身が考えながらチームを作れたことが、三冠(インターハイ、国体、ウインターカップ)という結果に結びついたと山本は感じている。

「このまま高校バスケが終わっていいのか」

唯一のスターターだったこともあり、3年生になってから山本が主将になるのは自然な流れだった。主力を担っていた先輩たちが卒業し、山本は「自分がやらなきゃという思いも強かったですし、どうやったらみんなで成長できるかをすごく考えてやってました」と振り返る。小学生の時からつけている練習ノートにはちょっとした気づきも記し、主将としてどのような声かけをすべきかを日々考えてきた。

夏のインターハイでは岐阜女子に敗れて準優勝。集大成となるウインターカップこそは優勝し、2連覇をして後輩にこれからの桜花学園を託したい。山本は断固たる決意で高校最後の舞台に立ったが、準決勝で大阪桐蔭高校に54-79で敗れ、3位決定戦にまわることになった。「準決勝では何もできなかったんです。このまま高校バスケが終わっていいのかって思って、特に3年生は井上先生から怒られましたし、めっちゃ気合を入れて3位決定戦に臨みました」

山本(左)は「桜花らしいバスケットをして終わろう」と声をかけ、3位決定戦に挑んだ(撮影・朝日新聞社)

相手は3回戦で62点という1試合最多得点新記録を樹立した奥山理々嘉(当時2年、現・ENEOSサンフラワーズ)を擁する八雲学園高校(東京)。「桜花はディフェンスのチームだから、そこは負けられませんでした」。チームディフェンスで奥山を徹底的にマークし、83-50で圧勝。特に最後は井上先生の計らいで3年生5人がコートに立った。感極まった山本はこみ上げるものを感じながらも主将として最後までチームを鼓舞し続けたが、試合後は涙をこらえきれなかった。「日本一になれなかった悔しさもあったんですが、本当に終わってしまったんだなって。でも最後は自分たちの力を発揮できたと思います」

今年のウインターカップは12月23日に開幕する。特に桜花学園には3連覇がかかっている。3年生にとっては集大成となる大会。山本はかつての自分と重ねながら、高校生たちにエールを送ってくれた。

「気負わず、自分たちが今までやってきたことを信じてやり抜いてほしい。大会中は不安にもなるだろうけど、やってきたことだけが出ると思うので、それだけを信じて、自分を信じて、仲間を信じて、楽しくやってほしいです」

東京五輪での悔しさを胸に

山本はその後、小学生の時から憧れてきた大神(おおが)雄子さんがいるトヨタ自動車にアーリーエントリー選手として合流し、大神さんが引退するまでの3カ月間、一緒にコートに立った。大神さんのことは山本が小学生だった時に母をきっかけにして知るようになり、応援に行った試合でリストバンドにサインをしてもらったこともあったという。「大神さんのリーダーシップは外から見てても伝わるほどだったんですけど、一緒にコートに立ってみると、タイミングも声のかけ方も一つひとつが勉強になりましたし、改めてすごい選手だなと感じました」と山本は振り返る。

2018年3月に桜花学園を卒業してからはトヨタ自動車の選手としてWリーグを戦う一方で、3x3の日本代表としても活躍。 19年のFIBA 3×3 U23ワールドカップで優勝した際には、大会MVPにも選ばれている。トヨタ自動車で3シーズン目となった2020-21シーズンには12連覇を狙ったENEOSサンフラワーズを破り、悲願のWリーグ初優勝を成し遂げた。

今年7月の東京オリンピック3x3ではメダルを目指していた中で5位となり、いつも通りの力を発揮できなかった悔しさは今もある。それでも「この年代でこれ以上ない経験をさせてもらいました。あの負けを経験してから一層、オリンピックでメダルを取りたいと強く思うようになりました」と前だけを見ている。

アメリカは東京オリンピック3x3で優勝したが、日本はそのアメリカに予選リーグでは20-18で勝利している(撮影・細川卓撮)

小学生の時に思い描いてた未来に山本はいる。あの時に感じた「バスケットが楽しい」という気持ちは今も変わらない。

「バスケットを通じていろんな成長を感じられるのがすごくうれしくて、まだまだ成長できる部分が見つかるし、楽しいことの連続です。バスケットをしてて飽きないなって思うんですよ。極めれば極めるほど課題が見つかるので、考える力もついてきているんだろうな。それは好きなバスケットができているからこそ。バスケットは自分には欠かせない存在です」(文・松永早弥香)