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岡田は2021-22シーズンより信州で戦い、11月には初めて日本代表メンバーに選ばれた(写真提供・信州ブレイブウォリアーズ)

信州・岡田侑大、東山時代に培った土台 頑固な性格とバスケ愛に突き動かされて

2021.12.17

「自分が東山高校(京都)に進もうと思ったのは岡田さんが3年生の時に出たインターハイやウインターカップを見たからです」。そう語るのは昨年のウインターカップでその名を全国に知らしめた米須玲音(現・日大1年)だ。執拗(しつよう)なディフェンスを振り切りゴールに向かうエースの姿に魅せられた。

「岡田さんは自分が東山に入ってからもOBとして何度か練習に来てくださり、自分にはないスキルを色々学ばせてもらいました。今もBリーグの舞台でいっぱい活躍されていますが、あの人の背中を追いかけ、いつか超えられるような選手になることが自分の目標です」

高校の後輩にここまで語らせる“岡田さん”とは信州ブレイブウォリアーズの岡田侑大(ゆうた、23)である。20歳でプロの道に進んでシーホース三河に入団した岡田は2019-20シーズンの新人王に輝き、2020-21シーズンは移籍した富山グラウジーズでチームの底上げに貢献。更に信州に移籍した2021-22シーズンは日本人選手として唯一得点ランキングトップ20に入る活躍で、10月のB.LEAGUE Monthly MVPに選出された。11月には初の日本代表メンバーとしてFIBAワールドカップアジア予選(対中国)の舞台に立ち、2022年1月14、15日に沖縄で開催されるBリーグオールスターのメンバーにも選ばれている。次代の日本バスケットボール界を担う選手は?と問えば、多くのファンから「岡田侑大」の名が挙がるのは間違いないだろう。

プロ4年目となる2021-22シーズン、岡田(右)は持ち前のオフェンス力でチームに勢いをもたらしている ©B.LEAGUE

選手としての土台は高校で学んだことでできている

奈良県との県境に近い京都府南部の町で生まれた岡田は小学2年生からバスケを始めた。だが、同時に野球もやっており、その頃の軸足はどうやらそちらにあったらしい。バスケに専念することになったのは肩を痛めて野球をやめた4年生の時だ。それからはひたすら茶色のボールを追いかける毎日。更なるステップアップを目指して東山に進むことを決めたのは、中学時代の早い時期だったという。

「いくつかの高校から声かをかけてもらったんですが、中学1年の時に大沢先生(徹也・東山高校監督)と知り合ったこともあって迷いはありませんでした。京都には洛南という強豪校があるじゃないですか。東山にはその洛南を倒したいという選手が集まってきます。『打倒洛南』が1つの目標になるというか、みんなのモチベーションにもなる。練習はめっちゃきつくて、特に1年の夏合宿はもうずっと走り回っていて毎日フラフラ(笑)。けど、すぐにスタートで出させてもらったし、成長できている手応えがありました。自分のバスケット選手としての土台は間違いなく東山で学んだこと、得たことでできていると思います」

忘れられない高3の夏と冬の舞台

目指していた「打倒洛南」を達成したのは主将を任された3年生でのインターハイ予選だった。しかも、100-55と圧倒しての勝利。本番ではその勢いのまま決勝まで駆け上がり、もう1つの大舞台・ウインターカップでもファイナリストとしてメインコートに立った。

岡田は3年生の時には主将を担い、インターハイでもウインターカップでも決勝の舞台に立った(撮影・朝日新聞社)

「夏と冬の決勝戦は今でもはっきり覚えています。相手は同じ福岡第一でした。前半15点リードしながら逆転負けした夏、その借りを返すつもりで臨んだ冬。ウインターカップは優勝できる自信があったんですよ。負ける気がしなかったんです」

しかし、結果はわずか3点差(78-81)で敗戦。

「悔しかったですね。やっぱりすごく悔しかった。だけど、なんていうか、その気持ちを引きずることはなかったです。試合を通して自分に足りないものが分かったし、これから身につけなくてはならないものも分かったから、よし、次に向かおうと。大学に向けて切り替えは早かったような気がします」

思えばそれが岡田の強さだろう。周りから「おまえ、メンタル強いなあ」と言われることも少なくない。が、本人によると「自分は特にメンタルが強いわけじゃなく、ただ頑固なだけ」らしい。自分が決心したことは曲げたくない。困難と思える道でも妥協はしたくない。「そういうとこ、ありますね。一度決めたら頑固なんです」。そう言って笑う屈託のない顔を見ていると、ついついこう言いたくもなる。「いや岡田さん、普通、人はそれを『メンタルの強いヤツ』と呼ぶんですよ」

大学を中退し、プロになるという決断

進んだ拓殖大学を2年生で中退してプロの道を選んだ時も、「自分の頑固な性格を知っているから両親は反対しませんでした」と言うが、周りのファンは驚いた。1年生の時から主力となり拓大を31年ぶりの関東リーグ優勝に導いた。2年生では新人戦優勝の立役者となり、U24日本代表としてアジアパシフィックユニバーシティバスケットボールチャレンジに出場。入学当初から一緒にチームを支えてきたゲイ・ドゥドゥがアメリカでプレーするためにチームを離れた後も、弱音を吐くことなく果敢にゴールに向かった。最後のリーグ戦(対白鷗大学)でマークした58得点という驚異的な数字は今も破られていない。

大学に残るかプロに進むか。岡田は「一番大事なもの」を考えて決断した ©B.LEAGUE

まさに誰もが認める大学界のトッププレーヤー。その岡田がまさか大学のコートを去ることになるとは……。もちろん、簡単な決断ではなかった。「拓大への愛着もあったし、しっかり大学を卒業したいという気持ちもあったし、自問自答しながら葛藤する時間は短くなかったです」。それでも最後にプロになる決意をしたのは、自分の中で一番大事なものはバスケだと思ったからだ。「だったらその大事なものを優先したい。自分が選手としてもっとステップアップするためには厳しくてもプロの世界に挑戦したいと思いました」

大学をやめ、シーホース三河のユニホームを着た岡田がプロ―デビューしたのは2018年11月。それ以降のめざましい活躍は冒頭に記した通りだ。

信州が好きだから、このチームで結果を出したい

正直に言えば、岡田にとって初めての日本代表の経験はほろ苦いものだった。出場したのは第1戦(11月27日)のみで、プレータイムはメンバーの中で最も短い7分、得点もフリースローの2点だけに終わった。「代表では求められるものが普段の自分のプレーとは違ってハンドラーではないポジションだったし、自分の苦手なところで勝負しなければならない難しさがありました。もう少し自分のプレーを出したかったというのはありますが、まあ、日本代表のそういった難しさを経験できたのは良かったと思っています」

22年2月にもまたアジア予選Windows2の大会があるが、そのメンバーに入れるかどうかは眼中にないという。「今はBリーグで1試合1試合全力で戦うことだけに集中しています。(熊谷)航さんは三河で1年一緒にやったこともあり、すごく自分を活(い)かしてくれるポイントガード。いつも伸び伸びやらせてもらっていますが、自分も信州のピック&ロールが好きなので、それをもっともっと向上させていきたいです。そのためにも飛ばせるパス、言い換えればパスを飛ばせる視野を広げたいですね。あとはディフェンス。航さんや(前田)怜緒に負けないディフェンス力を身につけるのが課題です。自分はこのチームが好きだし、このチームで結果を出したい。今はほんとにそれだけを考えています」

1試合1試合全力で戦い、信州を勝たせたい(写真提供・信州ブレイブウォリアーズ)

ウインターカップを戦う高校生へ「後悔しないように」

高校界のエースと言われた日から5年。「バスケットはやればやるほど奥が深くて難しい」と思う。「でも、難しいからこそ面白いんですね。そう思えるのは高校時代に培ってきたもののおかげだと思います。もうすぐウインターカップが始まりますが、出場する高校生たちには頑張ってほしいですね。自分がそうだったようにあの大会には勝ち負けを超えるものがあります。もちろん結果は大事ですが、それ以上に得られるものが必ずあるはずです。選手に送る言葉があるとしたら『後悔しないように』でしょうか。積極的に、でも、気負い過ぎず、悔いがないよう自分たちの力を出し切ってほしいと思います」

高校時代を振り返りながら、高校生たちにエールを送ってくれた岡田だが、その言葉はまた現在の岡田自身と重なるような気がする。定めた目標に向かって1戦1戦全力で戦い抜く。岡田侑大のマインドは次代のエースと呼ばれるようになった今も、高校時代と変わらず頑固で、熱く、まっすぐだ。(取材日・2021年12月7日、文・松原貴実)