井上は「自分の武器は3Pシュート」と言い切る ©︎JBA
サンロッカーズ渋谷の井上宗一郎(23)は、7月1日のFIBAバスケットボールワールドカップ2023 アジア地区予選Window3・オーストラリア代表戦で日本代表デビューを飾り、7月12日に開幕したFIBAアジアカップにも出場。17日のイラン代表戦では3ポイントシュートを4本すべて決めるなど、存在感を示した。「3ポイントは自分の得意なところだし、監督から求められているところでもあるので、このチームでしっかり生かしていけたらいいなと思ってます」。ゆっくりとそう紡ぐ言葉を聞きながら、ふと思い、たずねた。「プレッシャーを感じることはありますか?」と。
「日本代表はバスケを始めた頃からの夢でしたし、富樫さん(勇樹、千葉ジェッツ)や渡邊さん(雄太)などすごい人たちとバスケができて、いい経験ができていますが、あまり緊張や遠慮なんかはないですね。自分はそんなに期待されるような選手ではないと思ってるんで。(日本代表入りが)1回だけでまぐれだと思っている人もいるんで、慢心とかしてらんないです」
ホーバスHC「あなたは気持ちが強い」
6月6~12日には男子日本代表チームの強化を目的とした若手13人でのディベッロプメントキャンプが実施され、井上も参加した。トム・ホーバスヘッドコーチ(HC)からは正直に「君がどういう選手なのか分からない」と言われ、自分には何も失うものがないと気持ちを引き締めた。得意とする3ポイントシュートでアピールしながら迎えたキャンプ最終日、井上はふくらはぎを肉離れしてしまう。続くアジア地区予選Window3に呼ばれないだろうと落胆していた井上に、ホーバスHCは「あなたは気持ちが強いから、もっとバスケやりたいでしょ?」と声をかけてくれたという。
井上は前を向き、スタッフの手厚いケアを受けながら、アジア地区予選Window3の前に戦線に復帰した。日本代表デビュー戦となったオーストラリア戦では11分のプレータイムを獲得。3日のチャイニーズ・タイペイ代表戦ではプレータイムを19分に伸ばし、3本の3ポイントシュートを含む14得点、6リバウンド2ブロックを記録している。
続くFIBAアジアカップはベストコンディションで迎えられた。日本は予選ラウンド最終戦でイランに敗れたものの、予選グループCを2位で通過。準々決勝でオーストラリアに敗れてベスト8で大会を終えた。そして8月には13、14日にイランと国際強化試合・SoftBank カップ(仙台)がある。
「リバウンドや3ポイントもだけど、ディフェンスの面でもうちょっと頑張りたいです。トムさんからは折あるごとにディフェンスのアドバイスをもらっていますし、自分でもまだまだだなって。イラン戦は前回と同じ結果にならないようにしっかり勝って、アジア地区予選Window4(8月22~30日)につなげていきたいです」
強豪・福岡大大濠で常にライバルに挑む日々
ホーバスHCが言う「気持ちの強さ」はどう養われたのか。井上は少し考え、「高校時代の経験が大きかったと思います」と言った。
井上は小さい頃、友人に誘われてテニスからサッカーに変え、そして友人に誘われて小4でミニバスを始めた。東京都大会に出られるようなレベルではなく、バスケが楽しかったわけでもない。だが、現在身長201cmの井上は当時から背が高かったこともあり、自分に有利なスポーツとしてバスケを選び、梅丘中学校(東京)でもバスケ部に入った。「バスケをするのが当たり前というか、習慣みたいになってました」と当時を振り返る。
バスケ部でともに戦った仲間には、相原アレクサンダー学(現・香川ファイブアローズ)や塚本舞生(現・湘南ユナイテッドBC)がおり、特に八村阿蓮(現・群馬クレインサンダーズ)は3年間クラスも一緒だった。その4人は今もオフの時には集まって一緒にバスケをしたり、オンラインゲームをしたりと、交流が続いている。
高校は地元・東京を離れ、福岡大大濠高校へ。強豪校のバスケは自分が知っているバスケではなく、日々の練習から自分が知らない単語やプレーが飛び交っていた。「バスケを始めた時からなんとなく日本代表になりたいな、という気持ちはあったんですが、夢と目標は違うじゃないですか。当時は夢でしかなかった。それよりも目の前の練習、試合。先輩たちがいる中でどうやって試合に出るか、最初の1年はひたすら勉強でした」。試合に出れば、センターの自分の対戦相手は、自分よりもさらに体が大きい留学生だ。「気持ちの面で負けていたら何もできない。そういう意味で、ライバルがいたことは大きかったと思う」と振り返る。
学生時代はチーム事情でセンターを任されてきたが、井上自身はパワーフォワードを希望していたという。中学の時から1人で3ポイントシュートの練習をし、高校では片峯聡太監督にシュートを教えてもらうこともあった。その時、シュートの楽しさを改めて実感したという。片峯監督は卒業後も見守ってくれており、FIBAアジアカップ後にも「次も頑張れ」と励ましてくれた。「いい時だけじゃなくて、嫌な負け方をした時も電話をしてくださって、ありがたいなと思っています」と、井上は照れくさそうに明かした。
インカレは先輩のために戦い、父を思い戦った
2学年上の牧隼利(現・琉球ゴールデンキングス)と増田啓介(現・川崎ブレイブサンダース)を追うように、井上も筑波大学に進んだ。最初は高校バスケと大学バスケの違いを感じたが、その中でもポストアップやインサイドの部分など自分にできることを練習からアピールし、1年生の時から試合に出場。2年生の時にはインカレで3年ぶり5度目の優勝を飾っている。「牧さんと増田さんを優勝させたい、最後こそは牧さんを日本一のキャプテンとして送り出したいと思っていたので、このインカレ優勝は大学4年間の中でも一番うれしかったです」
そして自身最後のインカレは、父への思いを胸に舞台に立った。父はインカレに続くリーグ戦開幕前に、亡くなった。
両親はバスケ経験者ではなかったが、一人っ子の井上をミニバスの頃から会場で応援してくれ、福岡大大濠の試合にもほぼ毎回、東京から駆けつけてくれていた。大学でも変わらず自然と部の輪に加わり、父は試合の応援だけでなく、部のみんなに会えることを楽しみにしていたという。父が亡くなってからは毎日、父のことを思い、母を支えた。チームメートも父と親しかっただけに、井上にどう声をかけていいのか悩んでいたという。
迎えた最後のインカレ、準々決勝で春の関東選手権覇者の日本大学にあたり、44-58と14点差をつけられ、第4クオーターを迎えた。井上自身、気持ちが切れそうだった。だが二上耀(ひかる、現・千葉ジェッツ)の連続得点で筑波大は追い上げ、62-65、残り20秒を切ったところで井上にボールが渡った。起死回生の3ポイントシュート。ボールはリングに当たり、ポンッと高く舞い上がる。「あぁ、終わった」と井上も思ったそのボールは、リングに吸い込まれた。
試合は2度の延長戦を経て、81-78で筑波大が勝利。「あのシュートは入らないシュートだった。お父さんの力だったのかな」と井上は思わずにはいられなかった。準決勝で白鷗大学に敗れたが、大学バスケ最後となった3位決定戦は専修大学に勝って終えた。
「人生で一番自信を持ってシュートを打てている」
インカレが終わってすぐに、井上はサンロッカーズ渋谷とプロ契約を締結。盛實海翔や西野曜などの若手に対し、木下博之アシスタントコーチを中心にして育成に力を入れていることに魅力を感じ、東京都出身者としても地元のクラブに対する愛着があった。「東京だったらお母さんが応援に来られる」というのも理由だ。デビュー戦となった1月26日の京都ハンナリーズ戦では11得点をあげたものの、「でもあの試合くらいしか全然活躍できなかったので、シーズンを通して見ると自分の思うようにいかなかった」と振り返る。
プロになってから、希望通りのパワーフォワードにポジションを変更。日本代表を見てみると、渡邊や八村塁などとの争いになるが、「世界に目を移すと活躍している若手選手も多いので、もっと自分も頑張らないといけないなと思っています」と、偉大な先輩たちの姿に学び、挑んでいくつもりだ。
日本代表として戦う試合が増えるにつれ、Bリーグ2022-23シーズンの活躍を期待する声も増えていく。それでも井上は「僕はあまり期待されていると思ってないし、外国籍の選手もいる中でプレータイムを勝ちとらないといけない。期待されていない分、見返してやろうと思ってやってます」と、淡々と口にする。だがその一方で、「人生で一番自信を持ってシュートを打てている」と言い切る。
日大戦のあの3ポイントシュートは、もしかしたらお父さんが後押ししてくれたのかもしれない。でも今は、お父さんも安心して見守ってくれるような3ポイントシュートで、もっともっと多くの人々を魅了していきたい。(文・松永早弥香)