スポーツ一家で育ったENEOSの司令塔・宮崎は「すごく負けず嫌い」©W LEAGUE
チームは皇后杯で歴代最多の9連覇中。10連覇がかかる今大会に話が及ぶと、ENEOSサンフラワーズのポイントガード(PG)宮崎早織(27)は「2週間ぐらい前から、緊張してます」と口にした。ただ、表情は神妙ではなく、むしろ楽しみなようにも見えた。「優勝するイメージと、自分が大活躍するイメージをずっと持ちながら、日々過ごしています」
水泳をやめるため、バスケットボールへ
「すごく負けず嫌い」。宮崎は自身の性格をそう評する。
埼玉県川越市出身の宮崎は小学校2年生のとき、五つ年上の姉・優子さんの影響で、競技を始めた。理由は決して前向きなものとは言えず、当時習っていた水泳をやめるためだったと振り返る。「バスケットも水泳も火曜日にあって、水泳に行きたくなくて。『これでバスケットを始めたら、水泳をやめられる!』と思って、お母さんにお願いしたんです」
父は学生時代に野球、母はハンドボールをしていた。スポーツ一家で、姉は子どもの頃にバスケットボールとサッカーと水泳、兄でサッカー選手の泰右さんはサッカーと野球、妹でボートレーサーの安奈さんはバスケットボールと柔道、水泳を習っていた。ただ本人は「水の中は無理でした。今でも泳げないです」。
小2でミニバスのチームに入ると、最初からコーチに対し「試合に出たい」とアピールしていた。しかし、いざ出場してみると、コートの真ん中で何もできずに泣いていた。その後は相手からボールを奪ったり、どの選手よりも得点を挙げたり、誰よりも速くドリブルできたりすることに、楽しみを見いだせるようになった。主力として、関東大会にも出場した。
体力強化の中学、体系的に学んだ高校時代
中学は「毎日練習できる」という理由から、さいたま市立与野東中へ。当時は「持久走とかタイム走とか、バスケットというより、走った思い出しかないです」。この頃、指導していた原田学さん(現・星槎国際湘南高校監督)は宮崎について「体は小さかったけど、スピード、ボールのハンドリング、パスは抜群にうまかった」と回顧する。2年秋のとき、県の新人大会で優勝。当時、最も身長が高い選手は160cmほどで、出場している選手はとにかく動き回った。試合中ずっとオールコートプレスで臨んだこともあった。
姉が東京成徳大学高校の一員として出場しているウインターカップを観戦したとき、宮崎の目に留まった高校が、愛媛の聖カタリナ学園だった。「カタリナも小さかったんですけど、それでも全国で3位になっているチームを見て、『行ってみたいなあ』と思ったんです」。初めて親元を離れることになったが、ホームシックにはならなかった。むしろ「今までやったことのない練習ばかりだったので、それが難しかった」。体の動き、足の運び方、戦術、フォーメーションと、覚えることが格段に増えた。「バスケって自分で好き勝手にできるものではなくて、5人が一体となってやらなきゃいけないスポーツなんだなと、改めて感じました」
勝ち続ける大変さ、そのために必要な姿勢
底なしの体力を身につけたのが中学時代なら、バスケを体系的に学べたのが高校時代だった。そして卒業後に進んだENEOS(当時・JX-ENEOS)では、先輩たちから勝ち続ける大変さや、そのために必要な姿勢を学んだ。ミニバスの頃から憧れていた吉田亜沙美とチームメートになり、「吉田さんは誰よりもボールを大事にしますし、誰よりも声を出します。気分が上がっていても、下がっていても、関係なくできることを誰よりもやっていた。こういう姿勢だからこそ信頼されて、ずっと試合に出られるんだなと感じました」。たとえばシュートが入らなくても、リバウンドには向かえるし、ディフェンスも頑張れる。自分の好不調に関係なく、その局面でできることをやり続ける先輩の姿を、宮崎は目に焼き付けた。
Wリーグは2008~18年度の11連続を含む、22度の優勝。26度の優勝を誇る皇后杯は、歴代最多の9連覇中だ。観戦する側としては「競ってくれた方が面白い」と見る向きもあるだろう。実際、勝ち続ける大変さは、中にいる者にしか分からない。宮崎は言う。「練習からすごく緊張感がありますし、一つのルーズボールに対する反応だったり、ディフェンスの練習だったり、目の前の1戦に向けて、みんなが集中してやっています」
代表では激しいポジション争い
銀メダルを獲得して、世界中を驚かせた昨年の東京オリンピック。トム・ホーバス監督が率いたチームで、宮崎は控えだった。ただ今年、オーストラリアで開催されたワールドカップは、恩塚亨監督のもと、主力に。チームは1勝4敗で1次リーグ敗退。悔しい結果となった。「オリンピックは銀メダルでうれしい反面、もどかしいというか、主力ではないので、悔しい気持ちもすごく大きかった。その悔しさをワールドカップで少しは晴らせたのかな。まだまだ自分が勝利に導ける選手ではなかったということは悔しいですけど、個人的には世界に通用するところが一つや二つあったんじゃないかと思えました」
2人の代表監督は、タイプも異なる。ホーバス監督は「私が『もう無理』と思っていても、『僕はもっとできると思う』と答えてくれる」と、選手たち以上に選手のことを信頼する。一方で恩塚監督はスイッチディフェンスをされたときなど、相手の仕掛けに対する動きを事前にすべて頭の中に入れ、システマティックなバスケをめざす。2人の監督の違いを理解し、宮崎はさらなるキャリアアップにつなげている。
代表の中でも、PGは競争が激しいポジションだ。宮崎の他、東京オリンピックのスターターで今季はWNBAのミスティックスでもプレーした町田瑠唯(富士通)、トヨタ自動車の後、ドイツやイタリアでプレーする安間志織と、国内を離れて実力をつける例も出てきた。「他のポジションに比べたら、争奪戦はすごいですけど、気にしないようにしています。気にすると、自分のパフォーマンスがうまくいかないということをオリンピックのときに感じました。高め合える仲間たちに『負けたくない』という気持ちはありますけど、争えること自体が楽しいです」と宮崎。ポジション争いがチーム全体の底上げとなり、さらには自分のレベルアップにつながると分かっている。
個人的に満足できなかった昨年の分もぶつける
前述の通り、皇后杯は前人未到の10連覇がかかる。Wリーグの期間中に行われ、コンディションを合わせる難しさ、トーナメント一発勝負の怖さをもちろん分かっている。宮崎は前々回の大会で大活躍したが、昨年の前回大会は直前に足の捻挫から戻ってきたばかりということもあり、個人的には満足できる成績ではなかった。今大会は、昨年味わった悔しさをぶつけるつもりだ。(文・井上翔太)