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理学療法士の知見からパラアスリートを支える道【首都大学東京・准教授(理学療法士)信太奈美】

東京2020大会が迫り、パラリンピック競技への関心も徐々に高まりを見せています。中でも車いすバスケットボール(以下車いすバスケ)は1960年の初回開催からの夏季公式種目である花形競技。脊髄(せきずい)損傷や下肢欠損の選手たちが車いすを用いて一般のバスケットボールとほぼ同じルールで戦います。そのスピーディーで激しい試合に魅せられ理学療法士となり、パラスポーツ黎明(れいめい)期からサポートを続けてきたひとりの女性がいます。現在は大学で准教授として理学療法を指導しながら、障がい者スポーツ推進に熱く情熱を注ぐ、信太(しだ)奈美さんにお話をうかがいました。

きっかけは足を切断した少年がスポーツをする姿

信太さんが理学療法士を目指そうと思い立ったのは高校時代。バスケの推薦枠で強豪校に入学。実業団を目指しながらも膝(ひざ)の故障に泣き、選手としての自分の将来に不安を感じていた時だったと振り返ります。

「偶然見かけた、車いすバスケの試合に目を奪われたんです。障がいがあってもあんなにも迫力ある試合ができるのかと。こんなに面白いスポーツはないと興奮しました。また足を切断した少年がスポーツをする番組を見たのも大きなきっかけとなりました。彼を支えていた理学療法士を見て、私もこの仕事をやってみたいと。そこからは選手ではなく、理学療法士になる道を目指しました」

理学療法士は、病気や事故などで身体に障がいの発生が予測される人に対して運動療法や物理療法を用いて運動機能の回復や維持を支援する仕事です。事故などで中途障がいを負った場合は心理的回復に時間がかかることもあり、心にも寄り添うためPT(Physical Therapist)とも呼ばれています。国家資格であり、養成校で3年以上学ぶことで受験資格が得られます。資格取得後は病院やリハビリ施設、介護保険関連施設などで勤務したり、近年ではアスリートのサポートチームの一員として尽力するケースも増えています。

練習後は選手の疲労回復を助けたり、コンディションを高めるためにマッサージを施術することも。※写真はご本人提供

「私の場合は3年制の短大を卒業して23歳で資格を取り、リハビリテーションセンターに9年間勤務しました。当時、理学療法士の就職先は病院や施設が中心でした。車いすバスケチームのお手伝いは学生時代からしていましたが、就職後は先輩方から障がい者の機能回復としてのスポーツ活動について学ぶ機会もあり、理学療法士のスキルを生かしたサポートを心がけていました」

心が震えたジュニアの車いすバスケ大会帯同

リハビリ施設時代の信太さんは、施設内の車いすバスケチームをボランティアスタッフとして精力的にサポートしました。週3日、勤務後に疲れた身体で体育館へと向かいます。そこで選手たちの身体をメンテナンスしたり、リスク管理に留意したり。車いすの背もたれに背中が密着してできる褥瘡(じょくそう)対策や、発汗障害で汗をかけない選手の体温調整など、必要に応じて指導もします。スタッフは少数精鋭。練習中のボール拾いから試合遠征時の帯同までこなしてきました。

「いろいろな場面でさまざまな刺激を受けて、私自身も大きく成長させてもらいました。中でも思い出深いのは、2005年の『U23ジュニア世界選手権』でサポートしていたチームが初めて2位入賞したことでしょうか。当時は車いすバスケ選手の次世代育成にも携っていました。

一方で、所属していたチームは日本選手権での勝利を目指して頑張っていました。しかし、こちらも毎年大会途中で惜しくも敗退。“ああ、今年もだめだったか”と悔しく思いながらも“また来年に向けて頑張ろう”とみんなで顔を上げていたあの時期がいちばん心が震えるというか、感じるものがありましたね」

支援していたチームが全国選抜大会で入賞(信太先生は後列左から2人目)。 ※写真はご本人提供

やがてさまざまな障がい者スポーツの競技団体からも協力を求められるようになり、その中で突き当たったのが“なぜ日本はこんなにも障がい者スポーツが浸透しにくいのだろう”という厚い壁。そこでスポーツマネジメントについて学ぼうと夜間の社会人大学院へ進学をします。大学院修了後は、活動の場をさらに拡大するべくリハビリ施設を退職して、現職への転身を果たしたのです。

「健常者が運動を身近に感じられるように、障がいのある人たちにも運動を身近に感じてほしい思いがありました。今までとは違う関わり方をすることで運動を気軽に楽しめる社会を目指そうと、新たな一歩を踏み出しました」

介護予防としてのスポーツと理学療法士の未来

信太さんが大学教員となって今年で13年。東京2020大会が決まってからは、障がい者スポーツに対する世の中の風向きが徐々に変わってきたのを感じていると語ります。

「ずっと“いつまでそんなことやってるの”と言われ続けてきました。でも、そんな無理解もだいぶ変わったように思います。パラアスリートが行う高度競技に対する理解は深まりましたし、パラでも観客が集まる人気競技が出てきました。しかしその一方で、重度の障がいをもつ人や高齢の方など“誰もが日常的に運動を楽しめる社会”には、まだあまりなっていないなというのが率直な感想です。

そんな中、今や10万人を超す※私たち理学療法士は何ができるのか、立ち止まって考えてみることがあります。近年“予防”という観点での介護領域の仕事や、アスリート支援によるスポーツとの関わりが注目されるようになっています。人生100年時代に向けて健康寿命を伸ばしたいニーズがある今、身近に楽しく運動を取り入れるための提案がもっとできたらいいなと考えています。

たとえば片麻痺や高齢者の方にはゴルフの動きがすごく適しているので、打ちっ放しやターゲットバードゴルフ(ミニゴルフの一種)をやってみるとか。介護施設のデイサービスだけではなく、みんなが集まりやすいパブコミュニティーをつくってみるなど。高齢の方にはスポーツ観戦による興奮やドキドキ感のような刺激も必要なのではないかと捉えています」

※2019年3月末現在の(公)日本理学療法士協会の会員数は12万人弱

“へたくそ”とヤジれるくらい普通になればいい

「いろいろなことをもっと身近に、もっと普通にと願うものの、私たちはどうしても排他的で、知らないものには近寄りたくない気持ちをもっています。介護や障がい者の支援も同じです。みんな“声をかけていいのかな。だめなのかな”と、つい遠巻きに見てしまう。でも自分が関わらなくとも介護している人やされている人、障がいのある人が身近にいたら“ああ、こういう場合はこんなことが必要なんだ”と、正しい関わり方を知る機会をもつことができます。まずは身近であることが大切だと思うのです。

障がい者スポーツの場合は、まだ見に行った人が気軽にヤジれる状況ではないですよね。なにかこう拍手してうなづきながら“よし!”みたいな。そこをヤジれるくらいになると堅苦しさが一気に払拭されて、ごくあたりまえの普通の光景になるのだと思います。

そもそもスポーツはルールで決められた“できない”を楽しむものです。バレーボールはボールを落としてはいけないし、ラグビーはボールを前には運べません。制約があることで試合の面白さが増すのです。ブラインドサッカーの場合は“見ることができない”のでゴーグルをつけます。スイカ割りも同じですが、目隠しすることで面白さが出ますよね。それと同じなんです。障がい者スポーツはルールが工夫されているので、障がい者スポーツの戦略性の高さも観戦の醍醐味のひとつです。新しい楽しみとして、過剰なマイナス感もプラス感もなく、ごく身近な普通のものとして受け入れられる日が来ることを心待ちにしています」

取材協力:町亞聖)

しだ・なみ/埼玉総合リハビリテーションセンター勤務を経て、現職は首都大学東京 健康福祉学部 理学療法学科で教鞭をとる。学生時代から障がい者スポーツに携り、ジュニア育成や国際大会などでの帯同経験をもつ。日本パラリンピック委員会医・科学・情報サポート委員、日本理学療法士協会2020スポーツ理学療法レガシー検討委員、公益財団法人日本障がい者スポーツ協会 障がい者スポーツコーチ。

本プロジェクトは介護のしごと魅力発信等事業(福祉・介護に対する世代横断的理解促進事業)として実施しています。(実施主体:朝日新聞社・厚生労働省補助事業)

介護のしごとの魅力を多面的に知る!朝日新聞のKAI-Go!プロジェクト