大学アメフト

特集:第73回ライスボウル

甲子園でかなった関学・前田家の夢、ライスボウルも兄がブロックし、弟が走る

第73回ライスボウル
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第74回甲子園ボウル
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甲子園ボウルの試合後、前田家のみなさんが集まってくれた(撮影・松尾誠悟)

アメフト全日本大学選手権決勝・第74回甲子園ボウル

1215日@阪神甲子園球場
関西学院大(西日本代表、関西2位)38-28 早稲田大(東日本代表、関東)

アメフトの学生日本一を決める甲子園ボウルは関西学院大が早稲田大を下し、2年連続30度目の学生日本一に輝きました。この試合で関学のオフェンスでプレーする兄弟が同時に聖地のフィールドに立ち、タッチダウン(TD)を決めた弟を兄が祝福する瞬間がありました。兄はWR(ワイドレシーバー)の前田広人(ひろひと、4年、啓明学院)、弟はRB(ランニングバック)の前田公昭(きみあき、2年、関西学院)です。 

後半最初のプレーで弟がタッチダウン

20-14で迎えた第3クオーター(Q)、後半最初の関学オフェンスは敵陣42ydからと絶好のフィールドポジション。最初のプレー。兄は右に2人出たレシーバーの内側にセットした。早稲田のDL1人がプレーに加わるのが遅れたこともあり、ボールを託された弟は難なく中央付近で第一線を抜けた。兄は弟を走らせるためにブロックへ向かう。弟は約15ydゲインしたところで、左へカットバック。最後は左のサイドライン際を駆け上がり、エンドゾーンに倒れ込んだ。タッチダウンだ。

タッチダウンを喜び合う関学の前田兄弟(26番が弟、背中の9番が兄、撮影・安本夏望)

喜ぶ弟のところへ、兄は3番目に駆け寄った。まず右手で弟のヘルメットをポンとたたき、何か声をかけて、離れ際に左手でまたポンとやった。サイドラインへ戻るとき、兄は弟の帰りを待ち、笑顔で肩を組んだ。彼らが喜び合うシーンが甲子園のオーロラビジョンに映ると、青に染まった関学側のアルプススタンドが沸いた。勝ったあと、兄は「親に恩返しができたと思う。弟にも『ありがとう』ですね」。弟は「中高は違う学校だったので、親に最高の舞台で一緒にアメフトしてるところを見せられてよかった」と言った。兄弟の願いであった両親への恩返しを、最高の舞台でなしとげた。 

弟(奥の26番)がタッチダウンしたあと、サイドラインに戻ってくるのを待つ兄(手前の9番、撮影・松尾誠悟)

もともと兄はサッカー少年だった。幼いころの夢はサッカーの日本代表になること。小学校のサッカー部に入り、放課後はサッカー漬けの毎日。ある日、父の朗弘さんに連れられて兵庫県内の小学生が対象のフットボールスクール「上ヶ原ブルーナイツ」の体験会に行った。関学ファイターズが立ち上げたスクールだ。その練習が楽しくて、サッカーと両立しながらアメフトを始めた。「初めはサッカーに仲いい子がおったから嫌やったけど、行くたびにおもろいなって思ってきたんです」。弟も兄と一緒にブルーナイツに入ったが、兄は高学年、弟は低学年だったため、一緒には練習できなかった。兄は関学の中学部を目指したが、中学受験に失敗。公立に行って、高校で関学を受験し直すことも考えた。だが、ブルーナイツの仲間から電話で「啓明で一緒にアメフトやろうや」と誘われ、合格していた啓明学院に入った。弟は初等部からの関学育ちだ。 

父は本当はアメフトをやりたかった

兄は高3のときにキャプテンを務め、秋は立命館守山に負けて引退。系列校である関学への進学が決まっていたが、ファイターズで選手をするか、母校のコーチをするかで迷っていた。軽い気持ちで、母の眞奈美さんに相談した。すると「なんでここまでアメフトさせてもらえてるか分かる?」と母は話し始めた。兄がそのときを振り返る。「父が関学高等部でアメフトをやりたかったけど、貧しくてできなかったこと。お金を借りて大学へ行ったけど、アメフトをする余裕がなかったこと。そのこともあって、俺らは不自由なく学校に行かせてもらい、アメフトの用具を買ってもらえてたと聞きました」。それまで漠然と知ってはいたが、初めてしっかりと母の口から聞かされた。4回生になったいまでも、父から直接聞いたことはない。でも母から聞いたときに「選手として続けて家族の分まで頑張らないと、って思えた」と、兄は言う。 

タッチダウンのあと、兄(左)と弟が一緒に戻ってきた(撮影・松尾誠悟)

大学ではけがにも悩まされ、高校ほど目立った活躍はできずにいる。いまはパスを受けるWRではあるが、パスターゲットになることはまずなく、ほとんどがブロッカーだ。121日、西日本代表決定戦の前日。4回生と鳥内秀晃監督との前泊先に向かう前に、家をきれいに掃除し、両親に「いままでありがとう」と感謝を伝えた。両親は泣いた。「育ててくれた親に『何や、あのプレー』って思われんように、いままでやってきたことを全力でやろうと思った」。西日本代表決定戦と甲子園ボウルの2試合、出番はわずかだったが、渾身のブロックを打った。立命にリベンジしたときは、感極まって涙が出た。「目の前の1プレー、1プレーに気持ちを込められた」。もともと思い描いていた4年間とは、だいぶ違った。それでもいま、任された数少ない役割に、兄は魂を込める。 

「親にしてもらったこと、自分の子にしてあげたい」

「一つ恩返しができたと思う」「親への恩返しになったかな」。試合後、前田兄弟はほぼ同じ言葉を口にした。家に帰れば母がつくってくれたあったかい料理が並び、父は「要るもんないか?」とアメフトの用具を買いそろえてくれた。そして両親は、二人の試合を欠かさず応援してくれた。兄は来春から大手の金融機関に就職する。大手商社で働くことにも惹(ひ)かれたが、あえて父と同じ業種を選んだ。「自分が親からしてもらったことを、自分が家庭を持ったときに子どもにしてあげたい」。兄はそう言って、照れた。「最後の年に兄弟そろって日本一」。前田家の夢が、甲子園でかなった。

 新年1月3日のライスボウルが、兄弟そろってのラストゲームになる。相手は社会人Xリーグで4連覇を果たした富士通フロンティアーズ。「相手は格上だけど、俺の生きざまを見せつけたい」。兄はこれまでのフットボール人生に感謝し、全身全霊で相手をブロックしにいく。その後ろを、弟が走る。

相手をブロックに向かう兄(撮影・松尾誠悟)