アメフト

特集:第73回ライスボウル

ラストゲームを終えた関学・鳥内秀晃監督へ 教え子の新聞記者からの手紙

ライスボウルの試合後、選手たちに語りかける(撮影・安本夏望)

アメフト日本選手権・第73回ライスボウル

1月3日@東京ドーム
関西学院大(学生)14-38 富士通(社会人Xリーグ)

アメフトの日本一を決めるライスボウルがあり、学生代表の関西学院大は社会人Xリーグ代表の富士通に敗れた。今シーズン限りでの退任を表明している鳥内秀晃監督(61)にとって、これが28年間の監督人生のラストゲームとなった。1998年から4年間、関学の選手として、社会人になってからは取材者として鳥内監督と向き合ってきた朝日新聞スポーツ部の榊原一生記者(40)が、恩師への思いを手紙につづった。 

突き放すような言葉は愛情の裏返し

鳥内監督へ 

大舞台で躍動する学生たちの姿を、どんな思いで見つめていたのでしょうか。 

監督は昨年2月の退任発表でこう言われました。「監督が最後やからって頑張るんはおかしい」と。そうやっていつも学生を突き放していますが、愛情の裏返しであることはみんなが知っています。 

監督はこうも言われました。「指導してておもろいのは、目標を達成したときの顔をみることや」と。今シーズン、学生たちはリーグ最終戦で立命館大学に敗れ、厳しい日程での2試合を勝ち抜き、立命にリベンジを果たしました。立命との再戦前に「お前らにはまだ(チームカラーの)青い血が流れてへん」と叱咤(しった)されたそうですね。ライスボウルは残念でしたが、後輩たちは学生フットボールの頂にたどり着きました。どうでしたか? 目の前に広がった選手たちの笑顔は。 

私は現役時代、甲子園ボウルの舞台に3度立ちました。決戦前になると監督は決まって「俺は明日、墓参りに行ってくる」と話していたのを覚えています。大一番の前の「儀式」ということは理解していました。 

タイトエンド兼パンターとして活躍、4回生のときはライスボウルの勝利にも貢献した榊原記者(撮影・朝日新聞社)

ただ卒業から17年たって、指導の原点がそこにあるのでは、と考えたのです。かつて関学の監督だったお父様の昭人さんも眠る京都へ、去年の11月のお墓参りにご一緒させてもらったのは、そのためです。 

住宅街の中のこぢんまりとした墓地に鳥内家の墓はありました。ここを毎月訪れ、決戦前にも足を運び、墓石を布で磨きあげながら線香とろうそくを立てて、拝む。「これが試合前のルーティンや」。私がほうきを手に手伝おうとしたら「拝んでくれたらそれでええ」。私は墓前に手を合わせながら、監督が常に勝利を求められるチームの伝統を重んじてきたのは、代々続く鳥内家を大切にしてきたことと決して無縁ではない、と思ったのです。

退任のニュースを書こうとする私に「あかん」

「書いたらあかん」。そう声を荒らげられたこともありました。去年の2月、監督がやめるらしいと関係者から聞き、私は急いで上ケ原を訪れました。「何しに来てん?」。そう言う監督に直球で聞きました。「今シーズンでやめるんですか?」 

「そや」。意外とあっさり認めてくれました。でも、もっと印象が深かったのはそのあとです。このチームのOBでありアメフト担当記者である私が、このニュースを他社に先に書かれることは許されません。書かせてほしいとお願いすると、答えは「ノー」。監督は「こっち(関西)には(自分のことを)よく思ってくれている人たちがようさんおる。裏切られへんやろ」。そう言って、在阪の報道陣から還暦を祝ってもらったときの写真を、うれしそうに見せてくれました。 

メディアに対してもそのつながりや信頼、人情を大切にする人柄に心打たれました。結局、発表されるまで書きませんでした。今回は、それでよかったと思ってます。 

甲子園ボウルの試合前、フィールドを見つめる鳥内監督(撮影・北川直樹)

おととし5月の日大との定期戦で起きた反則問題では、監督の指導法がクローズアップされました。その最たるものが、上から目線の指導を改めてから約20年続けてきた最上級生との個人面談でした。 

「目標はどこやねん」「そのために何をすんねん」。究極的には「どんな男になんねん」。私は2001年の監督との面談を録音したカセットテープを聞き直しました。そこでの返事のほとんどは「はい」「分かります」「やります」。自分の思いを表現しきれない、なんと情けない21歳だったことか。 

18年ぶりの個人面談

そして去年11月、鳥内家の墓地に向かう車中での往復約2時間は、私にとって18年ぶりの個人面談のようでした。 

「何が聞きたいねん」。監督はそう言いながら、教員免許をとった際に教育現場を目の当たりにして、自身の指導が間違いではないと確信したこと、2003年の夏合宿で選手が練習中に亡くなったことへの後悔、そしていまも月命日には必ずその選手宅を訪れていることなどを語ってくれました。仕事とはいえ、監督と長時間話せたことは、ほとんど言い返せなかった学生時代と比べて大きな成長だと思いました。 

甲子園ボウルの試合後、学生たちと記念写真に収まる鳥内監督(撮影・北川直樹)

最後に私は監督に尋ねました。「関学以外にも『その人間教育を続けてほしい』というチームはあるはずです。やめた後はどうするんですか?」。監督は言いました。「手伝えというところがあれば手伝う。けど、何でそんな心配すんねん」。退任後を気づかっているのはきっと、私だけではありません。監督をよく知る人たちはみんな、心配しています。 

コーチ陣はほとんど大学職員として雇われ、生活が保障されていますが、監督は職員ではありません。部の強化費からある程度の報酬は出ていますが、それもここ10年ほどの話です。学生日本一のチームの監督としては、決して恵まれてはいない環境で、28年の監督業を続けられました。家業の製麺業もたたむと聞いてます。そりゃ、心配にもなるでしょう。 

「どんな男になんねん」を再び

身につけるものすべて、チームカラーの青にこだわってきた監督ですから、次に指導するチームのカラーはライバルの赤(日大)やエンジ(立命大)、緑(京大)ではダメなんでしょうね。でも青が基調のチームはたくさんあります。 

余計なお世話かもしれません。少しゆっくりされたら、もういちど学生たちにその教えを説かれてはどうですか? そして面談では、こう問い続けてください。 

「どんな男になんねん」 

また、話を聞かせてください。監督と出会い、監督のあたたかい指導の下でフットボールができた私は、幸せ者です。(朝日新聞スポーツ部・榊原一生)

甲子園ボウルの前夜は4回生と前泊し、ともにバスで会場入り。握手で送り出す(撮影・安本夏望)