レスリング

特集:駆け抜けた4years. 2020

青山学院大レスリング・小西央記 真摯さと思いやりを貫き、新たな旅立ちへ

駆け抜けた4years. 2020
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苦しい環境の中、小西(上)は自分の役割を全うした(すべて撮影・長尾凜)

時をさかのぼること4年前、6人の若きレスラーが青山学院大の門を叩いた。中学史上初の全国6冠や世界カデット選手権3連覇の加賀田葵夏(きか、4年、文化学園大杉並)、インターハイで2度の頂点に輝き全国高校選抜連覇の成國大志(4年、いなべ総合学園)、JOC杯カデットの部を連覇し国民体育大会少年の部王者の藤井達哉(4年、栗東)。そんな名だたるメンバーの中に彼、小西央記(おうき、4年、高松農業)はいた。

満足のいく成績は残せなかった4年間

キッズレスリングを経験している他の同期とは異なり、小西は中学で柔道を始め、高校からレスリングに転向した。柔道からレスリングへのルートは珍しくないが、少なからず難しさもある。小西の場合、幼いころからレスリングをやっている選手とは経験値からくる差を感じていた。

「ちびっこからやってる人に技術や感覚では勝てない。それをカバーするのは体力と力だと思った」と、持ち味であるパワーや、柔道の経験を生かした投げ技を強化した。しかし、なかなか結果には表れなかった。

小西(下)は柔道の経験を生かし、投げ技を強化して戦ってきた

青学の長谷川恒平監督は小西について、「もともとの真面目さ、ひたむきに練習に取り組む姿勢はあったんですけど、試合になるといままで勝てなかったという自信のなさが出てしまう。練習は強いのに、それが試合に生かしきれなかった」と話した。

実力をつけ、着実にレベルアップはしていたものの、大学では東日本学生3位、インカレベスト8が最高。4年間で満足のいく成績は残せなかった。

最上級生となった小西の気配り

レスリングは試合時間が短く、減量もある競技がゆえに、結果が残せないとモチベーションを保つのが難しい。ほとんどの大会がトーナメント方式のため、勝ち進めば試合数を重ねられるが、負けてしまえばそれっきり。きつい練習や減量をこなして試合に臨んでも、何もできずにわずか数十秒で大会が終わってしまうこともある。

小西の大学最後の試合となった昨年10月の全日本大学グレコローマン選手権でも、初戦で強豪と顔を合わせ、1分半でテクニカルフォール負けを喫した。

昨年10月の全日本大学グレコローマン選手権初戦、小西(奥)は無得点のまま、Tフォール負けに終わった

振り返ると小西はこの4年間、真摯にレスリングと向き合ってきた。真面目に黙々と練習に取り組む姿を見ていた長谷川監督は、「そういった姿勢はスポーツをする上で非常に大事なこと。それを後輩たちが見て、同じように成長してほしいと思っていた」と話す。

高校時代も決して有名な選手ではなかった。それでも青学で練習を重ね、大学チャンピオンと互角以上に渡り合うほどの実力をつけた。それは本人の努力あってのものに他ならない。その背中を見てきた後輩たちに残したものは大きいだろう。

とくにラストイヤーは自分のことだけではなく、最上級生としてチームのことも考えていかなければならかった。日本のトップレベルで戦う同期たちの中で、小西は自分にできることを模索した。チームをまとめる上で常に心掛けたのが、後輩が意見を言いやすいようなポジションでいることだった。

「後輩は、(学生トップクラスの成績を残している)藤井や(成國)大志に言いにくいこともあると思う。後輩が意見を言いやすいように、後輩と近い距離で接したい。それが自分のできること。細かいこと、やらなきゃいけないことは自分がやって、他のメンバーは少しでも競技に集中してもらえたら」

全体を見ながら考え、いろんな人の意見に耳を傾けられる心優しい小西だからこそ、チーム全体に気を配り、自らの役割を全うした。

同期を心から尊敬し応援

今シーズン最後の大会となった昨年末の全日本選手権では、インカレ準優勝の澤田千優(ちひろ、4年、埼玉栄)をはじめ、小西以外の4年生全員が出場権を持ちマットに上がった。

小西自身は大学の4年間で一度も全日本出場はかなわなかったが、それでも別の立場から選手たちを支えた。階級の近い同期の木村夕貴(ゆき、4年、安部学院)のアップパートナーを務め、試合の際にはセコンドにもついた。他の選手の試合でも観客席から声援を送り、鼓舞(こぶ)し続けた。

全日本選手権で木村(中央)のセコンドを務める小西(左)。右は長谷川監督

「みんな俺よりは練習してるし、ちびっこからやってきた分、苦しい環境で生活してきてレスリングのつらさを知ってる。勝ってほしいと思うし、成績が出たときは俺もうれしい。妬みとかって気持ちは全然ない」

小西は同期を心から尊敬し、そして応援していた。

名実ともに大学トップクラスの同期に囲まれ、苦しい時間を多く過ごしてきたことは容易に想像できる。しかし小西は、「率直に青学のレスリング部でよかった。人間として成長できた」と、迷いのないすがすがしい表情で4年間を振り返った。

自分のやるべきことは自分で考える

青学レスリング部には4つのモットーがある。「自主性を重んじる、自分に何ができるかを考えられる人物になる、心技体の充実、社会に貢献できる人間の育成」だ。

高校では、先生から与えられたことをただこなすという学校がほとんど。とくに小西の出身校である高松農業は、日本の高校の中でもトップクラスに練習がきつかった。しかし大学に進学すると、練習時間は高校時代の約半分に減った。初めて青学の練習に参加したときは、そのギャップに驚きを隠せず「これでもう終わりですか?」と先輩に聞いたほどだった。

「そのときそう思ったのは、自分でやる練習が足りなかったから。いまはそれで十分だと思ってる。『自分でやらなきゃ』っていうのは、大学にきて初めて思った感情だった」

決められた練習時間は短いが、自分に足りない部分を各自が自主的に補う。やらされる練習ではなく、一人ひとりが自分で考え、行動する。

自身も青学レスリング部出身である長谷川監督は「なんのためにそれをやるのか、いま自分に何が必要なのかを考えられる選手でないと社会に出てから活躍できない。指導者としてアドバイスはするけど、選手たちが何をしたいか、自主自立性を重んじてやるのがうちのスタイル」と説く。

むろん学生である以上、学業もおろそかにはできない。とくに青学にはスポーツ系の学部がないため、体育会学生も一般学生と同様の授業や試験を受け、単位を取得する必要がある。小西は経済学部経済学科で学業にも励んだ。時間の管理や、競技との両立。自分のやるべきことは自分で考えなければならなかった。

真面目に勉強も取り組んできたからこその道へ

長谷川監督はこう続ける。「チャンピオンになることや試合に勝つことは目標の一つではあるけれど、それは決して目的ではない。いつもミーティングで言っているけど、目的は最後どういった人間になれるか、社会でどういった活躍ができる人間になるかというところ」

青学のレスリング場のマットは1面のみで、指導者も練習に毎回参加できるわけではない。強豪として知られる日体大や山梨学院大のように数多くの部員がいたり、日本代表クラスの選手と常に練習できるわけでもない。決して恵まれた環境とは言い難いが、それでも自主性を重んじる青学レスリング部は、4年間で選手たちを人として大きく成長させる。小西はここで、勝ち負け以上に大切なことを学んだ。

全日本選手権最終日、試合後の駒沢体育館にて同期たちと(左から、小西、加賀田、藤井、木村、澤田)

卒業後、小西は地元・岡山に戻って消防士になる。農業高校からの進学だったが、4年間で単位をきちんと取りきり、地元に戻って公務員に合格。それは、真面目に勉強も部活も取り組んできたからこその道だった。

卒業目前のいま、小西は4年間をともにした同期へエールを送る。「自分の道で頑張って活躍してほしい。卒業したらなかなか会えなくなるけど、それぞれが活躍して岡山にいてもみんなの名前が聞ければいいな」とほほ笑んだ。

かけがえのない時間を過ごした大切な場所に別れを告げ、思いやりにあふれた青学レスラーは、次のステージへと旅立ってゆく。