テニス・野口莉央「世界をめざすためには積極的な挑戦が大切。その経験がプラスに」
「テニスは個人競技だけど、ひとりで戦っているわけではない――」。2018年から明治安田生命「次世代トップアスリート応援プロジェクト」の後押しを受け、世界のトップをめざすベースを築いた野口莉央選手(のぐち・りお、明治安田生命所属)は、そう語る。プロになって以来、海外でのプレーも多く経験し、2019年には全日本王者にも輝いた野口選手に、世界をめざすアスリートが成長するための秘訣(ひけつ)を聞いた。
大きく成長させてくれたプロ1年目のチャレンジ
日本テニス界の発展が著しい。2014年には錦織圭選手がグランドスラムと呼ばれる世界4大大会のひとつ、全米オープン男子シングルスで日本人選手初の決勝進出を果たした。女子では世界チャンピオンが誕生した。23歳の大坂なおみ選手はグランドスラム2大会を、すでに計4度制しているのだ。
そうしたトップの選手たちの背中を多くの若者が追う。現在22歳の野口莉央選手も、そのひとりだ。高校卒業後にプロとなり、19年には20歳にして全日本選手権の男子シングルスで優勝。国外の大会でも優勝杯を掲げたホープだ。
野口選手は今年2月、エジプトにいた。世界中のツアーを転戦し試合に出場、さらに勝ってポイントを得ることで、より上位の大会への出場をめざすためだ。何より、さまざまな相手との戦いやコート外も含めた経験が、選手としての血肉になっていく。
ただ、プロになったとはいえ、社会に出たばかりの18歳の頃は大胆な世界転戦は簡単な決断ではなかった。だが背中を押してくれる人がいた。小島弘之コーチだ。かつて世界ランク20位台に入った長塚京子さんのコーチも務めた。「中学時代から海外のツアーに帯同していただいています。長塚さんと世界を回っていたのでプロテニスをよく知っており、ツアーの回り方などですごく助けられています。そのコーチがプロは1、2年目が大事だとおっしゃっていたので、プロ1年目は『活動費が足りないからこの大会には行かない』などと考えず、レベルアップのために出たいと思う大会にはすべて出場してきました」
その挑戦をより上質なものにするために、最初の1年間はすべての大会に小島コーチに帯同してもらうと決めていた。単純に考えてもコーチ帯同だけで遠征費は倍になる。駆け出しの若手にとっては大きな負担となるが、腹を決めた。
ただし、決心しただけでは事態は変わらない。状況を変化させるアドバイスをくれたのも、小島コーチだった。明治安田生命が2015年からはじめた「次世代トップアスリート応援プロジェクト」を野口選手に勧めてくれたのだ。世界の大会で活躍したいという目標もあり、この募集に野口選手は迷わず手を挙げた。
「資金をどうしようかと考えていたので、すごく助けられました。このプロジェクトがなければ、ヨーロッパ遠征にもチャレンジできませんでした。海外のクレーコートで海外の選手とプレーすることで、戦術を学べたり、クレー特有の長いラリーでも平常心を保てたり、メンタル面でも成長できたのも支援を受けられたから実現できたことです。プロ1年目とは思えないほどの多くのチャレンジができました。この経験が全日本選手権や国外の大会での優勝につながっていると思っていますので、僕の中ではこのプロジェクトは大きな存在です」
「お金の話になってはしまうのですが」と少しためらう様子を見せた後、「自分に投資するのがプロだと思います」と、野口選手はきっぱりと言い切る。
「テニスだけではなくすべてのアスリートに共通することだと思いますが、レベルアップにはコストがかかります。トレーナーを雇ってフィジカルを上げたり、メンタルコーチを雇ったり、食事にも気を遣います。資金があれば、それだけ成長のチャンスを手にできるんです」
野口選手はいま、「次世代トップアスリート応援プロジェクト」を継承し、2020年からスタートした「地元アスリート応援プログラム」のアンバサダーを務める。
「振り返っても『プロ1年目の経験が大きかった』という実感があります。このプログラムの力で、自分をより高められると思いますので、多くの世界をめざすアスリートたちにこの企画を知ってほしいですね」
野口選手は支援がもたらす精神的な変化にも言及する。
「プログラムを通して感じたことは、個人競技でも『決してひとりで戦っているわけではない』ということです。アスリートには勝つための欲も必要なのですが、恩返しというか『誰かのために』という思いがあると、より力を発揮できると感じます」
コート上で頼れるのは自分だけだが、孤独ではない。コーチや支援者といった仲間の支えがあるからこそ、ハイパフォーマンスを発揮できるのだろう。
ハードな日々を癒やしてくれる「地元」
「地元アスリート応援プログラム」は、各地域から選出された若手アスリートが支援を受け、地域の一体感や地元愛を育む一面も大きい。アンバサダーの野口選手にも、心のよりどころとなる「ホーム」がある。年間30を超える大会に出場するため、神奈川にある自宅にいる日数は1年の半分以下というハードな日々。そんな野口選手を癒やしてくれるのは、生まれ育った故郷と家族だ。
福岡県北九州市に生まれると、両親がテニスをしていた影響で物心つく前からラケットを握っていた。父こそが人生初のコーチだった。プライベートレッスンに通うようになると、週の半分以上、片道1時間の道のりを車で送り迎えしてくれた。子どもの頃は基礎を叩(たた)き込む父の厳しさに反発も覚えたが、地元を離れて全国的な強豪校である神奈川の湘南工科大学附属高校に進学すると、父の正しさに気づいた。
「高校の練習では基礎的なメニューがすごく多かったのですが、父が言っていたことは正しかったと気づきました。父はいまでも僕の試合を見て、気になったことをアドバイスしてくれます。それが結構的確で(笑)。小さい頃から僕のことを知っているので、細かいところまでよく分かってくれているんでしょうね。父に教わったことは、僕のいまのテニスに生きていると感じます」
親元を離れた高校時代には北九州に帰りたいと何度も思ったが、心はいつもつながっていた。「離れていても、家族はいつも応援してくれていました。大会で優勝したり強い選手に勝ったりすると、メッセージを送ってくれます。それが励みになりますし、親を喜ばせたいという思いにつながります。やはり家族の存在は大きいです」
年に1度は故郷に帰り、子どもの頃から通っていたコーチのもとやテニスショップに顔を出す。「僕の試合結果を知ってくれているので、応援してもらっているんだと実感して、すごくうれしく思います。もっと良い結果を出したり、テレビで放送されるような大会に出たくなったりしますね。まだ地元を出ていないスポーツを頑張る子どもたちにも、地元の支えが力になることを知ってほしいと思います」
たとえコロナ禍であってもチャレンジを
大きな助けを得て憧れのプロ生活をスタートさせたが、昨年からテニス界も新型コロナウイルス感染拡大の影響に見舞われた。昨年のツアーは7月までストップし、再開後も開幕直前に大会が中止されたこともある。今でも、国際移動するだけでもさまざまな困難が付きまとう。
だが、野口選手は前向きだ。いまも世界を駆けまわり、ウィンブルドン選手権出場という子どもの頃からの夢を追っている。自ら手を挙げて得たチャンスを存分に生かしたプロ1年目の経験を、貴重な糧として。
ともに戦う仲間である世界をめざすアスリート、そして自分自身に向けて、野口選手は言う。
「人と違うことをしないと、特別にはなれない、プロとしてやっていけないという思いが僕にはあります。コロナ禍という難しい状況であっても、『地元アスリート応援プログラム』への応募もひとつですが、世界をめざすアスリートには、どんどん積極的にチャレンジしていってほしいですね。たとえ、いまうまくいかないことがあっても、今後きっとプラスになるはずです」
【profile】
のぐち・りお/1998年12月28日、福岡県北九州市生まれ。テニス経験者だった両親のもと、幼少期からラケットを握る。中学卒業後は親元を離れ、神奈川県の湘南工科大学附属高校で腕を磨き、3年時にはインターハイで全国の頂点に立つ。卒業後にプロへと転向すると、2019年 に「三菱全日本テニス選手権94th」シングルスで優勝。ダブルスでは「ハイ ダン・テニス・カップ」 など国外の大会でも優勝している。明治安田生命所属選手として、現在も精力的に世界各地の大会に出場し、4大大会出場をめざしている。